今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「イマダモッケイタリエズ」
--双葉山定次

69連勝という大記録を持ち、最強の大横綱ともいわれる双葉山定次は明治45年(1912)大分に生まれた。5歳の頃、友達の吹き矢が右目に刺さって失明。10歳で母を亡くし、11歳のとき家業の海運業を手伝っていて錨の巻き上げ機に挟まれて右手の小指の先を失うなど、幼少期は苦難の連続だった。

15歳のとき地元の村相撲に引っ張り出されて強さを見せつけ、立浪部屋にスカウトされた。新入幕時代の体重は89キロという細身。それでも立ち会いから正攻法でいくため、どうしても相手に押し込まれる。それを船の上で鍛えた足腰で粘って土俵際で逆転する。「うっちゃり双葉」の渾名で呼ばれた所以だった。

69連勝の始まりは、昭和11年(1936)春場所の7日目。当時は年2場所制だったので、昭和14年(1939)の春場所4日目、安芸の海に負けるまで、ほとんどまる3年、勝ちつづけたのである。勝ちはじめたときは東前頭3枚目だったが、この間の連勝で出世を重ね、昭和12年(1937)には横綱に昇進していた。

次第に体も大きくなり(135 キロ)、相手の立つタイミングを受けて立ちながら、組んだときには先手をとっている「後の先」の立ち会いを身につけ、華麗な上手投げでファンを魅了した。

その双葉山が、70連勝をかけた安芸の海との一戦に敗れたとき、師と仰ぐ安岡正篤に打電したのが掲出のことば。打電したのは友人宛てで、それが共通の師である安岡正篤に伝えられたとも言われる。

漢字仮名まじり文にすれば「未だ木鶏たり得ず」。「木鶏」は文字通り木彫りの鶏だが、『荘子』達生篇に書かれている故事に由来することばとして、ものに動ぜず己の力を表に出して誇示することもない最強の闘鶏をたとえる。

故事を簡略に記しておこう。昔、あるところに闘鶏を育てる名人がいて、王が一羽の鶏を託した。10日ほどして様子を尋ねると、「まだ空威張りして闘争心が表に出ていて、どうしようもありません」との答え。それから10日後、再び尋ねても、「まだいけません」。その10日後も駄目。40日が経過したとき、とうとう「もうよいでしょう。他の闘鶏が鳴いてもまったく相手にせず、木鶏のように泰然自若としています。これならもう負けません」と、お墨付きが出たというのである。

つまり双葉山は、そうした木鶏の境地を目指して日々精進し、心技体の錬磨をはかっていたというわけ。昭和16年(1941)には立浪部屋を出て双葉山道場を設立。横綱をつとめながら後進の育成にも当たった。敗戦の年(昭和20年)の11月、33歳で引退。優勝12回のうち、8回が全勝優勝だった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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