モアイ像が佇ずむイースター島。ポリネシアの東の果てにある絶海の孤島は、日本から訪れるにはあまりに遠いと思われていた。しかし、タヒチ直行便とチャーター便を乗り継げば、最短約18時間40分。かつての憧憬に、今なら手が届くのだ。

イースター島の東南端にあるアフ・トンガリキは島最大の遺跡。朝日を背に15体ものモアイが立ち並ぶ絶景を堪能できる場所だ。

地球の表面積の約3分の1にもなる太平洋。この大海原のうち、ハワイ、ニュージーランド、そしてイースター島を頂点にした三角形の内側はポリネシアと呼ばれ、共通の文化を持つ人々が暮らしてきた。

ポリネシアの島々は、海底火山の噴火や珊瑚礁の隆起によって生まれた。誕生以来、大陸とつながったことはない。アフリカ起源の人類は、東南アジアに至って太平洋と出会い、やがて舟を漕ぎ出して各地の島々に移り住んだのである。それはいつ頃のことなのか。

考古学者によって、次第に民族移動のシナリオが明らかになり、ポリネシアへの移動は、太平洋の民族移動史の最終章を飾るものだとわかった。国立民族学博物館教授の印東道子さんは言う。

「ビスマルク諸島(パプアニューギニア)から、点刻模様の美しい土器が発見されています。今から約3300年前のものです。同様の土器が東方の島々からも見つかりました。美しい土器を作った民族は、独自の航海術を持って、東へ東へと移動していったのです。そして、子孫を増やしながら、約2000年をかけてポリネシアの隅々にまで移住しました」

かくて、ポリネシア人たちは、太平洋の島々にふたつの世界文化遺産を残すことになる。ひとつはイースター島の巨石像群。そしてもうひとつが、タヒチにある中央ポリネシア最大の祭祀場だ。

*  *  *

イースター島はチリ領である。亜熱帯だが、朝夕は長袖を着る必要がある。フンボルト海流という寒流のため沿岸にサンゴは育たず、海で泳ぐ人もほとんど見かけない。

現代考古学では、この島にポリネシア人が移住し始めたのは紀元1000年から1200年頃だとされる。島で暮らし始めた人々はやがて、他では見られない建造物を築いていった。モアイである。

この巨石像群は、1995年に世界文化遺産に登録された。登録構成資産の総面積は、実に島の約4割に達する。唯一の町であるハンガロアに、島民約6600人の9割近くが暮らすので、町を出れば荒涼とした無住地帯が広がり、そこかしこに遺跡がある。

モアイは祖先神の象徴である。部族を見守るように、集落の方に向けてアフという祭壇に載せた。当時のポリネシア人たちは鉄器を知らず、石斧だけで石像を彫り上げた。当初は高さ3mほどだったが、力ある部族はどんどんモアイを巨大化させていった。高さが7mにもなれば重さは80t。それを人力で運ぶのである。費やされた労働力と時間は莫大だった。

ラノ・ララクは島の東端にある死火山の丘で、モアイの製造場所。彫り上げられたモアイは、麓で一度土中に埋め、あらかじめ決めた数を揃えてから集落まで運搬したという。

島を巡ると樹木が極端に少ないことに気が付く。モアイ運搬のために大伐採されたこともあって、生態系が激変したのだ。そこまでして築いた文化、文明だったが、18世紀になると部族間抗争が激化。その結果、モアイは次々に倒されていった。イースター島の遺跡は、人の営みの大きさとともに、儚さも物語るものなのである。

製造途中で放置されたモアイ。岩壁に直接石斧を入れて彫った。

20世紀半ばから始まった本格的な考古学調査は、発掘と復元の両輪で進められていった。その最初期から活躍してきた日本人がいる。ハワイ・ビショップ博物館の篠遠喜彦さん(93歳)だ。

篠遠喜彦さん。大正13年、東京生まれ。30歳でハワイ大学留学。卒業後はビショップ博物館に勤務。人類学部長を務めた後、その功績から永年上席研究員となる。

篠遠さんはこう言い続けてきた。

「モアイは凝灰岩という比較的軟らかい岩石でできています。200年も倒れたままなら、風雨に曝されて脆くなっている。それを突然立てたのでは、たちまち崩壊してしまいます。歴史の証拠として、倒れたままにしておくべきモアイもたくさんあるのです」

そんな篠遠さんの尽力もあり、イースター島には、製作の途中や横たわったまま保存されているモアイも多い。また、主な遺跡にはレンジャーが数人で詰め、遺跡の保護活動を行なっている。現在、立っているモアイは約300体、全体では約1300体になる。

島の西端、ハンガロアの町から徒歩20分ほどにあるタハイは復元が進んだ地区で、夕日を眺めるには絶好の場所だ。モアイの載る祭壇は3か所あり、写真はアフ・バイウリである。

現代の旅人は、守られながら往時の姿を伝える遺跡の前に立ち、手を触れたい衝動を抑えて静かに見学するほかない。周囲には目視できる陸地がない孤島だ。東の端に行けば朝日は太平洋から昇り、西の端に行けば太平洋に沈む夕日を堪能できる。

日の出や日の入りとともに、物言わずに島の過去を語る遺跡を静かに眺める。島を訪ねた人だけが味わえる、至福の時間が過ぎてゆく。

イースター島滞在におすすめしたい宿『ハンガロア エコビレッジ&スパ』は自家発電を行なうなど環境に配慮。全棟低層で75室。1室1泊約7万円〜。Av. Pont S/N Hanga roa Chile 電話:+56・32・2100・299

イースター島の面積は163.6平方kmで、沖縄県の宮古島よりやや大きい程度。島内に数社あるガイド会社の送迎付きツアーに申し込むのが便利だ。

さて、ポリネシアの島々の東端に位置するイースター島は、日本からもっとも訪ねにくい島のひとつだった。定期就航している便を乗り継いで行く場合、アメリカに渡った後、チリの首都サンチャゴを経由して、飛行時間だけでも1日をはるかに超えてしまう。

その点、やはり中央ポリネシアのタヒチに本拠を置く「エア タヒチ ヌイ」を利用すれば、ポリネシアへの旅が圧倒的に楽になる。

「エア タヒチ ヌイ」はエアバス社のA340-300という信頼性の高い機種を使用する。座席は2つのクラスに分かれ、計296席。

「エア タヒチ ヌイ」では、成田国際空港からタヒチ島のパペーテまで、毎週月曜と土曜に、定期便が就航している。また、タヒチからイースター島へはチャーター便が出ることもあり、この航路が現在、日本からイースター島へのもっとも最短飛行時間の航路となる。

チャーター便とは、旅行会社が特別に発注して就航させる飛行便だ。旅行情報を集める際、「エアタヒチ ヌイ」のチャーター便であることを確認しておきたい。

次回は、ポリネシア人たちが太平洋の島々に残したもうひとつの世界文化遺産、タヒチにある中央ポリネシア最大の祭祀場をご紹介しよう。

取材・文/藍野裕之 撮影/小倉雄一郎(本誌)

協力/エア タヒチ ヌイ
http://www.airtahitinui.jp/charter_flight/

※この記事は『サライ』本誌2017年11月号より転載しました。

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