文・写真/高櫻沙己子(海外書き人クラブ/フランス在住ライター)

シャモニー中心街

2021年7月、日本が東京オリンピックで賑わっていた頃、フランスはロックダウン解除後初の夏のバカンス期を迎え、明るい雰囲気に包まれていた。長いこと休業を余儀なくされていた、ホテル・レストラン・カフェもやっとフル開業。6月からの衛生パスの導入で、ヨーロッパ各地から徐々に観光客が戻り始めていた。

規制がほぼ全面解除されていた7月末、筆者も急ぎバカンスに出ることに決めた。
向かった先はシャモニー・モンブラン。リヨンから車で2時間半、高速を乗りつぎ約230kmを走ると、眼前に壮大な山並みが現れる。車窓から吹く風は爽やかで、高地に来たことを実感した。

シャモニーの街中には、フランスナンバーの車のほかに、イギリス、ベルギー、オランダナンバーの車がちらほら。
長かったロックダウン疲れを癒すために、アルプスの自然を求めてやって来た人々だろう。私たちもここで少しゆっくりできると思うと嬉しかった。

シャモニー・モンブランには、たくさんの観光名所があるが、今回は3大名所の一つ、フランス最大の氷河「メール・ド・グラース」をご紹介したい。

メール・ド・グラース氷河2021年7月

メール・ド・グラース氷河へは、モンタンヴェール登山鉄道シャモニー駅から、赤色2両編成の可愛らしい電車に乗り込んで、山をトコトコ20分程登っていくと、山上のモンタンヴェール駅に到着する。車窓からは谷の眺めが楽しめるので、行きは進行方向左側に座ることをおすすめする。

駅舎を抜けると、フランス最大の氷河メール・ド・グラースの展望台がある。「眼下に広がるのは美しい氷河!」と思いきや、私の目に映ったのは、灰色の砂利道のようなメール・ド・グラース氷河であった。
「これがメール・ド・グラース?」と、私同様、初めて訪れる息子と顔を見合わせた。

1900年当時のメール・ド・グラース氷河

疑問はさておき、まずはメール・ド・グラース氷河の観光の目玉である「氷の洞窟」を見に行くことにした。駅から小さなロープウエイで崖の中腹まで降り、その後、崖にかけられたメタルの階段を、はるか下方にある氷の洞窟まで降りていく。この500段以上ある長い階段は、崖のかなり上方から始まっているので、良くも悪くも見晴らしが良く、スリリングである。

氷の洞窟

洞窟の入り口は、灰色の氷河の壁にそっけなく掘られていた。しかし、中に入ってみると、澄んだ青と白の美しい氷の世界が広がり、息を呑む。ライトアップされた氷は透き通り、長い階段を降りてきた甲斐があった思う程美しい。外側の灰色の氷河も、内側はこのように美しいのだろうと思うと、残念に思えるのと同時に、「なぜ?」という疑問が湧いてきた。

有酸素運動さながら、500段の階段を昇って展望台に戻ると、もうひとつ別の展望台があることに気づいた。閉鎖中のレストランのテラスで、氷河の正面に位置している。
じっくり正面から眺めても、この灰色の氷河の理由はわからない。なんとも腑に落ちない気分でいると、ツーリストに説明をしているガイドさんが目に入った。説明をされているのはCNRS(国立科学研究センター)の地質学者のラヴァネルさんで、氷河と地球温暖化の関係を説明されていた。

実はこのメール・ド・グラース氷河、「地球温暖化の証人」と呼ばれているのだ。

温暖化の影響で暖冬が続き、夏に解けた分の氷河が、冬に十分に再形成されない。夏に解けた分が冬に回復できれば、本来の姿を保つことができるのだが、冬の氷河の形成が十分ではないために、氷河は毎年後退し、厚みを失い、縮小化しているのだ。

ラヴァネルさんによれば、氷河が後退し、厚みを失い続けている結果、モンタンヴェール駅から氷の洞窟までの距離はどんどん延びて、今年も新たに70段の階段を足したという。このままの状況が続けば、30年後にはメール・ド・グラース氷河は消滅するかもしれないそうだ。

もう少し詳しく知りたいと言うと、駅の反対側にある博物館(Glacioriu)をすすめられた。ここでは、メール・ド・グラース氷河と、地球温暖化の関係を説明する資料やヴィデオを見ることができるので、興味のある方にはぜひ立ち寄っていただきたい。また、この博物館周辺は緑が多いので、美しい高山植物を楽しみながらの散策もおすすめだ。

博物館Glaciorium周辺

シャモニーからリヨンに戻り、メール・ド・グラース氷河について調べてみると、この氷河は、タキュル氷河とレショー氷河という、2つの氷河が合流して形成されており、形成後、氷河は下方に向かって毎年約800m移動していることがわかった。

1950年から2000年にかけて、この付近では気温が4度上昇。ちなみにアルプスでの温度上昇は、地球の他の場所に比べて2倍速いのだそうで、その結果、すでに述べたように暖冬が続き、冬の間に氷河が十分に再形成しなくなり、氷河は毎年約4mの厚みを失い続けている。
夏に解けた分の氷河を、冬に十分に取り戻すことができれば、昔ながらの白く雄大な姿を保つことができるのであろうが、それが叶わないことが、現在メール・ド・グラースが谷底で灰色になっている理由である。

1900年当時のメール・ド・グラース氷河散策
Collection du Musée Alpin de Chamonix-Mont-Blanc

現在、この氷河は毎年8~10m後退し、1850年当時に比べると約2kmも後退した。厚みに至っては、過去1世紀で約120mを失い、これが、フランス最大の氷河が谷底にある理由である。ちなみにモンタンヴェール駅地点では、今までに100mの厚みが失われたそうだ。

1900年当時のメール・ド・グラース氷河散策
Collection du Musée Alpin de Chamonix-Mont-Blanc

駅前の展望台に立ち、谷底の氷河を見ながら、かつては今よりも100m高い地点まで氷河があったのだと想像してみると、地球温暖化のインパクトの大きさに驚愕する。メール・ド・グラース氷河はまさに「地球温暖化の証人」なのだ。

山岳博物館(Musée Alpin)から、昔の写真を取り寄せてみた。どれも1900年当時のメール・ド・グラースの姿を思い起こさせてくれるもので、現在との違いに驚きを隠せない。この氷河に限らず、アルプスの現況は、フランスもスイスも似たり寄ったりである。
例を挙げれば、サヴォワ地方のマッシフ・ヴァノワーズでは、氷河が解けたことで、この40年間で新たに35の新しい湖が形成されたと報告されている。

美しいアルプスの影に、その自然を脅かす地球温暖化の存在がある。そのことを心に留めながら訪れていただきと思う。一緒にいたツーリストの「今のうちに見ておこう」という言葉を思い出す。
美しいアルプスの自然を愛するものとして、2050年カーボン・ニュートラル実現に向けて、私のできることを心がけていきたいと思った。

メール・ド・グラースサイト(英語): https://en.chamonix.com/la-vallee/patrimoine-culture/patrimoine-naturel-de-la-vallee-de-chamonix-mont-blanc/mer-de-glace
シャモニー観光局オフィシャルサイト(日本語):https://asia.chamonix.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E.html
アルプス美術館サイト(英語):https://musee-alpin-chamonix.fr/en/museum

1900年代の写真:アルプス美術館 Collection du Musée Alpin de Chamonix-Mont-Blanc

文・写真/高櫻沙己子(フランス在住ライター) 日仏ビジネス通訳。1998年からフランス・リヨンに在住。子育て後、専業主婦からビジネス通訳に転向。ワイナリー訪問が趣味。「海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)」

 

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