
令和7年7月、蜂須賀家の現在の当主蜂須賀正子さんが愛知県あま市の蜂須賀家の菩提寺蓮花寺にある蜂須賀小六正勝の墓所にお参りしたことが、徳島新聞ほかで報じられました。蜂須賀家当主のお参りは98年ぶりだということでした。
蜂須賀正子さんは1941年生まれ。蜂須賀家は江戸時代後期に徳川幕府11代将軍の徳川家斉の二十二男斉裕が養子に入っているため、血統的には徳川家斉の玄孫の子(来孫/孫の孫の子)にあたります。蜂須賀正子さんはアメリカ住まいということで、2004年に伝来の蜂須賀家史資料を地元の徳島城博物館に寄贈したことでも知られています。
NHK徳島放送局のSNSでは、蜂須賀小六を演じる高橋努さんが徳島を訪れ、帰徳中の蜂須賀正子さんと面会している様子が報告されています。
「川並衆」に要注意
『豊臣兄弟!』劇中では、木曽川沿いを根拠とする国衆として、木下藤吉郎秀吉(演・池松壮亮)の要請に応じて織田方に転じた蜂須賀小六正勝ですが、1981年の『おんな太閤記』では前田吟さん、1996年の『秀吉』ではプロレスラーの大仁田厚さん、『豊臣兄弟!』では高橋努さんが演じています。2006年の『功名が辻』でプロレスラーの高山善廣さん、2014年の『軍師官兵衛』でピエール瀧さんが演じたこともあります。
蜂須賀党については、『おんな太閤記』『秀吉』『軍師官兵衛』『豊臣兄弟!』でも「川並衆」と称された一党だったと説明されています。ネットの歴史記事でも「川並衆」が、史実に即した歴史用語かのように報じられていますが、注意が必要です。
実は「川並衆」という語は、『武功夜話』という昭和34年の伊勢湾台風の際に旧家の土蔵から見つかったという文書にしか記載がない用語です。同書の信ぴょう性に関しては学会でも激しい議論が交わされているので、「川並衆」という用語についても慎重に扱った方がいいのかもしれません。研究者の方々の議論が待たれます。
徳島藩領の淡路島が兵庫県に編入されたわけ
蜂須賀家は、阿波徳島藩25万7000石の大名として明治維新を迎えます。徳島藩の領内には淡路島も含まれ、こちらは徳島藩の家老稲田氏が代々治めていました。『豊臣兄弟!』で蜂須賀小六の配下として登場する稲田植元(演・沼口拓樹)の子孫になります。淡路島は現在、兵庫県に所属しています。なぜ、徳島藩の領地だったのに徳島県ではないのでしょうか?
それは幕末に発生した「稲田騒動」に原因があります。
幕末には全国の佐幕派、尊皇派とわかれて藩論を二分する藩が少なくありませんでしたが、徳島藩の場合、藩主の蜂須賀茂韶(もちあき)が血統的には11代将軍家斉の孫ということもあり、藩主周辺は佐幕派でした。一方の淡路島の洲本城を拠点とする徳島藩家老稲田家は尊王派を標ぼうしていたため、両派の対立により、徳島藩の隣藩の土佐藩が「薩長土肥」の一角を占めたのとは対照的に存在感を示すことができなかったのです。
維新後、徳島藩の蜂須賀家は侯爵の地位を与えられましたが、1万4000石で淡路島を治めていた稲田家は、華族になれませんでした(後の明治29年に男爵)。
稲田家家臣は、徳島藩から独立立藩を希望して運動を始めますが、本藩の一部と対立し、そのために発生した「お家騒動」がきっかけで、廃藩置県の後に淡路島は蜂須賀家が知藩事を務める徳島県ではなく、兵庫県に移入させられたのです。
しかも、そうした騒動の渦中で、さらに、稲田家の家臣500数十名が北海道開拓のため静内の地(現在は静内町から新ひだか町)への移住を余儀なくされるのです。
『豊臣兄弟!』劇中では、秀吉らと美濃攻略のために奔走する蜂須賀一党。300年後の蜂須賀・稲田の対立の端緒になったのが将軍家からの養子迎え入れだったのは、歴史の妙なのでしょうか。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











