「本来の自然な行動を引き出すための多様な工夫が環境エンリッチメントです」
1997年から’98年。大学院の研究員という立場でアメリカの動物園を精力的に取材したのが作家の川端裕人さんだ。動物展示の最先端をルポした『動物園にできること』は、一般向け書籍ながら日本の動物園関係者の間でも話題になった。注目を集めたのは環境エンリッチメントという概念だ。



作家。科学・自然・動物関係の著書多数。市民ZOOネットワークのエンリッチメント大賞審査員も務める。著書に『動物園から未来を変える』ほか。
「説明に迷いましたが〈動物園で飼育されている動物の精神的身体的な健康をあの手この手で向上させる試み〉と表現してみました」
動物の身体的健康はともかく、精神的健康とは何だろうか。
「たとえば野生のホッキョクグマは、広い範囲を移動しながら狩りをします。探索をして、獲物を見つけて、狩りをするのが、彼らの本来の生き方です」
退屈も強いストレスになる
狭い場所で飼い続け、安易な給餌方法で空腹を満たすことは、長い進化の歴史の中で獲得された形態や行動とマッチしないのだ。
環境エンリッチメントは、家畜研究から発展した動物福祉の考えが土台になっている、と川端さん。動物福祉は5つの自由という原則からなるが、動物園でなおざりにされがちだったのが〈本来の行動を発現する自由〉だった。
「アメリカでも、初期の努力は個々の飼育員のネットワークを通じて広がり、後に組織的なものになりました。日本では予算規模が違うからできないわけではなく、だからこそできる余地があるのが環境エンリッチメントです」
『動物園にできること』が出てからもしばらく、環境エンリッチメントの位置づけは日本の動物園・水族館においても飼育員個人の努力に属するものだった。それが今では、園館を挙げて取り組むべき基本的なことになっているそうだ。
川端さんおすすめ1:豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)(愛知県豊橋市)

大型肉食獣の野性に火をつける「屠体給餌」
動物園で飼われている動物の中には、同じ場所を繰り返し行き来したり、ぐるぐる回る個体がいる。
「常同行動と呼ばれ、ストレスの指標にもされています。ストレスを緩和するための行動という見方もありますが、動物からのサインであることには違いありません」
こう語るのは豊橋総合動植物公園の伴和幸さん。屠体給餌が動物に与える影響などを研究する。
「ライオンで行動測定していますが、傾向としては休息時間が長くなります。毛皮や骨は消化に時間がかかるためと考えています」
野生ライオンの映像を見ると、横になっていることが多い。つまり腹ごなしの時間だ。動物園では人間が食べるような精肉を与えるため、すぐに消化してしまう。時々は生理に即した変化付けを行なう。それも屠体給餌の考え方だ。
「去年生まれた3頭の子ライオンにも与え始めました。あごをよく使うので、頭骨の形成などにもよい影響があると思います」
屠体給餌
大型の動物の肉を、毛皮や骨などがついた状態で飼育動物に給餌する方法。動物園では通常、精肉などを与える。だが、皮を引きちぎる、骨を砕く、毛ごと食べるといったことを経ず飲み込むため、野生下よりも行動が単調で採食時間が極端に短くなるなどの課題があった。日本では2017年頃より始まり、増えすぎて駆除された野生のシカなどが使用されている。


ストレスは小さな工夫で解消できることも


環境エンリッチメントの方法はさまざまだ。ライオンの場合も屠体給餌ばかりではない。じつは放飼場に日陰ができるよう寒冷紗をかける配慮なども環境エンリッチメントのひとつ。伴さんは言う。
「サバンナの動物だから直射日光が平気なわけではないんですよ。大切なのは、自分の意思で選べる場を作ってあげることです」
豊橋総合動植物公園では、種の特性に合わせてアイデアを練り、動物福祉度向上を目指す。
「アジアゾウにも注目していただきたいです。うちのゾウ舎は日本最大クラスです。ゾウは群れで暮らす動物で、本来は長距離を移動します。可能な限り広いほうが、彼らには適しているのです。
ゾウは水遊びが大好きなので池も広く取っています。そしてゾウの飼育で最も大切な部分のひとつ、それが足元の環境なんです」
ゾウの踵は脂肪組織からできている。この厚いクッションによって体重からくる負荷を吸収分散し、肢の健康を守っている。
「肢を痛めて立ち上がれなくなったゾウは自重を支えられません。その先にあるのは死です。ですから床はコンクリートではなく砂を厚く敷いて踵にかかる負担を減らしています。肢の裏に石が挟まると化膿の原因になります。そうならないように小石拾いもこまめに行ないます」
ゾウは砂浴びもするという。床材の見直しも動物園の流れだ。


壁の砂の地面のほうが歩きやすくて快適!

豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)
愛知県豊橋市大岩町字大穴1-238
電話:0532・41・2185
営業時間:9時〜16時30分(最終入園16時)
定休日:月曜(祝日の場合は翌平日)、12月29日〜1月1日
料金:大人600円
交通アクセス:JR東海道本線二川駅下車、徒歩約6分
川端さんおすすめ2:長崎バイオパーク(長崎県西海市)

ビーバーが満足するまで、好きに林の木を運ばせる
ビーバーは頑丈な歯で木を齧り取って堰を作る。水を貯めて生活圏にするためだ。巣の入口は水面より下にある。天敵からの防衛手段である。有名な習性だが、これまで動物園でビーバーのこうした習性を感じ取ることはできなかった。
「今までの飼育では木を齧らせるくらいで、ビーバーという動物の行動レパートリーを引き出すまでにはいたらなかったのです」
こう語るのは長崎バイオパーク飼育係長の山本燿一朗さん(31歳)だ。ビーバーにとっての環境エンリッチメントを考えていたときに浮かんだアイデアが、展示場に橋を架け、園路や周囲の林まで行けるようにすることだった。つまり行動の自由の拡大である。
「ビーバーは林の木を齧り倒しました。驚いたのは、それをくわえて歩き始めたことです」

向かった先は元の展示場。ビーバーは木の葉を食べるが、幹や枝、泥でダムを作る。材料を自由に持ち帰れるようになったことで、ダム作りの本能に火が付いたのだ。
「外へ出ても木をくわえれば自発的に帰ることもわかり、展示に反映できるようになりました」
この発見で長崎バイオパークは環境エンリッチメント大賞2023の「インパクト賞」を受賞した。
長崎バイオパーク
長崎県西海市西彼町上岳郷950-1
電話:0959・27・1090
営業時間:10時〜17時(最終入園16時)
定休日:無休
料金:大人2100円
交通アクセス:東京から飛行機利用の場合は長崎空港からJR長崎駅、長崎バスで時津北部ターミナル乗り換え、長崎バイオパーク下車。長崎駅から約90分
取材・文/鹿熊 勤 撮影/藤田修平 写真提供/豊橋総合動植物公園、長崎バイオパーク
※『サライ』2026年6月号より












