緩やかな丘陵と広い空の中で。

文・写真/伊藤康弘(海外書き人クラブ/スイス在住ライター)

手伝いをする代わりに宿泊と食事を提供してもらう「workaway」初体験

定年退職という現実が、私にも巡ってきた。

実は、私はスイスのフランス語圏に長年住んでいる。しかし、言い訳にしかならないが、日系の教育機関で働いてきたので、恥ずかしながら現地の言葉は日常会話もままならない。そういうわけで再就職は厳しい。だからと言って、趣味だけでのんびり余生を暮らすにはまだ若い、と自分では思っている。

それで何か人様のお手伝いができる手段はないかと調査した結果、「workaway」というマッチングサイトに行き着いた。これは世界170か国に展開しており、家庭や農場などで、手伝いをする代わりに宿泊と食事を提供してもらう、相互交換を通じた文化交流型のプラットフォームである。受け入れ側が手伝いを求める仕事は、畑仕事や家畜の世話、有機栽培農園の手入れ、ガーデニングやDIYなど、実にさまざま。この種のことは費用を抑えながら世界を旅したいバックパッカーの若者がやるものだと思っていたが、サポート担当者に尋ねたところ「大丈夫、平均年齢は40歳ですよ」との返事だった。

ちなみにこの「workaway」、日本でも利用可能だが英語のサイトのみで日本語はないようだ。利用料金はいくつかパターンがあるが年間59米ドルから。

オンラインで自分のプロフィールを登録し、自分に合いそうなホストを探した。その中で私の目にとまったのは、フランスの片田舎で木材処理と畑仕事をし、趣味が木工という78歳のじいさんの手伝いをしながら暮らすというものだった。だが、一つ高いハードルがあった。じいさんのプロフィールには「連絡はフランス語のみ。外国語は話しません」という注意書きがあったのだ。しかし私は、自分の趣味も木工で日曜大工が得意であること、そしてもちろん自分のフランス語が使い物にはならないことも正直に書いて、メッセージを送った。

10日ほど経った頃だったろうか、やはりダメかと思っていたところに返信が来た。「2週間ぐらい滞在できるか?」。OKの返事である。この機会を逃す手は無い。すぐに返事をして受け入れてもらうことになった。

農作業や大工仕事に耐える衣類や靴をバイクの荷台にくくりつけ、スイスの自宅を出た。山を越え、国境を越え、幾つもの町を抜けた。地上は畑、その上は広い空という景色の中(冒頭写真参照)、最後は未舗装の道を入って目的地に着いた。

ホストであるじいさんとその奥さん、ホストの息子家族4人が温かく迎えてくれた。その温かさは言葉を超えていた。それだけに自分の気持ちを言葉にできないもどかしさを感じ、フランス語と真剣に向き合わずに歳を重ねてしまったことを後悔した。数えきれないくらいの回数、経験したことではあるが……。

翌日の朝から早速仕事が始まった。

私の仕事の一つは畑の水やりだった。私が滞在した時期はフランスが熱波に襲われており、38度の気温と乾燥が連日続いていたので水やりは重要な仕事だった。ちなみに水源は敷地内の湧き水である。じいさん曰く、枯れたのを見たことが無いそうだ。作物もだが、仕事中は人間もこの水で喉を潤す。

人と作物を潤す湧水。

畑には、トマト、ナス、玉ねぎ、じゃがいも、インゲンマメ、ズッキーニ、アーティチョーク、いちご、レタス、ルバーブなどが育っている。食べごろになったものから順次収穫され、日々の食卓に並ぶ。肉やチーズなど自給できないものは、毎週水曜日の地元のマルシェで仕入れる。

ある日の夕飯は、畑で採れたズッキーニをふんだんに使ったトマトソースのパスタとレタス。デザートは、畑のルバーブで作ったケーキ。食後に並ぶ数種類のチーズのうち、一つはヤギの乳で作ったものだった。「あそこのヤギのチーズだよ」。顔見知りのヤギなのである。

常々日本の低い「食料自給率」という数字を、好ましくないデータとして眺めてはいた。しかし、地元のマルシェと自分で育てる野菜で成立する食卓で、食料自給率とは単なるデータではなく「自分が食するもの、つまり命の源を何に依存しているか」という、とても具体的なものであることを実感させられた。

もう一つの大きな仕事が、薪づくりだった。伐採されて草原に積まれ、乾かされていた木を、冬の暖房用の薪にする。この家には「うちの森」がある。その森から伐採した木が薪になり、木工の材料にもなる。土地から得られるものが生活に密着している。

トラクターのエンジンの力で作動する薪割り機。

薪割りには、近所から借りてきた薪割り機を使った。そのパワー、なんと17トン。丸太が「メキメキッ」と音を立てて割れていく。日本であれば素人には手伝わせない作業かもしれないが、こういう仕事が好きな私にとっては何とも豪快で、作業の成果が目の前に積まれていく達成感が新鮮だった。そしてその積まれていく先はといえば、KOMATSUのショベルローダーのブルの中なのである。ブルがいっぱいになると切断作業をしやすい場所まで運び、そこで大型ベルトソーで暖炉に入るサイズに切っていく。「木材処理の手伝い」というのはこういうことだった。

ショベルローダー。
ベルトソー。
積まれていく薪。

「78歳。趣味、木を使ったもの作り。木材処理と畑仕事の手伝い求む」。じいさんのプロフィールを私は甘く見ていた。巨大なKOMATSUを自分の指先のように操り、木材処理をした後の木くずの片付けも豪快に済ませてしまう。そういう78歳だったのである。

滞在させてもらった家が建てられたのは、1800年代末。築130年ほどになる。もちろん内装や設備は近代的に改修されていた。

初代はじいさんの曽祖父。その後、代々受け継がれて、じいさんの息子が5代目、そして8歳の孫が6代目候補だという。そして、この家には先代の仕事が今も残っている。

じいさんの父親は大工だった。家に隣接する古びた倉庫には、さまざまな種類の木材が、板状に製材され、乾燥させた状態で保存されている。私が使わせてもらっていた部屋の、彫刻の入ったベッドフレームやタンスも、自分の森の木を製材して先代が作ったものだそうだ。

最近よく「サステナブル」とか「SDGs」という言葉を耳にする。一般に、これらの言葉を耳にするとき、環境を意識してものを選ぶことに義務や負担を伴いがちではないだろうか。しかしこの家では、あえてSDGsを掲げる必要がない。森の木を使い、土地の水を引き、採れたものを食べることが、長年続いてきたこの家の合理的な暮らし方が、限りなく「サステナブル」に近いからだ。

森の木は趣味の材料にもなる。彼は本職を引退してから木工旋盤を始めたそうだ。

実は私自身も木工が趣味だ。だから、この受け入れ先を選ぶとき彼の趣味が木でものを作ることというのは大きな理由だった。

木工旋盤。

ある日、木工旋盤を使ってボウルを作った。回転する木に刃物を当てる。少しずつ形が変わっていく。私にとって木工旋盤は初体験だったが、じいさんの指示はフランス語なのに、なぜかわかった。一緒に木を削れば、なんとなく気持ちも通じる。趣味の世界に入ればこちらから伝えたいことも増える。拙いやり取りをしながら日本の盃を作り、知る限りの作法も教えた。

日本の伝統的食器、盃を伝授。

隣村の彫刻クラブの集まりにも連れて行ってもらった。そこには元気な高齢者たちが集まっていた。皆さん、とても優しい。好きなものが同じというのは、言語の壁を低くしてくれる。私のフランス語は、どうひいき目に見ても下手だ。それなのに、「あなた、フランス語わかるのね」と言って、自分の作品制作を手伝わせてくれる。

熱心に作品制作する人たち。

年齢は聞いていないが、おそらく平均70歳を超えている。それでも皆さん、若々しい目の輝きを持っている。

「定年な。俺も何年か前に通ったよ」と言う彼の笑顔は、実に生き生きとし、気高くもあった。

いい歳をして、言葉も満足にわからない国の農家に滞在し、生活を共にさせていただいた。そして感じたのは、「仕事をする」ということの意味だ。一般に「定年」を迎えると、人は「生産者」から「消費者」、あるいは「余生を過ごす人」へと分類される感覚がある。日本だと「高齢者」に区分される。しかし78歳の彼は、暮らしを支えるものを生産したり、私のような人間を受け入れたりして、世界とつながり続けている。

彼は「高齢者」という言葉から想像する人物とは違っていた。

木工旋盤を回しているときは、趣味に没頭する「じいさん」だ。畑仕事をしている姿は、作物に愛情を注ぐ「じいさん」である。ところが、世間が「いい歳をして」と評価しそうな作業となると別人になる。そんなじいさんと、手伝いを通して時間を共有できたことは私にとって幸運だった。

定年を迎え、自由に使える時間を得たからこそ、できることがある。定職に就いていた頃にはできなかったこと。「今さら」と思っていたこと。

だから、「いい歳をして」、ではない。
「老後」、でもない。
「いい歳になった」。
定年とは、そういうことらしい。

workawayのサイト https://www.workaway.info/

文・写真/伊藤康弘 (スイス在住ライター)
スイスにある全寮制の学校で寮監、教員として長年勤務。現在は退職。教科書を離れたので、遅ればせながら自分の目でスイスや周りの国を見ておこうと地味に活動中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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