文/鈴木拓也

画像はイメージです。写真:photoAC

警察庁の統計によれば、山岳遭難者数は増加傾向にあり、昨年は3623人と過去最多を記録。シニア登山者の増加が一つの要因として挙げられるが、もう一つが低山ブームだ。

重い装備も高い技術レベルも要求されない低山は、コロナ禍以降は特に人気。ハイキング気分で登って、遭難する人が後を絶たない。なかでも標高599メートルにすぎない高尾山が最多で、年間の遭難者数は100人を超えている。

低山での遭難リスクに警鐘を鳴らすのは、フリーライターで長野県山岳遭難防止アドバイザーの羽根田治さんだ。羽根田さんは、実際に遭難した人たちへの取材をもとに、『低山遭難-「まさかの遭難」から生きて帰った人たち』(東洋経済新報社 https://str.toyokeizai.net/books/9784492224397/)で、生々しい事例を交えながら、低山登山にひそむリスクを解説する。

では、リスクとはどういったものなのか、本書にある2件の遭難事例をもとに紹介したい。

襲ってきたクマと徒手空拳で格闘

山中で自噴する温泉で、施設化されていないものを野湯と呼ぶ。近年、この野湯を探して湯につかる野湯ハンターが増えている(と言っても限定的だが)。

その1人が三浦靖雄さん。日本各地で野湯探しに熱中するベテランハンターだ。

話は2021年7月にさかのぼる。家族と一緒に旧軽井沢に滞在中、三浦さんは、1日だけ別行動で石尊山(せきそんさん)に登った。目指すは「血の滝」と呼ばれる、錆びた鉄分を大量に含む冷泉だ。山の標高は1668メートルとそれなりの高さがあるが、血の滝自体はもっと低いところにある。

三浦さんは、いったん山頂に到達してから下山を始め、冷泉を堪能した。その帰途、あと1キロも歩けば人里に出るところで、藪から飛び出してきたクマと遭遇する。クマは、「間髪を入れずに全速力でこちらに向かって突進してきた」そうだ。

クマよけスプレーを持参していたが、それを使ういとまもなかった。三浦さんは、本能的に大声を上げてクマと格闘する羽目になった。指を噛まれ、耳の後ろを爪で引っかかれるなど負傷したが、辛くも撃退に成功。クマは、猛スピードで逃げていったという。

三浦さんは、自力で人里まで歩き、そこで救急車を呼んだ。軽井沢の病院で応急手当てを受けてから帰京。地元の病院で1週間入院したものの、今も登山は続けている。

羽根田さんによれば、「危険生物との遭遇確率は低山が圧倒的に高い」という。クマだけでなく、毒ヘビ、スズメバチ、イノシシなどの多くが生息するのは、標高の低いエリアだからだ。羽根田さんは、次のようにアドバイスしている。

我々はそのことを認識し、山に登るときには彼らの生息圏に入り込んでいるという意識を持つ必要がある。そこで彼らとの無用なトラブルを避けるためには、できるだけ彼らを刺激しないこと、彼らに出会わないようにすることが重要となる。そのノウハウは生物によって異なるので、事前にしっかりと対応策を学んでおきたい。
(本書25pより)

仲間のいるところで骨折、ヘリで搬送

伊藤博美(仮名)さんは、仙丈ケ岳や穂高岳といった3千メートル級の山々にも登った経験の持ち主。

そんな実績ある登山者が、ヘリで救急搬送される事態に陥ったことがあるという。景信山(かげのぶやま)という、標高727メートルの低山での出来事だ。目的地は山頂直下の茶屋。そこで、山岳会の仲間約30人とともに餅つきをするというものであった。

和気あいあいとした雰囲気のもと、餅つきは昼過ぎに終了し、下山することになった。伊藤さんは、トイレに行っている仲間を、登山道の脇で待った。そこは赤土がむき出しになった斜面となっており、伊藤さんは特に深い考えもなく、斜面に右足を置いた。

次の瞬間、足が滑って全体重が右足首にかかり、倒れ込んでしまう。「足首がありえない方向に90度曲がっていた」という。この時点で痛みはなく、なんでもないところで深手を負ったことで恥ずかしい気持ちが先に立った。

仲間が救助隊に119番通報し、応急手当をしてくれた。

救助隊の先発隊員が到着したのは1時間後。その時には、「患部はパンパンに腫れ上がっていた」。血圧が200を超えていることから、ヘリでの救急搬送となった。伊藤さんは簡易担架で山頂に運ばれ、そこでヘリにピックアップされた。10分ほどのフライトで医療施設に到着し、松葉杖を突いて帰宅。10日後に手術を行い、退院後は自宅療養に励んだ。

今ではすっかり回復し、再び登山を楽しめるようになった伊藤さん。「骨折はしたが、私は運がよかった」と振り返る。これが単独の山行で、スマホの電波も通じない奥地であれば、ただでは済まなかっただろうから。

羽根田さんは、低山での遭難が多い根本原因は、「油断や慢心」だと指摘する。滑りやすい斜面で転倒するリスクは、高山でも低山でも同じ。しかし、人里に近い、周囲に人がいる、電話が通じるという環境だと、どうしても警戒心はゆるむ。伊藤さんも、「景信山ごときで」という気持ちがあったと述懐している。羽根田さんは、以下のように書いている。

ありきたりな言葉かもしれないが、大事なのは「低山だから」とナメてかからず、さまざまなリスクがあるひとつの山だととらえ、しっかりリスクマネジメントを行うことであろう。
(本書34pより)

この書評を書いている筆者も、数年前に低山で遭難しかけた1人。痛い目にあって後悔するくらいなら、体験者から教訓を学んで対策するのが、ずっと賢明だ。特に登山の初心者には読んでほしい1冊である。

【今日の教養を高める1冊】
『低山遭難-「まさかの遭難」から生きて帰った人たち』

羽根田治著
定価1870円
東洋経済新報社

文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。

 

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