
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』第38回です。劇中のメインは、新たに羽柴秀長(演・仲野太賀)の領地となった大和郡山の振興策ということでした。
編集者A(以下A):それについては、後半で言及するとして、まずは「豊臣姓」について触れたいと思います。前週までに、型破り関白こと近衛前久(龍山/演・前野朋哉)の猶子になることによって、「藤原秀吉」として関白に就任した羽柴秀吉(演・池松壮亮)ですが、当初は、後継関白を近衛龍山の息子信尹(のぶただ/初めは信輔)にするという前提でした。鎌倉時代に五摂家にわかれた藤原氏ですが、近衛家は五摂家筆頭で藤原の氏長者でした。
I:ざっくりいうと、「藤原姓」に伍する姓を得ることによって、羽柴家による関白職の「家職」化に舵を切ることが可能になるということですよね。実際に秀吉はやがて関白の座を甥の秀次(演・山田涼介)に譲ることになります。
A:姓(かばね)といえば、「源平藤橘」=「源」「平」「藤原」「橘」があります。源氏は、鎌倉幕府の将軍となった源頼朝の「清和源氏」が有名ですが、「平」とともに平安時代に多くの皇子に下賜された姓になります。「平」は平清盛の平氏が著名です。藤原は、摂関制度が始まって以来、その職掌をほぼ独占した一族。橘は、奈良時代に権勢を誇った橘諸兄(もろえ)や平安時代初期の能筆家・橘逸勢(はやなり)が知られていますが、平安時代の中期には衰退していました。
I:劇中では、秀吉が自ら考えに考え抜く様子が描かれました。
A:このあたり、あまり深掘りされませんでしたが、豊臣姓の由来については諸説あって定説はありません。秀吉に豊臣姓を下賜したのは第107代後陽成(ごようぜい)天皇。思えば、戦乱に明け暮れた戦国時代の朝廷は、日本の歴史の中でももっとも貧しい状況でした。持統天皇の時代から連綿と続いてきた神宮(伊勢神宮)の式年遷宮が応仁の乱後に一世紀以上にわたって中断を余儀なくされます。朝廷窮乏のピークは、第104代後柏原天皇、第105代後奈良天皇ですが、第106代正親町(おおぎまち)天皇の時代に、織田信長によって朝廷は窮乏から脱出し、次いで秀吉の寄進によって式年遷宮も復活することになります。
I:余談ですが、令和8年5月には皇居皇霊殿で後柏原天皇五百年式年祭が天皇陛下によって斎行されました。
石田三成末裔も「豊臣姓」のままだった
A:豊臣姓は秀吉在世中に多くの大名に「下賜」されましたが、徳川家康(演・松下洸平)が天下を掌握した後には、秀吉の身内だった木下家など数えるほどでした。特筆すべきは、石田三成(演・松本怜生)の子孫が「豊臣姓」を名乗り続けていたことです。
I:どういうことでしょう?
A:関ヶ原の合戦で敗れた後、石田三成は斬首されますが、次男の石田重成は、大坂城にいた津軽家嫡男の津軽信建との縁で津軽に落ち延び、姓を杉山、名を源吾と改めます。弘前市内に杉山家の菩提寺があり、歴代当主の墓石が今も残されていますが、そこに「豊臣姓」と刻まれているのです。
I:杉山源吾の嫡男杉山吉成は、石田三成の孫になりますが、寛文9年(1669)、蝦夷地(現在の北海道)で発生したシャクシャインの戦いの際に、弘前藩の侍大将として出陣して功を挙げたエピソードが胸熱です。
A:シャクシャインの戦いの際の将軍は4代目の徳川家綱。杉山吉成は幕府からも褒章を得たそうです。杉山吉成以降、弘前藩の重臣として幕末を迎えるのです。豊臣家、石田家と津軽家の数奇なつながりはほかにもあるのですが、それは追い追い明らかにしていきたいと思います。
片岡鶴太郎さんと大河ドラマ

I:片岡鶴太郎さんが狩野永徳役で登場しました。昨年の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で鳥山石燕役で出演していますから、連続して絵師役ということになります。
A:狩野永徳は、『洛中洛外図屏風』やドラマにも登場した『唐獅子図屏風』で知られた絵師です。安土城の天主などの障壁画も狩野永徳一門によるものだったといわれています。秀吉が築城した大坂城にも作品を納めているのですが、いったいどのような作品だったのでしょうか。
I:金箔を惜しげもなく使った絢爛豪華な金碧障壁画だったといわれていますが、現存していないのが残念すぎますね。
A:片岡鶴太郎さんといえば、大河ドラマ『太平記』(1991年)で北条高時役として大河ドラマデビューを果たしました。当時鶴太郎さんは36歳。あまりにもドはまりした熱演、怪演ぶりが大河ドラマファンに衝撃を与えました。鎌倉幕府滅亡を描いた第20回~22回は大河ドラマ史上屈指の「神回」として知られています。
I:あれから35年。その後も『毛利元就』の井上元兼役や『麒麟がくる』での摂津晴門役など、『豊臣兄弟!』で8作目の大河ドラマ登場です。
A:今から振り返ると片岡鶴太郎さんが演じた『太平記』の北条高時をリアルタイムで視聴できたのは、宝物のような経験です。今回、『豊臣兄弟!』ではわずかな出番でしたが、もっともっと登場機会を増やしてほしい方ですよね。
奈良の伝統工芸

I:さて、『豊臣兄弟!』第38回では、大和郡山の振興策が描かれました。奈良の筆といえば、『サライ』でも幾度か取材をしていますが、「奈良筆」が有名です。
A:奈良は日本の古都ですから、奈良時代からすでに筆作りは行なわれていたようですね。今、春日野にいる鹿も、もとはといえば筆の毛をとるために放牧したことに始まるといわれています。
I:春日大社の神様のお使い説ももちろんありますが。劇中でもいろいろな動物の毛で実験していましたが、動物の種類によって、筆の腰が強いだとか弾力があるだとかで、用途によって使う毛を変えたり、混ぜたりするようです。同じ動物でも、身体のどこの毛をどれだけの量使うかで、質がかなり変わると、取材した際に教えてもらいました。
A:筆もそうですが、墨や茶筅など、奈良には今も連綿と受け継がれている伝統工芸がいくつかあります。古都ゆえに寺社が多く、他の地以上にそうした需要が高かったんでしょう。
I:大和郡山の赤膚焼は、まさに秀長が尾張の常滑から陶工を招聘したことに始まる窯ですよね。劇中で秀長が郡山を賑わいのある町にしようと尽力していましたが、今もそれが受け継がれていると思うと、ちょっと嬉しくなりますね。
A:劇中でも触れられていましたが、興福寺や春日社などの既存の寺社勢力に護られていた商工業者にとって、新たな領主=羽柴秀長が号令を発したからといって、すぐさま従えるかという問題があります。
I:なんとなくわかります。直近では、筒井家から松永久秀(演・竹中直人)に権力が移行し、また筒井に戻って、現在地が「羽柴秀長」という状況です。もしかしたら、ほんの数年でほかの誰かに領主が変わるかもしれませんし、興福寺が再び権力を奪回する可能性もゼロではなかったわけです。おいそれとは従えないというのは、戦国時代に生き残る処世術でもあるのかと思います。実際、羽柴家の治世は、秀長の死と後継の秀保の死で10年も続いていませんから。
A:昔も今も世の中を変えようとすると、その是非はともかくとして「既得権益」との戦いは避けられないという「戒め」のような場面になりました。一見、強引ともいえる秀長の手法ですが、その一方で、史実でも正室などが寺社への参詣を繰り返すなど、融和的な行動もとっていますから、少なくとも中世的な「あまりにも強引な手法」はとっていないと思われます。
I:そのあたりの「機微」を丁寧に描いてほしい気持ちもあります。
「井上和さんの弓」の場面に思うこと

I:大坂城では、寧々(演・浜辺美波)とともに浅井三姉妹が登場しました。初(演・田牧そら)と江(演・西川愛莉)はわりと無邪気に秀吉や寧々と打ち解けているのですが、長女の茶々(演・井上和)は斜に構えたまま。わりと定型化した描き方と受け止めました。
A:特筆すべきは、その茶々が弓を射る場面ではないでしょうか。その所作、執り弓の姿勢が様になっていました。
I:これにはしっかりした理由があります。茶々を演じる井上和さんが、高校時代に弓道部に所属していたというのです。それは様になるわけです。わずかな尺でしたが、ほれぼれしましたし、コミカルな場面が多かった回なので、こういうシーンがあると締まりますよね。
A:1991年の『太平記』では、後藤久美子さんが北畠顕家を演じて、甲冑姿や弓引く場面が登場しました。井上和さんの甲冑姿で弓引く場面が見たいですね。
I:木曾義仲のパートナー巴御前とか。乗馬も鍛錬していただいて、馬上から弓引く場面があったら最高ですね。

●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











