嘉納治五郎像。

「精力善用、自他共栄」

嘉納治五郎 昭和13年(1938)5月4日没。77歳

講道館柔道の創始者として知られる嘉納治五郎は、教育家でもあった。熊本五高や東京高等師範学校の校長をつとめ、前者では小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を、後者では夏目漱石を教師として迎え入れた。

嘉納は英語も堪能で、小泉八雲は「熊本五高でもっとも英語のうまい人」ととらえていたようだ。

八雲は嘉納治五郎との出会いを通して、来日後2冊目となる著作『東の国から』の中に『柔術』と題する一篇を書き込んだ。これは、のちに嘉納が柔道を国際的に普(ひろ)める際の下地のひとつとなったかもしれない。

一方の漱石は東京高師の教師として雇用される前、校長である嘉納と面接。「教師たる者、学生の模範にならなければいけない」といった教師の理想像や教育事業の大切さを述べ立てる嘉納の言葉を真正面から受けとめ、「自分にはとてもできそうもありません」と断ろうとして、「そう正直に断られると、ますますあなたに来てもらいたくなった」と評価された。

若き漱石の生真面目さと嘉納の懐の深さを感じさせるこのやりとりは、漱石自身の胸にも深く刻まれたらしく、後年、小説『坊っちやん』の主人公と校長の対話の素材に、空気感はまったく変えながら使われることとなった。こんな具合である。

《校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話す積だが、先づ大体の事を呑み込んで置いて貰はうと云つて、夫(それ)から教育の精神について長い御談義を聞かした。おれは無論いゝ加減に聞いて居たが、途中から是は飛んだ所へ来たと思つた。校長の云ふ様にはとても出来ない。おれ見た様な無鉄砲なものをつらまへて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくては行かんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくて教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。(略)嘘をつくよりましだと思つて、到底あなたの仰る通りにや、出来ません、此辞令は返しますと云つたら、校長は狸の様な眼をぱちつかせておれの顔を見て居た。やがて、今のは只希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知つて居るから心配しなくつてもいゝと云ひながら笑つた》(『坊っちやん』より)

小説中のこの一場を、もし嘉納が読んでいたら、きっと微笑とともに受けとめたことだろう。

100歳までも長生きするつもり

教育家としての嘉納は、師範学校では、学生たちに対し、つねにこんな言葉を示していたという。

《教育の事、天下にこれより偉なるは無し、一人の徳教広く万人に加わり、一世の化育遠く百世に及ぶ。教育の事、天下にこれより楽しきは無し、英才を薫陶し兼ねて天下を良くす、その身滅ぶと雖(いえど)も余薫とこしえに存す》

すなわち、教育は偉大な仕事で、ひとりの人間のすることが、その一生の間に何万人もの教え子に力を及ぼし、さらにその死後、百代の後までも教えを伝えていくことができる。また、英才に薫陶を及ぼして世の中を良い方向に導き、死後もなおその薫陶は永遠に引き継がれるのだから、教育ほど楽しい仕事はない――というのである。

嘉納はこれを「偉楽」の精神とも称していた。高い理想と志を感じさせる。

漱石もおそらく、嘉納からこの言葉を聞かされたことだろう。漱石が松山、熊本、東京での教師生活を経て、作家活動に専念するようになって後も、自宅で催す「木曜会」や情愛のこもる手紙を通して多くの門弟を育てたのは、胸の底に嘉納治五郎の言葉が響きつづけていたためかもしれない。

嘉納治五郎は、桜田門外の変のあった幕末、万延元年(1860)に摂津国(現・兵庫県神戸市)に生まれた。少年期は肉体的にむしろ虚弱で、そのコンプレックスを克復するため、17歳で天神真楊流の柔術を習いはじめた。

明治15年(1882)、東京・下谷の永昌寺の書院を借りて嘉納塾を開設。これが講道館の前身となった。明治21年(1888)、警視庁武道大会に一門の精鋭を率いて参加し他流派を圧倒したという。その後、麹町に新道場を開くとともに「柔道」の成立を宣言した。

健康体をつくりあげた嘉納は、喜寿をこえてなお、洋食屋で二人前のビフテキをやすやすと平らげるほどの健啖家になった。

「お年なのにそんなに召し上がられては」と弟子が心配すると、「自分は140歳くらいまで生きるつもりでおるが、ちょっと大食だから100歳くらいまでにしておくか」と言って呵々大笑していたという。

私は以前、東京・文京区にある講道館の柔道資料館を訪ね、嘉納治五郎が実際に着用していた柔道衣を取材させてもらったことがある。長年にわたって愛用し、修繕しながら激しい稽古に打ち込んだため、ぼろぼろになっていて、柔道修行にのぞんだ嘉納の熱い情熱が伝わってくるようだった。

文部官僚でもあった嘉納は柔道の振興のみならず、国民全体の体力の向上に強い関心を持っていた。英語でのコミュニケーション能力も活かして、明治42年(1909)、国際オリンピック委員会(IOC)の委員に就任。2年後には大日本体育協会の初代会長となり、広くスポーツに親しむ環境整備と、その頂点としての国際競技力の向上に意を注いでいく。

そうした努力で日本のオリンピック初参加が実現されたのは明治45年(1912)、ストックホルム(スウェーデン)で開催の第5回大会だった。

妄動する国家を諫めるような洋上の死

昭和13年(1938)、嘉納治五郎はエジプトのカイロへ赴く。

数年前から取り組んできた念願の「オリンピック東京招致」が実現できるかどうか、その結論が下されるオリンピック委員会に出席するためだった。日本はこのときすでに国際連盟を脱退、中国へも侵攻していた。そんな日本に対し、国際世論の風当たりは厳しかった。が、嘉納は精根込めた熱弁をふるって、ついに招致決定にこぎつけた。

嘉納でなければでき得ない力業(ちからわざ)だったろう。

その後、嘉納は米国シアトルを経由して日本郵船氷川丸に乗り込み、勇躍、帰国の途につく。このとき船上で撮影された写真を見ると、嘉納の表情には大任を果たしたあとのホッとした雰囲気が漂う。ところが、さすがに、気力、体力を極限まで使い果たしていたのか、船中で肺炎に倒れた。病臥しながらの船旅が続くが、横浜港到着2日前の5月4日の午前6時33分、とうとう洋上で逝去する。

劇的な最期だった。

享年77は嘉納の思惑からしたら、20余年も早い鬼籍入りだった。逆境の中の東京五輪招致は、寿命を縮めるほどの大仕事だったと言えるのかもしれない。

しかし、そのわずか2か月後、日本政府はオリンピック東京大会を返上した。これが世に言う「幻の東京五輪」で、その後の日本は壊滅への坂道を転げ落ちていく。

嘉納治五郎はつねづね「精力善用、自他共栄」を標榜していた。

「精力善用」とは、「何事をするにも、その目的を達するために精神の力と身体の力とを最も有効に働かす」こと(精力の最善活用)であり、「善を目的として、精力を最有効に働かせること」にも通ずる。それは「柔道の修行上最も大切な教え」であるとともに「人生各般の目的を達するためにも必要な教え」だと、嘉納は説く。

「自他共栄」は言うまでもなく、自他共に栄えること。社会生活を営んでいる以上、その構成員が、「その他の成員と相互に融和協調して、共に生き栄える」ことほど大切なことはあるまい、というのである。

嘉納は、さらにこう述べていく。

《どうしても人が人として社会生活を全うし、存続発展していくには、自他共栄の主義以外にはあるべきでない。(略)つまらぬ抗争をやめて、自他共栄の原則により、あらゆる精力を最善に活用するようになれば、その結果、国家の実力は現在よりも数層倍にのぼるであろう。しかして、そのために文化も著しく進み、富強も加わることになる。また、自他共栄を主義とすれば、国際の関係もさらに円滑になり、人類全体の福祉も増進することと確信する。かようなわけで、一切の教訓・主義を包含して、動すべからざる真理に本づいている精力善用・自他共栄の旗を掲げ、天下すべての人々と共に邁進していこうとするのが我らの主張である》(『なにゆえに精力最善活用・自他共栄の主張を必要とするか』)

そんな嘉納が、妄動する日本の土を踏むことなく洋上で逝ったのは、後世から見れば、ひとつの諫死的意味合いさえ含んでいたように思える。だが、嘉納の死にこめられたひそかな諫言に耳を傾ける者は、そのころの日本には皆無であった。

太平洋戦争への突入、焦土と化した敗戦からの復興を経て、ようやく東京オリンピックが開催されるのは、嘉納の死から26年を経た昭和39年(1964)の秋だった。

嘉納に死の床を供した氷川丸は、現在、博物館船として横浜の山下公園に係留されている。

(主な参考文献)
講道館監修『嘉納治五郎著作集』1~3巻(五月書房)、嘉納治五郎『私の生涯と柔道』(日本図書センター)

*  *  *

矢島裕紀彦(やじま・ゆきひこ)
1957年、東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒。著書に『心を癒す漱石の手紙』『打つ 掛布雅之の野球花伝書』(以上、小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』『ウイスキー粋人列伝』(以上、文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(宝島社)『文士の逸品』(文藝春秋)『文士が愛した町を歩く』『鉄棒する漱石、ハイジャンプの安吾』(以上、NHK生活人新書)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ出版部)『あの人はどこで死んだか』(主婦の友社)ほか多数。漱石没後百年の2016年、サライ.jpで『日めくり漱石』を1年間連載。グランドセイコー広告の掌編小説シリーズ『時のモノ語り』で2018年度朝日広告賞朝日新聞特別賞受賞。https://atelier1328.com

 

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