
1946年3月20日生まれ、茨城県出身。66年に俳優デビュー。70年に香港へ渡り、大手映画会社「ショウ・ブラザーズ」のオーディションに合格、数々の作品に出演する。74年には映画『帰って来たドラゴン』で日本に凱旋、『闘え!ドラゴン』『Gメン‘75』などに出演した。その他の出演映画は『七福星』『フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳』。
文/浅見祥子
70年代、カンフー映画全盛期の香港に渡り、悪役が似合うアクション俳優として‟和製ドラゴン”と称された俳優の倉田保昭さん。80歳を迎え、新たな挑戦としてアクション映画プロジェクトを始動させました。倉田さんを主役に、その背中を追いながらアクション監督として邦画界を牽引する3人が監督を務めた映画『夢物語 The Living Dragon』。映画のこと、健康のこと、これからの夢について。自ら道主を務める空手道場にて、80歳の現役アクションスター、倉田保昭さんに聞きました。
「ここまでやらせる!?」
『夢物語 The Living Dragon』は、3本の短編からなる長編オムニバス映画。倉田さんは『追躡』では70年代の任侠映画のリメイク作でオーディションを受けることになる平蔵、『ハート・オブ・ドラゴン-龍的心-』では内気なOLが夢の中で出会う憧れのアクション俳優、『不思議の国のドラゴン』では時を超え、ブルースに心臓の薬を届けようと香港の街を駆け抜ける平蔵をそれぞれ演じます。刀による殺陣、肉弾戦、カンフーアクション、倉田さんはアクション俳優歴60年(!)で研鑚を積んだ技をこれでもか! と見せつけます。

製作・主演/倉田保昭
特別出演/サモ・ハン
出演/武田梨奈、加藤雅也、高岩成二、谷口布実
監督・脚本/坂本浩一、谷垣健治、下村勇二
7月17日~新宿武蔵野館ほか全国順次公開
(C)2026 アートポートインベスト(株)/(株)倉田プロモーション/武蔵野興業(株)
――『夢物語 The Living Dragon』をつくろうと思った経緯を教えて下さい。
「コロナ禍に海外の仕事もなくなり、時間が出来て。親戚の竹藪を借りて映画を撮ってみようかな、という軽い感じで始まりました。監督は、倉田アクションクラブの教え子に頼んで。すると別の教え子が『僕も監督をやっていいですか?』というので2本目を撮って。それからかつて私のもとで学んでいた今回の監督たちに電話をすると、二つ返事で『わかりました』と。好きなように、と任せたらものすごくハードな内容になりました。アクション映画もいまは吹替を多く使いますが、この映画では血だらけ泥だらけでヘトヘトになり、なんで僕には吹替がないの? ここまでやらせる!? もうちょっと格好つけさせてよ! って(笑)」
――「ウルトラマン」「仮面ライダー」シリーズのアクションを手掛ける坂本浩一監督による『追躡』では、若手アクションスターが、町のチンピラに絡まれる場面があります。ご自身にも過去、そうした経験が?
「1970年に僕が香港へ行く前の悪役というのは、‟本当に強いのかお前?”と絡まれることが多かったようです。でも僕には全然そうした経験がありません。撮影を遠巻きに見ていた人から‟いいね!”という感じで親指を上げられることはありましたけど。‟この人は本当に強いだろう!”と怖がられていたのかも。まあ実際…弱くはなかったですけど(笑)」
――「キングダム」「ゴールデンカムイ」シリーズの下村勇二監督による『ハート・オブ・ドラゴン-龍的心-』では、武田梨奈さんと壮絶な肉弾戦を演じられていますね?
「監督は最初に梨奈ちゃんのアクションを見て、‟これではとても先生と1対1は無理だろう”と、かなり特訓したみたいです。でも撮影してみると、おおスゴイじゃない! という感じで。梨奈ちゃん、すごくよかったですよね。もちろん事前に動きをつけていてアドリブではありませんが、僕自身は一切練習しませんでした。昔からそうです。練習すると、‟こう来たら、こう受ける”などと動きが型になってしまう。それが嫌で。本来、次にどんな攻撃がくるかはわからないはずです。でも型になると、拳を向けられても、顔が動かないまま避けてしまう。僕らは自然にスッと体が先に動いてから避けます。そうしたことが、現場に行って相手がいると蘇ってくるんです」

――『フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳』で倉田さんがジェット・リーと目隠しをして戦ったシーン、そのオマージュもありましたね?
「監督があのカットを研究してきて、‟もうちょっと近くで”とか(笑)。本当に目隠ししているので相手の動きは見えませんが、ああいうのって不思議とタイミングが合うんです。見えないからどうこうじゃない、雰囲気というか…。それでタイミングとしてはちょっと遅れるくらい、ギリギリになったほうがリアルなんですね」
――「るろうに剣心」シリーズ、香港映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』のアクションを手掛けた谷垣健治監督による『不思議の国のドラゴン』では香港ロケを敢行。サモ・ハンさんとの共演も、動きが鋭くて驚かされましたが?
「監督に‟先生、ずっと走ってもらいますから”と言われたので、2か月ほどかけて準備しました。それで香港での撮影では、半日ほど走りっぱなしで(笑)。サモ・ハンとの立ち回りは『七福星』以来、40年ぶりでした。あのときと同じテニスラケットと、なんの棒なのこれ!? みたいなものをそれぞれに持って戦って。知っている方は、あのシーンだ! と思いますよね。それが監督の狙いです。あれもリハーサルはなし。改めてサモ・ハンのように、何十年とやってきた人は違うなと」
――『不思議~』では歌にも挑戦されたとか?
「元々は、50年ほど前に歌った『ロンリードラゴン』という曲があって、これ使えませんか? と。でも歌というのは、自由がききません。自分で歌ってはいるけど、この映画では使えないし。じゃあ自分でつくっちゃおう! と思って。ブルースの話だったので瞬間的にひらめいたもの、ふだんから思っていることを歌詞にしたのですぐに書けました。でも50年ほど歌っていないし、カラオケにも行ったことがない。この道場で3か月ほど、ひとりで練習しました。朝から声を出すので、近所の人に‟歌の練習で、おかしなことではないですから”とお伝えして(笑)」
――80歳で新しいことに挑戦する、そのモチベーションはどこにありますか?
「既に後期高齢者、免許だって返納するような年齢です。だからこそ恥をかいてもいい、普通のおじいちゃんにはできないことをしたい。キザなことを言うわけではありませんが、誰も歩いたことのない道を歩きたい、そんな思いがあるんですよね」

「アクションは完成しない、進化する」
――年齢を重ねると瞬発力や持久力はどうしても落ちるはずですが、プラスになる面も?
「アクションに完成はありません、常に進化し続けます。動きそのものではなく、アクション演技は深くなるのです。例えば1対1のシーンは、試合ではなくて殺し合いです。命がけの戦いであることを見せないと意味がありません。最初からどちらが負けるかわかっていたら、お客さんは見ていて面白くないですよね。ああ痛そう! と、一体になってもらえるように。若いうちはどうでも勢いだけでやってしまうのですが、僕らは絶えずお客さんはどう感じるだろう? と意識しながらで。そこはいまのほうが説得力があると思います」
――最近のアクション映画では自らアクション監督を担う俳優さんもいますが?
「皆さん、やっぱり良いですよね。それで自分で動きをつける場合も、ただ好きなようにやるのではなく、お客さんに目を向ける必要があります。実際は弱いパンチでも、強く見えるならそれでいい。それでいて、撮影現場のスタッフも驚かせないと。何してんの? と思われるようでは、お客さんは驚きませんから」
――『夢物語 The Living Dragon』でもそうしたシーンが?
「特に下村組なんかは、若いスタッフもいて、僕の名前も、『Gメン‘75』も知らない(笑)。だから、なんでこのおじいちゃんはこんなに動けるの!? という感じで。最後のシーンなんて僕ひとりで6人を相手にして、一連の動きをワンカットで撮影してNGなしでした。一発撮りで、途中で手が止まってもカメラは回し続ける予定でした。撮り直しはせず、一回限りの勝負だったんです。撮る前に監督が、『10人を相手に』と言ったので『いくらなんでも80歳で10人を相手にワンカットは無理だよ』と言ったのですが、終わってみたらまだ余裕があって。監督も『10人いけましたね!』って(笑)」

――今回監督を務められた3人もそうですが、お弟子さんにはアクションについてどんな教えを?
「アクションって、言葉で教えるということでもないんですよね。ただ、後姿を見せてあげないと。人の後姿を見た瞬間に、どういう人かわかるのと同じです。では倉田って何者だろう? というと、1970年にひとりで香港へ行き、香港アクション映画の全盛期に俳優として戦ってきた。その後姿を見て、俺らも行けんじゃないの!? と、そう思わせるエネルギーがもしかしたらあったかもしれません」
――そうしたエネルギーを80歳になるまで持ち続ける秘訣は?
「同級生の多くは足腰が弱って歩けないとか、デイサービスに通っているとか。そうしたことがボディブローのように効いてしまって、俺は違うよ! と思えなくなりそうで。それにむちゃくちゃ抵抗しています。トレーニングは毎日、お昼過ぎにジムへ行き、基本的に1時間やります。また普段から、テレビをイスに座って観たりしません。常にストレッチをやりながらで。いまでも開脚で足が床に着きますし、蹴りをしても頭まで足が上がります」
――毎日少しずつやるのがいいとわかっていても、それを続けるのが難しいかと。どうしたら続けられますか?
「僕はね、続けるのが得意なんですよ。特別な能力はないけど、続くんですね。他に趣味もないし、お酒はもともと飲めないし。タバコも若いうちは格好つけて吸ってましたけど、35~36歳で止めました。それで、同じことを続けるしか能がないんです(笑)。また食べものも飲むものでも、体にいいと聞いたら試してみるし、脂っこいものや甘いものが悪いと聞いたら控えます。天ぷらなんか大好きですけど、たまに食べるくらいで。そうして健康であるためには毎日こうしなきゃいけないと決め、その延長線上でたまたま80歳になったと。俳優として80歳になってもアクションを続けるために、ではなくて。1日は24時間ではなく23時間と考え、1時間はトレーニングをする。それで普段の生活の中にストレッチなどを入れているから続くのかなと。おかげで今でも、膝や腰が痛いというのもありません」
――何歳まで現役を続けられますか?
「先のことはわかりませんが、あと1~2年はいけるんじゃないかと思っています。これからは継承、自分が得たものを伝えていくことかなと。アクションは、国境を超えますから!」
取材&文 浅見祥子(映画ライター)
雑誌「BE-PAL」(小学館)、「田舎暮らしの本」(宝島社)、web「大人のおしゃれ手帖」(宝島社)、「シネマトゥデイ」などで映画レビュー、俳優&監督インタビューを執筆。また「芸能マネージャーが自分の半生をつぶやいてみたら」などの書籍ほか、赤楚衛二「A」、菅田将暉「着服史」、小関裕太「Y」、藤原大祐「FeaT.」、菅井友香「たびすがい」(すべてワニブックス)などでインタビューを担当。











