
中国の古い医学書には「上工(じょうこう)は未病を治す」という言葉があります。「上工」とは優れた名医のこと。つまり「本当に腕のいい医者は、病気になってから治すのではなく、病気になる前の未病の段階で手を打つ」という意味です。
私たちも、病気になってから慌てるのではなく、日頃から体を整えておきたいものですね。
そして、多くの人が日常的に抱える「目の疲れ」。これは、あまりに身近な不調ですから、私たちはつい見過ごしてしまいます。でもこれを、体全体を巡る大きな循環という視点で見直してみると、滞りを教えてくれる小さな合図へと変わります。
本連載では、国際中医専門員である志村幸枝先生に、中国伝統医学の知恵から心と体の違和感について、そのサインを読み解いてもらいます。
今日は、眼精疲労のお悩みを持つ男性が相談に訪れています。ちょっと覗いてみましょう。
【今日のお悩みカード】
相談者:53歳・男性(住宅設備メーカー勤務)
主な症状:夕方になると目がショボショボする。目の疲れがつらい。目薬をさしても改善しない。
目薬をさしてもスッキリしない、疲れ目
「若い頃は多少無理をしても、平気だったんですが…」そんな前置きをしながら、男性は話を始めました。
「最近、目の疲れが気になります。画面を見ているのもつらいし、夕方になると目がショボショボして。眼科でメガネを作り直し、目薬も試しました。でも、どうもスッキリしない。人混みや、仕事で展示会に行くと、帰る頃には頭までぐったりしてしまう。もし、なにかいい対処法があれば教えて欲しいです」
そう言いながら、男性はぽつりと付け加えます。
「最近、休日は自然の中で過ごすようにしていて。目の休養もありますが、なんとなく、静かな場所でぼんやりしたい、というか」
そんな男性に向かって、志村先生は問いかけます。
「普段の生活で、目はどのくらい働いていると思われますか?」
「朝はスマートフォン(以下、スマホ)でニュースを見ながら電車で通勤。会社ではパソコンに向かってデスクワークも多いです。趣味の野球観戦も、スマホとテレビでチェック…。こうして振り返ってみると、朝から晩まで何かしらの画面を見つめていますね」
「画面からは強い光が出ていますから、目にとっては強い刺激です」
そう言って志村先生は、中医学では目の疲れをどのように捉えるのか、まずそこから話を始めました。
目の疲れと、脳、メンタルの疲労には深い関係が
中医学では、「気(生命エネルギー)」「血(けつ、栄養を巡らす力)」「水(体内の水分の巡り)」の3つの要素で体の巡りを捉えます。これらが滞りなくスムーズに巡ることで、健康な体を保つことができます。
目の健康には、この3つの要素のうち、「血」との関わりが特に深く、この巡りがよければ、目は健やかに働きます。
こむら返りと「肝血」の消耗
さらに志村先生によると、『血』を蓄えているのは、五臓の中の『肝(かん)』の役目だそう。

「『肝は目に開竅(かいきょう)する』とも言います。目の健康を考えるなら、『肝』を健やかに保つことが大切、ということです。
ちなみに『肝』の『血』が不足してくると、目の疲れの他にも、爪が割れたり、関節が筋張ったり、あるいはこむら返りが起きやすくなったりするのですが…、心当たりはありませんか?」
「それも関係あるんですか? 痛みで飛び起きるくらいのこむら返りが、毎晩、続けて起きることがあります。『今日は来ないでくれ』と祈るような気持ちで眠りにつく日も、あって」
「こむら返りは、『肝血(かんけつ)』が消耗したとき、表れやすい症状です。もしかしたら、その前に、なにかきっかけがあったのかもしれませんね。『肝』に負担をかける要因は、緊張やストレス、なにか刺激が多い生活が続くこと、ですが…」
「きっかけ? 刺激というのは、スマホの光や、都会の雑踏のことですか?」
「そうです。体の外から受けるあらゆる刺激に対して、『肝』は柔軟に対応しながら、体を守っていますから。現代医学でいうところの、自律神経系を担っている感じですね」
「あ…、それなら思い当たりがあります。仕事で年に2回ほど、大きな展示会に参加します。広大な会場で強烈な照明や音、人混みにもまれて、PCやスマホもフル稼働。そんな中で、商談対応に追われる。
そういえば、こむら返りが激しく起きるのって、いつもその出張の夜、ホテルのベッドが多い」

「まさにそれですね。視覚からの過剰な刺激は、『肝血』を消耗させてしまいます。ホテルで起きたこむら返りは、フル回転した『肝』からの合図だったんですね」
「まさか、目の疲れの相談に来て、脚のつりの話になるとは思いませんでした…」
『心(しん)』と精神活動の関わり
志村先生は、目の疲労と切り離せないもうひとつの要素として、五臓の『心(しん)』についても、教えてくれました。

「情報が多すぎる生活は『肝』だけでなく、『心』をも消耗させていきます」
「『心』の消耗…? それは、心(こころ)や、メンタル面まですり減らすということですか?」
「その通りです。中医学でいう『心』は、循環器系だけでなく、精神、意識、思考活動など、大脳の精神神経の活動も担っていると考えます。
『心』の消耗は、脳の疲れ、さらにメンタルの落ち込みにも影響が出てくる。
私たちは『見る』ことを、目だけの働きとして捉えがちです。でも実際には、目で受け取った情報は、脳で処理されて初めて『見えた』と認識します。つまり、目が疲れるということは、膨大な情報を処理し続けた脳もまた、疲れています」
「それだけではありません。五感すべてに受ける情報も同じです。
展示場では、視覚、聴覚への強い刺激を受けながら、顧客対応にも気を張って、頭もフル回転。そんな、情報があふれる場所では疲れて当然です。
先ほど、『ぼんやりと過ごしたい』とおっしゃっていましたが、その気持ちの根っこには、『心』の疲れが隠れているのかもしれません」
「ああ、わかります。昔はワクワクしていた展示会なのに、今は終わるころには頭がパンパン。家の玄関を開けた瞬間、『ああ、静かだ』って、そこで力が抜けるんです」
加齢による影響も…
「ここまで見てきた『肝』と、『心』は、どちらも日々の刺激によって疲れていく部分です。さらに、若い人と50代とでは、同じ刺激を受けても疲れ方が違います。
その違いを説明するのが『腎』です。

中医学では『腎』は生命力や、回復力の土台と考えています。多少無理をしても、立て直すことができる力、とも言えます。ところが、この『腎』のエネルギーは年齢とともに少しずつ減ってきてしまうもの…。
若い頃なら平気だったのに、50代になると光や音、人混みといった刺激でも、疲れが残りやすくなってしまうんです」
「たしかに、職場の若手を見ていると、チカチカ光る画面や大音量のデジタル音の中にいても、我々と違ってケロッとしている。やっぱり年か…。なんだか、がっくりくるな」
今日からできる引き算の養生法|「見ない」ための便利グッズ
「がっくりされる必要はありません。50代だからといって、なにも若者と同じ、旺盛なエネルギーを取り戻すことだけが解決策かというと、そうではありません。ご自身のキャパシティーに合わせて、受け取る刺激の、全体量を調整することもできるはずです」
情報を減らす養生
「中医学では、消耗した『気血』を養うためには、心身を静かに休ませる時間を大切にします」
そう言って、志村先生は日常でできる、おすすめの過ごし方を教えてくれました。
「ぼんやりする時間を意識して持つのは、大切な養生です。例えば、こんな工夫から試してみてはいかがでしょうか。
・昼休みに空を見上げる
・公園の緑を眺める
・電車ではスマホをしまう
・食事中は画面を見ない
・夜は照明を少し暗めにして過ごす」
「あぁ…耳が痛いです。せっかくのコーヒータイムなのに、片手でスマホを触りながら、頭の中で『打ち合わせであれをして、出張までにこれを整理して…』と。結局、せわしなく過ごしてしまう」
「そうですよね。それでは、せっかくの休憩なのに休まりません。現代人は『何もしない時間=無駄』と考えてしまいがちです。
でもじつは、ぼんやりするのは、『肝』や『心』を回復させる大切な時間です」

刺激を遮るためではなく「脳を休ませる」ための道具
「情報や刺激が飛び込んでくる現代だからこそ、あえて刺激を遠ざける工夫も、大切な養生のひとつですよ。
例えば、サングラス。これは、紫外線から目を守るだけではなく、『疲れないための保護メガネ』として、持っておくこともおすすめ。家電量販店のように、目からの情報が多い場所でかけておくと、疲れが軽減される、という方は多いです。
最近は、室内と屋外でレンズの濃さが自動で変わる「調光レンズ」など、選択肢も広がっていますよ」

また、視覚だけでなく「聴覚」からの刺激を減らすツールも進化しています。
「耳栓は『睡眠用』や『防音』というイメージがあるかもしれませんが、必要な音は聞こえつつ、街の雑踏や、不快なノイズだけを和らげてくれる『ノイズキャンセリング耳栓』もあります。小さく目立ちにくいものや、ファッション感覚で使えるデザインも多いです。
『今日は疲れているな』あるいは、『これから賑やかな場所へ行く』という日に、こうした道具を用意しておけば、光や音の刺激を和らげることができますよ」
あえて「聞かない」ことで守られる静けさ
最後に、志村先生は男性に伝えました。
「今日は『肝』、『心』、『腎』を整える漢方を出しておきますね。それから、先ほどお伝えした、引き算の養生も意識してみてください。目薬の回数も減るでしょうし、ずいぶん楽になると思いますよ」
「目の疲れなんて、よくある相談だと思っていましたが、思わぬ奥深さがありました」
そう口にした男性は、ふと昔の思い出を話してくれました。
「そういえば…、私の祖母は、晩年に耳が遠くなったのですが『余計な噂話や雑音が聞こえてこないから、かえって気持ちが静かで休まるんだよ』なんて言っていましたね。あの頃はピンときませんでしたが、全部を見て、聞いて、知り尽くさなくてもいいんだという、祖母なりの知恵だったのかもしれません」
それを聞いて、志村先生は大きく頷きながらこう締めくくりました。
「それは本当に、穏やかな時間を守るための知恵に富んだ選択ですね。若い頃は、新しい情報をどんどん取り入れる生き方が魅力的ですし、体もそれに耐えることができます。けれど、年齢と共に体の変化を感じる世代になったら、すべてを正面から受け止めなくてもいい。ときには『ぼんやりしたり、見ない、聞かない』という視点を取り入れてみると、体への負担が軽くなるかもしれません」
おわりに
目が疲れると、「目を休ませなければ」と考えがちです。しかし中医学の考え方では、「肝」が刺激に対応し、「心」が情報を処理し、その回復を「腎」が支えています。目の疲れを部分的な問題としてみるのではなく、体全体の働きとして捉えるため、「全体の情報量を減らす」ことも、養生として参考になります。
これは、脳と心に余白を取り戻し、本来の回復力を引き出すための積極的な養生。特に50代からは、体が本来持っている力を底上げするような生活習慣を、取り入れていきたいものですね。
※この記事は、国際中医専門員・志村幸枝先生が長年の相談経験に基づき、実例を再構築したものです。プライバシー保護のため設定は変更していますが、身体の悩みと見立ては現場の知見に根ざしています。
中医学において、身体の状態は千差万別です。紹介した養生法は一例であり、効果を保証するものではありません。ご自身の身体をより正確に知りたい方は、ぜひお近くの漢方薬店など、専門家を頼ってみてください。
身体に明らかな不調がある場合は、自己判断せず速やかに医療機関を受診してください。
●監修/志村幸枝

国際中医専門員。CoCo美漢方神戸勤務。登録販売者。漢方相談歴は28年。身体の変化を感じる年頃になり、自分を実験台に漢方と向き合う毎日。日常に絡めた喩え話で「伝わる中医学」をSNSで発信している。お酒を飲みながら美味しいものを食べている時が一番幸せ。趣味はおつまみ作り。
X:漢方しむしむ@simusim01454535
インスタグラム:CoCo美漢方神戸@cocobikobe0310
※ご相談のご予約はインスタグラムからお願いいたします。
●構成・文/もぱ(京都メディアライン)











