
文・写真/市川美奈子(海外書き人クラブ/台湾在住ライター)
「台湾に行ったら、故宮を見てみたい」この発言を聞いたら、台北にある「国立故宮博物院」を連想する人が多いのではないだろうか。
しかし実は、台湾には2つの故宮があることをご存知だろうか。よく知られているのは台北にある故宮。こちらは厳密には「北部院区」だ。もうひとつの故宮とは、台湾南部の嘉義県太保市にある「南部院区」のことである。
台湾南部にある、もうひとつの故宮。知られざるその実態に迫る。
故宮南院とは
故宮南院は国立故宮博物院(北院)の分館として、2015年12月28日に開館した。
故宮南院の第一印象は、とにかく壮大。北院も十分大きいのだが、南院の敷地面積は70ヘクタールで、北院の16ヘクタールの4倍以上。広大な土地に、現代風の建物がどっしりと構えている。建物につながる長さ141mの至美橋(しびきょう)は橋脚がないアーチ橋。美しい湖面を眺めながら建物に向かう動線は、入り口にたどり着くまでの高揚感を高めてくれる。

故宮南院の建設が計画されたのは2000年代。2001年、台湾中南部への分院建設計画が公表されると、14の自治体から20件もの誘致申請が寄せられた。2002年10月に候補地が嘉義県、台中市、高雄市などの8箇所に絞られ、2003年1月に嘉義県太保市への建設が決定した。
南院のある土地にはもともと台湾糖業のサトウキビ畑が広がっており、道路も通っていなかったという。南院を迎えるにあたり、嘉義県は道路の建設や周辺電線の地下化などに尽力した。南院は嘉義県の熱烈なアプローチと大々的な協力によってこの地に造られたといえる。
嘉義県がそこまで熱心に南院を招き入れたのはなぜなのか。それは南院の「台湾中南部地域の文化、教育、社会及び経済の発展を促す」という使命に関連している。
台湾行政院主計総処が発表している「家庭収支調査」のデータによると、故宮分院の建設計画が発表された当時、嘉義県の1世帯あたりの可処分所得平均は660,383元(当時のレート1元=約3.6円で換算すると約237万円)。台湾の全23県市(当時)の中で21位と、かなりの低水準だった。なお、同年の台北市の可処分所得は1,217,932元(約438万円)。台北市と比較すると、嘉義県の可処分所得は台北市の5割程度しかない。
文化、教育、社会とGDPには非常に強い相関性がある。GDPで周辺県市の後塵を拝する嘉義県には、故宮南院という文化の象徴を誘致することで、教育、社会及び経済の発展を促進したいという切なる願いがあった。
北院は「中華文化」、南院は「アジア芸術文化」
北院の展示が「中華文化・宋元明清の文物」をテーマとしているのに対して、南院の展示はより範囲が広く、「アジア芸術文化全般」をテーマとしている。台北から移送された作品に加え、独自の収集品も展示しているのが特徴だ。
南院はアジアがテーマなので、日本関連の展示が行われることもある。近年特に圧巻だったのが、2025年5月~8月に行われた「江戸浮世之美」という展示会。葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿などの著名な作品218件が南院に展示された。作者名だけで、非常に豪華なラインナップであることが容易に想像できるだろう。

富嶽三十六景や東海道五十三次など、日本だったらおそらく大混雑でとてもゆっくり見られない作品ばかり。そんな選りすぐりの作品を集めた展示会だったが、ほどよい混み具合で、自分のペースで心ゆくまで作品を鑑賞することができた。まさか異国の地で富嶽三十六景と対峙できるとは。贅沢すぎる時間だった。
この現象はなにも海外の作品に限ったことではない。
故宮で必見の文物として知られている「清 翠玉白菜」や「清 肉形石」が、期間限定で南院に出張してくることがある。南院では北院に比べてゆっくり鑑賞できるともっぱらの評判だ。

日本でも人気の高い「清 翠玉白菜」は、2026年12月8日から2027年3月7日まで南院で展示される予定だ。
故宮南院までの旅路を「五分車」で楽しむ
故宮南院がある地は、台湾糖業のサトウキビ畑が広がる農地だった。この土地の記憶を後世に伝えているのが、高鐵嘉義駅から故宮南院までを結ぶ「糖鉄」(とうてつ/タンティエ/Sugar Train)だ。

糖鉄は、かつて製糖鉄道としてサトウキビを運搬していた車両を観光用に転用した鉄道。国際標準軌(1435mm)に対し、762mmのナローゲージ(狭軌)であるため、中国語で半分を意味する「五分」の車、通称「五分車(ごふんしゃ/ウーフェンチャー)」と呼ばれて親しまれている。

糖鉄の建設は日本統治時代の1900年代にまで遡る。当時、台湾中南部はサトウキビが一大産業であり、サトウキビ畑と工場を結ぶ鉄道が各地に作られていた。用途は「営業線」と「専用線」に分かれており、営業線は貨物輸送のほかに人々の足としても使われていた。専用線はその名のとおり、サトウキビの輸送のみを担っていた。糖鉄の全盛期の総延長距離は3,000kmにも達していたという。
台湾の産業構造の変化に伴い、糖鉄は大半の区間で既に運行を終えているが、雲林県の虎尾糖廠(とらおとうしょう)の五分車はいまでもサトウキビを運んでいる。また、嘉義県を含む一部区間では観光用として運行されている。

嘉義県にある糖鉄の路線は蔗埕線(しょていせん)といい、高鐵嘉義駅と故宮南院を結んでいる。途中の停車駅である蒜頭(さんとう/スワントウ)駅では、日本統治時代の1909年に開業した木造駅舎が今でも使われており、駅の敷地内には往時を駆け抜けた車両が多数展示されている。


高鐵嘉義駅から蒜頭駅までは3.4kmで30分、蒜頭駅から故宮南院までは1.2kmで15分の旅路だ(ただし高鐵嘉義駅から蒜頭駅までの区間は2027年4月まで運休中)。レトロな五分車に揺られながら、故宮までの旅をゆっくりと楽しんでみては。


故宮南院へのアクセス
高鐵嘉義駅から無料シャトルバスで約15分。「五分車」の旅を楽しみたい場合は、バスまたはタクシーで糖鉄蒜頭駅まで移動し、そこから故宮南院行きに乗車。
※ 嘉義県政府の治水工事のため、高鐵嘉義駅から蒜頭駅までの区間は2027年4月中旬まで運休中
故宮南院
開館時間:平日9:00~17:00、土日祝日9:00~18:00 月曜定休
価格:大人150元(約750円)、18歳未満は無料
住所:嘉義県太保市故宮大道888号
URL:https://south.npm.gov.tw/
糖鉄
価格:(蒜頭~故宮南院) 大人150元(約750円)、小人75元(約375円)
運行時刻
(土日祝日)
・蒜頭発故宮南院行き:9:40、10:30、11:20、13:20、14:20、15:20、16:20
・故宮南院発蒜頭行き:10:05、10:55、11:45、13:50、14:50、15:50、16:40
(平日)
・予約制による運行 最少運行人数:30人
URL:https://www.taisugar.com.tw/chinese/attractions_detail.aspx?n=10048&p=77&s=89
文・写真/市川美奈子 (台湾在住ライター)
民間企業、外務省外郭団体などの勤務を経て、2023年4月から行政機関の職員として台湾に駐在。早稲田大学第一文学部卒。台湾の奥深さに魅了され、台湾各地のさまざまな街を旅行&取材。訪れた先々で、その土地ならではの美食を堪能するのが楽しみ。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の会員。







