「籠城」という言葉を聞くと、城門を閉ざし、ひたすら耐える戦いを思い浮かべる人もいるかもしれません。
けれども戦国時代の籠城は、ただ身を潜めるだけではありませんでした。兵糧や水を蓄え、敵の攻撃をしのぎ、援軍や好機を待つ… そこには明確な戦略があったのです。
2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、城にこもる側と、それを包囲して落とそうとする側の知恵比べが描かれることでしょう。信長や秀吉の戦いを理解する上でも、「籠城」は知っておきたい重要なキーワードです。

「籠城」とは何?
まずは、読み方から確認しましょう。
「籠城」の読み方は……
「ろうじょう」です。
籠城とは、城に立てこもって敵と戦うことを指します。
味方が劣勢のとき、あるいは野戦で戦うより城にこもったほうが有利なとき、城は大きな防御拠点となりました。高い土塁や石垣、堀、曲輪(くるわ)などを備えた城は、少ない兵でも持ちこたえやすく、敵に大きな損害を与えることができます。
ただし、籠城は「こもれば安心」というものではありません。長く持ちこたえるには、兵糧、水、矢弾、火薬などの備えが欠かせません。敵に囲まれれば城外との連絡は断たれ、城内の物資だけで耐えなければならないからです。
つまり籠城とは、守りの戦いであると同時に、どこまで計画的に備えていたかが問われる戦いでもありました。
後世(1645年)には、籠城戦を勝ちぬく心得を記した書物『兵法雄鑑』も見られます。
戦国時代、籠城はなぜ駆使された?
ここでは、籠城をすることはどのような意味を持っていたのかを見ていきましょう。
野戦だけでは勝負が決まらなくなった
戦国時代、城は領国支配の拠点として大きな役割を持つようになりました。大名や国衆は、それぞれの城を中心に家臣団をまとめ、周辺地域を支配します。
そのため、敵を倒すには野戦で勝つだけでは足りません。相手の本拠となる城を押さえなければ、その勢力を本当に屈服させたことにはならなかったのです。逆にいえば、劣勢に立った側は城にこもることで、なお抵抗を続けることができました。
こうして籠城は、戦国の戦いで重要な意味を持つようになります。
時間を味方につける戦法だった
籠城の強みは、時間を稼げることにあります。攻める側は多数の兵を集め、長期間の包囲に耐えるための兵糧や資材を準備しなければなりません。しかも、包囲している間に援軍が来るかもしれず、後方から逆襲を受けるおそれもあります。
そのため、城方は持ちこたえるだけで攻め手を疲弊させることができました。ときには夜討ちや奇襲で敵陣を乱し、戦況を変えようとすることもあったといいます。籠城は消極的な守りではなく、城という地の利を使った持久戦だったのです。
秀吉や信長の時代の代表例
ここでは、3つの籠城の例を見ていきましょう。
荒木村重の有岡城籠城
信長の時代の籠城でまず思い浮かぶのが、荒木村重の有岡城籠城ではないでしょうか。村重は信長に重用され、摂津(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)一国を任されるほどの立場にありましたが、天正6年(1578)に信長へ反旗を翻します。
有岡城にこもった村重は長く抗戦しましたが、周囲の城が落ち、中川清秀や高山右近など味方も離れて孤立していきます。やがて村重自身は城を脱出し、城は落城しました。
この例は、籠城が強力な防御策である一方、味方との連携や外部支援を失えば限界があることもよく示しています。

三木城-「兵糧攻め」
三木城の籠城戦も有名です。播磨(現在の兵庫県南部)の別所長治(べっしょ・ながはる)が毛利方につき、三木城にこもって秀吉に抵抗しました。
これに対し秀吉は、城を力攻めするのではなく、周辺の支城や砦を次々に落として補給路を断ち、城を完全に孤立させました。いわゆる「三木の干殺し」です。籠城側は長く耐えましたが、兵糧が尽き、ついに長治は家臣の助命を条件に自害して開城に至りました。
兵糧攻めは城攻めの基本であり、効率もよかったことから多用されました。

備中高松城-「水攻め」
もう一つ挙げたいのが、備中(現在の岡山県西部)高松城の例です。秀吉はこの城を攻める際、堤を築き、河川を引き入れ、城を孤立させる「水攻め」を行いました。城方は水に囲まれた中での籠城を強いられました。一方の秀吉は、これにより毛利方からの補給網を遮断し、大きな成果をもたらしました。
ただし、石田三成による忍(おし)城攻めでは堤防が決壊し、水攻めに失敗したことから、以降この戦法は使われることはなくなったといわれています。

最後に
信長や秀吉の時代には、有岡城、三木城、鳥取城、備中高松城など、数多くの籠城戦が歴史を動かしました。大河ドラマ『豊臣兄弟!』を見るときも、「なぜ城に籠ったのか」「なぜ落ちたのか」という視点を持つと、戦国の駆け引きがいっそう立体的に見えてくるはずです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。
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写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)











