
やわらかな春の雨が田畑を潤し、草木の緑をいっそう深めていく「穀雨(こくう)」。この頃に降る雨は、百穀を潤し、発芽を促す恵みの雨とされ、春植えの農作物に恩恵をもたらす大切な雨でもあります。花は咲き満ち、新芽は伸び、季節はゆるやかに初夏へと向かいます。そして、この節気の終わりには、夏の始まりを告げる八十八夜が訪れます。
この記事では、旧暦の第6番目の節気「穀雨(こくう)」について下鴨神社京都学問所研究員である 新木直安氏にお聞きしました。
穀雨とは?
2026年の「穀雨」は、【4月20日(月)】にあたります。この頃に降る雨は、農耕にとってとても大切なものでした。田畑に水をもたらし、春に植える作物の根づきを助けることから、昔の人々はこの時期の雨を「恵みの雨」として受け止めてきたのです。
晴れの日の明るさも心地いいものですが、穀雨の頃のしっとりとした雨には、春の盛りを支える静かな力が感じられます。
穀雨は、春の最後の節気。花々が咲き満ち、若葉がいっそう色濃くなる一方で、この時期の終わりには八十八夜が訪れ、季節はいよいよ夏の入口へと向かいます。

七十二候で感じる穀雨の息吹
穀雨の期間は、例年【4月20日〜5月4日ごろ】。七十二候ではこの時期をさらに3つに分け、自然の細やかな変化を映し出しています。細やかな自然の変化に目を向けると、春の終わりから初夏への移ろいが、よりいきいきと感じられるでしょう。
初候(4月20日〜24日頃)|葭始生(あしはじめてしょうず)
水辺の葭(あし)が芽を吹き始める頃です。川辺や湿地に、みずみずしい緑が広がり始め、初夏の気配が差してきます。
次候(4月25日〜29日頃)|霜止出苗(しもやみてなえいずる)
晩春の霜がおさまり、稲の苗がすくすくと伸びてくる頃。農作業が本格的に動き出します。
末候(4月30日〜5月4日頃)|牡丹華(ぼたんはなさく)
牡丹(ぼたん)が大輪の花を咲かせる頃です。ふくよかで華やかなその姿は、春の最後を飾るにふさわしく、穀雨の豊かさを象徴する花ともいえるでしょう。
穀雨を感じる和歌|言葉に映る穀雨の情景
皆さま、こんにちは。絵本作家のまつしたゆうりです。今月は大好きなこの歌をご紹介します!
あしひきの 山のしづくに 妹(いも)待つと 我(あ)れ立ち濡れぬ 山のしづくに
大津皇子(おおつのみこ)『万葉集』107
《訳》山のしずくに私は濡れてしまったよ、愛しい君を待って、山のしずくに。
《詠み人》大津皇子(おおつのみこ)。天武天皇の第三皇子として生まれ、文武両道で人気も人望もあったが24歳で謀反の罪で自害。『万葉集』では四首の歌が残っており、どれも彼の魅力的な性格が垣間見れて、惹かれてしまうのがものすごく頷けます。

この歌が詠まれた季節は書かれていませんが、なんとなく、状況的にこのくらいの季節がいちばんぴったりだなあと思っていつも想像します。
詳しく見ていきましょう。まず、年頃の男女が山で待ち合わせをしていたようです。これは当時ちょっと珍しいシチュエーション。というのも当時は妻問い婚なので、男女の逢瀬といえば男性が女性の家を訪れるのが相場。それも必ず夜。そして夜が明けるまでに帰っていく。今のように昼間にどこかで待ち合わせ、というのはちょっと特殊なケースなんです。
この山の待ち合わせも夜なのかもしれませんが、平地でも夜道は怖いのに、山道を夜にウロウロしたとは考えにくいかなと思うと昼間なのかな? と思っています。そこで待ち合わせをしていたのに、どうやらお相手の女性は来なかった。その女性に向け、男性が贈った歌なんです。
詠み人は大津皇子。文武両道、人望もあった『万葉集』の中でも屈指の人気の皇子様です。そんな彼が、山の湿気か霧なのか⋯ 木の葉から垂れてくる雫に濡れるまで待っていたよと、どこかおどけたように伝えています。「皇子のこの私を待ちぼうけさせるなんて君くらいだよ(笑)」的な、相手の奔放さへの愛と、それを受け止められる余裕とを歌から感じて、懐の深い男だなあ、物凄くモテていたんだろうなと妄想してしまいます。
その歌への返事も物凄くオシャレで、そんなモテ男さんがメロメロになっただけあるな、と思わず唸ってしまいます。その歌では、お相手の石川郎女(いしかわのいらつめ)さんは待ちぼうけさせたことに言い訳も謝りもせず、「あなたを濡らした、その山のしずくになりたかったわ」と軽やかに返しているんです。こんな大人の余裕のある恋愛をしてみたい! と思わず憧れてしまう、万葉歌の中でもぶっちぎりで大好きなやり取りだったりします。
相手が好きゆえに、相手の一挙手一投足にそわそわハラハラし、思った通りの反応がないとマイナスに考えて落ち込んじゃう。恋に落ちたら、そういう人がほとんどじゃないでしょうか。でも、そんな不安いっぱいで出した気持ちが、相手にとって心地いいわけなんてない。嫌な気持ちにさせてしまって、そこにまた落ち込んで⋯ なんていうことを繰り返した記憶が誰しもあるはず。恋だけじゃなく、どんな人とのやり取りも、同じなんじゃないかなあと思うのです。
そんなとき、このやり取りを思い出してほしい。彼らと同じようには出来ないし、出来なくていいけれど、皇子様なのに待ち合わせをドタキャンされて笑っていた人もいるんだな、と思い出して、ちょっとふふっと笑えたら。次に出てくる思考も言葉も、少し緩むかもしれません。
今も昔も、人ってぜんぜん変わらない。
だとしたら、こう考えることもできるんじゃないかなと思うのです。
「これまで何千何万のあなたと同じように悩む人がいて、その人たちがいつでも寄り添ってくれている、歌という形を通して」。
この一年、二十四節気を通して二十四の歌と心を届けてまいりました。嬉しい歌、悲しい歌、はっと気付かせてくれる歌。心に残った歌は、ありましたか?
ひとつでもあなたの心に響き、暗い夜にあなたの心を照らすともし火のひとつとなれば嬉しく思っています。
星の見えない夜も、そっとお気に入りの歌をどうか、これからも口ずさんでみてください。
「穀雨を感じる和歌」文/まつしたゆうり
穀雨に行われる行事|春の終わりを彩る習わし
穀雨の頃は、春の盛りを惜しみながら、次の季節へ向けた支度が始まる時期でもあります。田畑では農作業が本格化し、人々の暮らしの中でも、春から初夏への移ろいを感じさせる風習や行事が見られます。自然の恵みに感謝しながら季節を迎える、その心を感じてみましょう。
八十八夜
穀雨の終わりに近づくと、「八十八夜」が訪れます。これは立春から数えて八十八日目にあたる日で、例年5月2日頃になります。2026年は【5月2日(土)】です。
古くから農作業を始める目安とされ、「八十八夜の別れ霜」といわれるように、この頃から霜が降りなくなって天候が定まります。
また、この日は新茶の茶摘みが始まる頃としても知られています。「夏も近づく八十八夜」という唱歌でも親しまれ、春から初夏への橋渡しを感じさせる季節の言葉となっています。

壬生狂言(みぶきょうげん)
京都・壬生寺(京都市中京区)では、4月29日から5月5日にかけて「壬生狂言」が行われます。これは大念仏法要(だいねんぶつほうよう)で、鎌倉時代に寺の中興の祖とされる円覚上人(えんがくしょうにん)が、疫病退治のために融通念仏を広めたことに由来。国の重要無形民俗文化財に指定されています。
「壬生狂言」において、演者たちは面をつけ、言葉を発せず、身ぶり手ぶりだけで物語を演じます。数百枚の炮烙(ほうらく)を落として割る「炮烙割(ほうらくわり)」も名物のひとつ。境内には人々の熱気が満ち、晩春らしい華やぎと祈りの空気が漂います。
穀雨に見頃を迎える花|雨に映えて咲く、晩春の彩り
穀雨の頃になると、春の花々はいよいよ盛りを迎え、野や庭はやわらかな色彩に満たされます。しっとりとした雨に濡れた花びらは、晴れた日とはまた違う美しさを見せてくれるもの。春の終わりから初夏への入口に咲く花々には、季節が次へと移ろう気配が静かに宿っています。
藤
穀雨の頃を代表する花のひとつが藤です。長く垂れ下がる花房が風に揺れる姿は、どこか優雅で、古くから人々に親しまれてきました。薄紫や白の花が連なって咲く様子は、まるで春の名残がそのまま形になったかのよう。
藤棚の下に立てば、やわらかな香りと淡い色合いに包まれ、晩春ならではの情趣が感じられます。雨に濡れた花房はとりわけ美しく、穀雨のしっとりとした空気にもよく合います。

牡丹(ぼたん)
原産国である中国では「花王」と讃えられる牡丹も、穀雨の頃に見頃を迎える花です。日本には遅くとも平安時代に渡来しました。大輪の花をゆったりと開く姿は華やかさと気品が同居しており、安土桃山時代には障壁画に多く描かれました。
七十二候のひとつに「牡丹華」があるように、この花は穀雨という節気を象徴する存在でもあります。晴れた日に映えるのはもちろん、雨にしっとりと濡れた花びらにもまた、格別の美しさがあります。

穀雨の味覚|旬を味わい、季節を身体に取り込む
旬のものを味わうことは、自然のめぐりを身体に取り込むこと。やわらかな若芽や新しい実り、ほどよく脂ののった魚介には、春から初夏へ向かう季節の力が宿っています。恵みの雨に育まれた、この時季ならではの味覚を楽しみたいものです。
野菜|さやえんどう
さやえんどうは、やわらかな莢(さや)と、みずみずしい青みが魅力で、彩りを添える食材としても重宝されます。さっと塩ゆでするだけで甘みが引き立ち、卵とじや煮物にもよく合います。
春の野菜ならではの軽やかな口当たりは、冬の重たい味わいから季節が変わってきたことを実感させてくれるでしょう。

魚|鯵(あじ)
春から夏にかけて旬を迎える鯵は、食卓でも親しまれてきた身近な魚です。「鰺」の字に含まれる「参」は、旧暦三月、すなわち今の五月頃が旬であることにちなむともいわれています。
塩をきかせた鯵の開きも美味しいですが、旬の鯵は刺身や握りが格別です。とりわけ有名なのは「鯵のたたき」。この食べ方が広まったのは伊豆地方ともいわれています。もともとは、漁師が船上でとれたての鯵のはらわたを取り、味噌を混ぜて食べた「沖なます」が始まりとされる、素朴で力強い漁師料理です。
京菓子|藤浪(ふじなみ)
穀雨の頃の京菓子には、晩春の花景色が映し出されます。万葉時代、風になびく藤の花房を波に見立てて「藤浪」という歌語が生まれました。その名を冠した、生菓子が「藤浪」です。
京菓子は、ただ甘みを楽しむだけでなく、季節の景色を皿の上で味わうものでもあります。藤の花が風に揺れるさまをひとつの菓子に映した「藤浪」は、穀雨の頃の静かな華やぎを感じさせる一品です。

写真提供/宝泉堂
まとめ
穀雨は、春の雨が田畑を潤し、花を咲かせ若葉を育てる、恵みの節気です。藤や牡丹が咲き、旬の食材が豊かに出そろうこの頃、自然は春の盛りをゆっくりと深めながら、次の季節へと歩みを進めています。
やわらかな雨に耳を澄ませ、季節の花を眺め、旬の味覚を味わう…。そんなひとときの中に、穀雨ならではの静かな豊かさが感じられるのではないでしょうか。
●「和歌」部分執筆・絵/まつしたゆうり

絵本作家、イラストレーター、文筆家。共著『よみたい万葉集』 (2015年/西日本出版社/第6刷)。『大伴家持くんのへっぽこ万葉歌絵日記』(河出書房新社)2026年11月刊行予定。【絵本原画展】2026年11/1(日)〜14(土)(東京/狐弾亭)。WEBサイト:https://www.yuuli.net/ インスタグラム:https://www.instagram.com/yuuli_official/
監修/新木直安(下鴨神社京都学問所研究員) HP:https://www.shimogamo-jinja.or.jp
協力/宝泉堂 古田三哉子 HP:https://housendo.com インスタグラム:https://instagram.com/housendo.kyoto
構成/菅原喜子(京都メディアライン)HP:https://kyotomedialine.com Facebook











