はじめに-松永久秀とはどのような人物だったのか
2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場する松永久秀(まつなが・ひさひで、演:竹中直人)は、戦場で槍を振るう豪傑というより、行政と軍事の両輪でのし上がった人物です。三好長慶(みよし・ながよし)のもとで文書実務を担う「右筆(ゆうひつ)」から出発し、やがて大和を平定して城を築き、畿内の政争のど真ん中で生きました。
そして最後は、織田信長(演:小栗旬)に服しながらも再び背き、信貴山(しぎさん)城で自害…名物の茶釜「平蜘蛛」の逸話とともに名を残します。誇張も多い人物だからこそ、確かな資料をもとに何をした人かを追うと、戦国のリアルが見えてきます。
『豊臣兄弟!』では、藤吉郎(演:池松壮亮)や小一郎(演:仲野太賀)とも交流を深めていく人物として描かれます。

松永久秀が生きた時代
松永久秀が活躍した16世紀中頃の畿内は、室町幕府の権威が大きく揺らぎ、将軍家が政治の主導権を握れない状態でした。そこへ、三好長慶(みよし・ながよし)が畿内を支配し、さらに内部抗争が広がります。
「権威はあるが力が弱い」、「力はあるが正統性がない」ねじれの中で、久秀のように行政と軍事の両面で動ける人物が台頭しやすくなりました。
松永久秀の生涯と主な出来事
松永久秀は永正7年(1510)に生まれ、天正5年(1577)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
出自は不明、三好長慶の右筆として台頭
久秀の前半生は史料が乏しく、出自ははっきりとしません。確かなのは、遅くとも天文年間には三好長慶に随従し、当初は右筆、のち訴訟取次(奏者)として文書・裁許の実務を担っていたということです。
その後、弘治2年(1556)頃までに久秀は摂津滝山城主(現在の兵庫県神戸市葺合町)となり、摂津西半国の経営や播磨方面の軍政を任されたとされています。
大和平定と多聞山城、興福寺支配の終焉
永禄2年(1559)、久秀は大和信貴山城主(現在の奈良県生駒郡平群町)となり、永禄3年(1560)から永禄4年(1561)にかけて大和平定を進めます。

永禄5年(1562)には奈良に多聞山城を築き、大和を押さえました。これは、奈良・興福寺の数百年にわたる大和支配の枠組みを終わらせる出来事として位置づけられます。
三好三人衆とともに将軍足利義輝を襲撃
永禄7年(1564)に三好長慶が没すると、幼主・義継(よしつぐ)を軸に再編されますが、久秀と「三好三人衆」(三好長逸〈みよし・ながやす〉・三好宗渭〈みよし・そうい〉・石成友通〈いわなり・ともみち〉)の関係は次第に悪化していきます。
永禄8年(1565)5月19日、久秀は三好三人衆らとともに将軍足利義輝を襲撃し、義輝を暗殺。覚慶(のちの足利義昭)を奈良に幽閉しました。

内紛が畿内全域へ…東大寺大仏殿炎上
しかし、久秀と三好三人衆は内訌(ないこう)し、分裂していきます。この争いは、奈良・河内・大和・南山城へと広がりました。永禄10年(1567)には、混乱の中で東大寺大仏殿が炎上し、大仏も焼失します。
「東大寺の大仏は久秀が焼いた」という話は有名ですが、三人衆側の失火とみられるなど、断定できない点があることは押さえておきたいところです。「戦国の梟雄」と呼ばれるだけあって、久秀像はこうした事件の象徴とみなされがちな側面があります。
織田信長に服属するも…
永禄11年(1568)9月、足利義昭を奉じた織田信長が入京。畿内の勢力図が一気に塗り替わります。久秀は信長に降り、大和一国の支配を安堵されました。
しかし、元亀2年(1571)5月、久秀は武田信玄に通じ、信長に背いたとされます。将軍義昭の動きも絡み、畿内は再び不穏になります。
ただ、天正元年(1573)に信玄が病没し、同年に義昭も追放されて室町幕府が崩壊すると、形勢は信長有利へ。久秀も同年に降伏して許されました。
冷徹・酷薄な信長が久秀を許した背景としては、久秀の能力に利用価値があったからではないかといわれています。

二度目の離反と最期
しかし、天正5年(1577)8月、久秀は再び信長に背き、信貴山城で抗戦します。織田軍の猛攻の前に同年10月、子の久通とともに自害しました。
このとき、名物の茶釜「平蜘蛛」を抱いて果てたという逸話が広く知られています。「名物を献上して助命を得る」こととは反対に、名物ごと炎の中に消えたと語られるところに、久秀という人物像が垣間見えるようです。
まとめ
松永久秀が「梟雄」「悪人」と呼ばれるのは、前半生がほとんど知られず、急速に成り上がったためでしょう。将軍・足利義輝を暗殺したことも影響しているのかもしれません。
一方で、堺の豪商と通じて財をなし、茶道に通じた文化人でもありました。
史実と俗説が絡み合う人物だからこそ、久秀は戦国時代の不穏さを思い出させる存在として、今も語られ続けるのでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/ぐう(京都メディアライン)
写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)











