
六代目市川染五郎さん(現・二代目松本白鸚)が演じた堺の商人呂宋助左衛門(るそん・すけざえもん)を主人公にした1978年の大河ドラマ『黄金の日日』は、長い大河ドラマの歴史の中でも異色の作品として知られています。織田信長を高橋幸治、羽柴秀吉は緒形拳、明智光秀は内藤武敏が演じました。
実在の人物とはいえ、ほとんど史料のない助左衛門ですが、劇中では、堺の今井宗久(演・丹波哲郎)の奉公人から商人修行をスタートさせます。盗賊として有名な石川五右衛門(演・根津甚八)、織田信長を銃撃したことで知られる杉谷善住坊(演・川谷拓三)と幼なじみという設定でした。
堺の商人ということで、信長や秀吉(木下藤吉郎)などとも接点があり、織田信長陣営から鉄砲の発注を受け、越前の敦賀まで鉄砲を運んでいる途中に、浅井長政(演・伊藤高)が離反したために「金ヶ崎の退き口」に遭遇。木下藤吉郎とともに逃避行するなど、歴史的事件に「商人」としてかかわる展開が頻出します。比叡山延暦寺の焼き討ちに遭遇し、命からがら生き延びたり、本能寺の変の際には、光秀が遣わした毛利方への密使を「保護」するなど、今となっては「名場面」と認定されるシーン、さらには、杉谷善住坊の鋸刑、石川五右衛門の釜茹でなど、印象的な場面が多い作品としても知られています。
阿鼻叫喚の比叡山延暦寺
『黄金の日日』では、本能寺の変で信長が討たれることは描かれましたが、明智光秀が信長を討つに至った「動機」面は深掘りされていません。
それでも、若干のヒントのような回は描かれました。第12回で「叡山焼打」の回です。
比叡山延暦寺を焼き討ちにせよ、と命じる信長と光秀のやり取りです。5年前の『国盗り物語』でのやり取りとの比較もおもしろいです。『黄金の日日』では、信長に対峙したのは光秀と秀吉になります。
「比叡山延暦寺を灰燼の地とせよ」と信長が命じます。光秀は、700年も国家の安寧を護ってきた延暦寺を破壊することは「国家への反逆。神仏への狼藉」であると訴えます。
それに対して信長は、「叡山の坊主どもというのは、あれはムジナぞ。大ムジナが坊主に化けて叡山に住みつき、世々の天子や民をだまし続けて来たのだ。大語りも700年も続けば、もっともらしい権化となるによって、このあたりでわしが大鉄槌をくだし、眼を覚ましてやろうと思う。いわばムジナの巣の大掃除よ」と光秀の進言などどこ吹く風です。
秀吉が僧侶らをどうするか尋ねたところ、信長は「いうには及ばぬ。根切にしてしまえ」とこともなげに発します。「山にいる僧侶はすべてが僧兵とは限りません。叡山は古来より天台法華宗の根本道場でもありますれば、修行中の幼い学生もおり、天下に隠れなき高僧名僧もおります。これらの者にひきぐちを与えませんと」と秀吉が進言すると、信長は、「引き口はいらぬ。有智無智の僧たるを問わず、おんな子童(こわらわ)にも仮借は無用。山中の人影はみな切り捨てよ。形あるものには火を放て。全山人気(ひとけ)なき焼山にしてしまえ」と情け容赦ありません。
台詞を聞いているだけでは「????」だったのが「有智無智(うちむち)」です。音で聞くと、一瞬なんのことかと脳内が混乱したのですが、活字でなぞると理解可能になります。吉川英治著『新書太閤記』で信長が発した台詞が以下になります。
「有智無智の僧たるを問わず、貴僧と堂衆のけじめなく、僧形たれば一人も逃すな。児童、美女とて仮借はするな。俗体といえ、この山にかくれ、火を見ておどり出る者は今日までの害物とみてさしつかえない。みなごろしとして址(あと)を人気もなき焼山としてしまえ」
特筆すべきは、比叡山延暦寺の焼き討ちの描写です。火に包まれた僧侶や、兵士になで斬りにされる僧侶など、焼き討ちの「阿鼻叫喚」がしっかり描かれました。その一方で、比叡山のふもとにある秀吉の陣にねね(演・十朱幸代)が訪れる場面も描かれました。ちなみに『黄金の日日』のねねは、かなり濃厚な尾張弁話者でした。
荒木村重謀反で語られた「信長への謀反の動機」
前述の通り、『黄金の日日』では明智光秀が信長を討つに至る動機については深掘りされていません。それでも、節々に「光秀の心情の転変」にかかわる場面が挿入されました。そのうちのひとつが、天正6年(1578)の「荒木村重の謀反」です。光秀は、村重配下で摂津の高槻城を治めていた高山右近(演・鹿賀丈史)を説得するために高槻城を訪ねます。
光秀の来訪を受けた高山右近は、「そもそも石山本願寺を包囲する荒木方の手の者が本願寺方に兵糧を売り流しているという風聞が信長公のお耳に届いてしまったのが始まりでございまする」と、村重謀反の動機の一説を持ち出します。摂津守というのが村重のことです。
高山右近は光秀にこういったのです。
「摂津守殿もあのときすぐに安土に申し開きに伺候しておれば、ことは済んでいたにもかかわらず、それをためらい伺候のときを逃してしまわれた。わが主摂津守殿はかねてより信長公を敬うというよりは、恐れておりました。実にこのたびの反旗も信長公への恐れの一心から翻されたものにすぎません」
「領土をえさに己の部下をまるで道具のように扱い、用済みになれば情け容赦もなく斬り捨ててしまわれる信長公のやり口に比べ、毛利には決して幕下を見捨てぬという家風がござる。摂津守殿の心が揺れ動いたのもその故でございます。人の心というものは決して欲得だけで左右されるものではございません。無謀な反逆と申されても、この反逆には人間の血が通ってございまする」
『黄金の日日』で明智光秀を演じた内藤武敏さんは、2000年の『葵 徳川三代』まで15作品に出演した「レジェンド俳優」です。『葵 徳川三代』が39作目ですから、かなりのハイペースで出演していたことがわかります。『黄金の日日』の明智光秀以外にも、『おんな太閤記』で千宗易、『徳川家康』で本多正信、1986年の『いのち』では役所広司さん演じる浜村直彦の医学部時代の恩師水田教授を演じるなど多彩な役を演じてきました。
読み上げられる「小早川隆景宛て光秀書状」
さて、本能寺の変です。
海外から帰国して瀬戸内海の港に寄港している助左衛門の船が嵐に見舞われます。そこに嵐で難破した「飛脚船」から書状を持った武士が救助されます。助左衛門は、その書状の中身を確認するのですが、これがなんと、ほぼほぼ『別本 川角太閤記』などに記されている小早川隆景宛明智光秀書状そのもの。劇中では、その書状が読み上げられます。
急度(きっと)、飛激(ひげき)をもって、言上せしめ候(そうろう)。こんど、羽柴筑前守秀吉こと、備中において乱妨を企て候条、将軍御旗を出だされ、三家御対陣の由、まことに御忠烈の至り、長く来世に伝うべく候。然らば、光秀こと、近年、信長に対し、憤りをいだき、遺恨もだしがたく候。今月二日、本能寺において、信長父子を誅し、素懐を達し候。かつは将軍御本意を遂げらるるの条、生前の大慶、これに過ぐべからず候。この旨、宜しく御披露に預かるべきものなり。誠惶誠恐(せいこうせいきょう)。
惟任日向守
小早川左衛門佐殿
『黄金の日日』の「本能寺」では、明智家の桔梗の幟も、森蘭丸も登場せず、信長による「是非に及ばず」の台詞も挿入されませんでした。ナレーションで読まれる光秀書状の背景で、助左衛門と信長の出会いや思い出の場面、さらには、本能寺で応戦する信長が「スローモーション」で流されました。回想が挿入される演出は1965年の『太閤記』と同様になります。
1965年の『太閤記』から13年。高橋幸治と緒形拳による信長と秀吉が再登場ということで話題を集めた『黄金の日日』。「信長や秀吉の危急のときにはなぜか助左衛門がそばにいる」というハチャメチャな展開が、放映当時も物議を醸したようですが、「それでも面白かった」と「名作だった」と評価する声が根強い作品なのです。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











