文/一乗谷かおり
「結構毛だらけ猫灰だらけ」といえば、ご存知、フーテンの寅さんの口上ですが、語呂がいいというだけで猫が灰だらけにされているわけではありません。かつては「灰だらけの猫」というのは、冬の風物詩のような存在だったのです。
昔は今と違って便利な電化製の暖房機器はなく、暖をとるには焚火や囲炉裏、火鉢、竈の炭火くらいのものでした。
人間よりも寒がりの猫にとって、冬はとてもつらい季節です。幸運にもご主人の布団に潜りこんで寝ることができた猫はいいのですが、底冷えする冬の日本を乗り切るために猫が見つけた場所が竈など火の側でした。
猫は炭火がおきている竈などのできるだけ近くに陣取って体を暖め、人間が火の始末をして寝てしまった後は、少しでも暖まろうと竈の中に潜り込んで寝入ったのでした。当然ながら、朝、竈から這い出してくる猫の姿は灰だらけだったのです。
こうした灰だらけの猫のことを「竈猫(かまどねこ)」と呼んでいました。竈は「かまど」以外にも、地方によって「へっつい」と呼ばれることもあるため「へっついねこ」といった言い方もあります。
■宮沢賢治のかま猫と郷土玩具
宮沢賢治の童話『猫の事務所』(1926年発表)の主人公は灰だらけの竈猫ですが、こちらは「かまねこ」と読ませています(出版された版によって、かま猫、釜猫、竈猫の表記があります)。
『猫の事務所』の中で賢治は、かま猫はいつも体が煤で汚く、鼻や耳は真黒になっていて、狸のような猫だから他の猫に嫌われると説明しています。かま猫としても汚れる竈に入りたくはないのですが、土用生まれだから皮膚が薄く、他の猫たちよりも寒がりで、夜中にくしゃみがでて仕方がないから竈に入らざるを得ないのだ、というのです。
筆者は子供の頃にこの小説を読んで、体質的な問題をどうすることもできず涙を浮かべるかま猫が不憫でなりませんでした。おとなになって、竈に入る猫が特別に皮膚が薄いというわけではなく、あくまで物語の設定であることがわかりましたが、子供心にはかわいそうなかま猫に共感した覚えがあります。
この童話が生まれた背景には、賢治が東北地方の出身であることが関係しているのではないでしょうか。昔は冬にはあちこちにいたと思われる竈猫ですが、日本の中でも特に寒い東北地方には、よりたくさんの竈猫が出現したはずです。
賢治の故郷である岩手県花巻には、江戸時代の享保年間(1716~1735)に作り始められたという「花巻人形」と呼ばれる郷土玩具の土人形が伝わっています。
花巻人形にはいろいろなモチーフがありますが、他の地方にはない「竈猫」も古くから作られてきました。特徴は、口の周りが黒いところ。
同じ猫でも、他の花巻人形の猫のほとんどが口の周りが白いのに対し、竈猫だけは口の周りや鼻の頭が灰で黒くなっている様子が表されているのです。ごはんをもらうのを待つのか、ちんまりとお行儀よく座っているのですが、口髭や顎鬚を生やしたように黒くなっていて、なんともひょうきんでかわいらしい人形です。
■春は猫を丸洗いする季節
「竈猫」は俳句の世界では冬の季語にもなっています。
「何もかも 知つてをるなり かまど猫」
富安風生(1885~1979)
猫は家の中で一番快適な場所を見つけることができる名人です。夏にはひんやりとした玄関の床に寝そべっていたり、冬には陽の当たる窓辺や炬燵の中にいたり。昔の家の中では、竈が一番暖かい場所だということを猫は知っていました。
竈の中は暖かいというだけではなく、ひっそりと潜っていれば家人の話声が聞こえたり、家の中の様子が伺えたりしたことでしょう。誰もいないと思っても、竈の中には猫が潜んでいる。知りたいこと、知られたくないことまでも猫はなんでも知っている。そんな意味の俳句です。
「竈猫」が冬の季語であるのに対して、春の季語になっているのが「猫洗う」です。冬の間、竈に潜りに潜って真っ黒になった猫。いくら汚いからといって、毎日洗われていたら猫もたまったものではありません。春になってもう潜らなくなったところで綺麗に洗ってもらうのです。
「猫洗ふ ざぶざぶ川や 春の雨」
小林一茶(1763~1828)
どうやら昔の猫は、川で丸洗いされていたようです。春先でまだ水も冷たかったはず。猫にとっては厳しい冬の終わりの最後の修行のようなものだったかもしれませんね。
物語の中に、俳句に、郷土玩具に描かれた竈猫。今では猫も竈に潜って灰だらけになり、部屋を汚して怒られることもなくなりました。炬燵もホットカーペットもストーブもエアコンもあります。
でも、なんといっても「猫は家族」という認識が深まっている今の時代、一番は飼い主さんの布団の中。宮沢賢治のかま猫も、飼い主さんがいて布団の中に入れてもらえたら、悲しい思いをしなくて済んだかもしれないと思うと、改めて灰だらけの竈猫に同情してしまうのです。
文/一乗谷かおり
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