松前藩と2027年『逆賊の幕臣』をつなぐエピソード
A:実は、北海道新幹線の駅のある木古内を起点にすると、松前藩の歴史に加えて幕末哀史に触れることができます。北海道新幹線開通前後に『サライ』の取材で2度ほど訪ねたことがあります。木古内のサラキ岬沖では明治4年に咸臨丸が座礁・沈没しています。
I:咸臨丸とは、勝海舟や小栗上野介などの幕府遣米使節が乗った船ですね!
A:そうなんです。咸臨丸は、幕末維新の動乱を潜り抜け、明治4年に仙台からおよそ400人を乗せて北海道を目指していたのですが、木古内のサラキ岬沖で座礁・沈没します。サラキ岬には、懇切丁寧な説明板に加えて咸臨丸のモニュメントがあります。岬から咸臨丸が座礁した海を望むことしかできませんが、地元の「咸臨丸とサラキ岬に夢見る会」の方々が、座礁した際に地元の人々が救助にあたったことなどを語り継いでおられる。頭の下がる思いがしました。
I:木古内で座礁・沈没したのが咸臨丸。そして、江差で座礁・沈没したのが……。
A:開陽丸です。幕末に江戸幕府がオランダから購入した最新鋭のフリゲート艦で、蝦夷に新天地を求めた榎本武揚ら徳川家臣団を乗せて航行していた途上、江差沖で座礁するのです。江差には、土方歳三が座礁する開陽丸をみながら涙を流したという「嘆きの松」が残されています。開陽丸は原寸で復元され、船内では、調査で収集された開陽丸の遺物が展示されています。
I:図らずも、松前藩の歴史を語ろうとして、土方歳三など幕末の歴史になってしまいました。
A:はい。咸臨丸、開陽丸がいずれも蝦夷地で座礁・沈没するのですが、その理由は、操船技術が未熟だったからにほかなりません。そして操船技術が未熟な理由は、江戸時代通じて「水軍力」が封印されていたからです。
I:水軍力のある大名を「陸」にあげてしまった弊害なんですね。
A:そういうことになります。歴史の機微ということでしょう。でも、日本の海軍力は、明治になってから、ロシアのバルチック艦隊に勝利するまでになります。東郷平八郎は、小栗上野介の功績だと述懐したのが印象的です。
I:その物語が再来年の大河ドラマなのですね。
A:さて、先述の「道南十二館」のなかで「続百名城」に選定されている志苔城周辺からは38万枚もの古銭が出土しています。主に中国の銅銭で、重文に指定されています。これが、市立函館博物館に所蔵されているのですが、市立函館博物館に近接しているのが「碧血碑」。箱館戦争で没した800人余りの人々を慰霊する碑です。
I:『べらぼう』の松前道廣から知られざる歴史に脱線しました。
A:稚内市の宗谷岬から樺太は43キロほどの距離がありますが、樺太側の岬には白主土城(しらぬしどじょう)という中世城郭があったことが知られています。九州に攻めてきた「元寇」とほぼ同時期に樺太などに「北の元寇」もあったことはあまり知られていません。こうしたことにも思いを馳せてほしいですね。

●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ~べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。同書には、『娼妃地理記』、「辞闘戦新根(ことばたたかいあたらいいのね)」も掲載。「とんだ茶釜」「大木の切り口太いの根」「鯛の味噌吸」のキャラクターも掲載。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり
