現在の愛知県西部にあたる、「尾張国」。織田信長が生まれ、天下統一への第一歩を踏み出した国として知られています。
8月9日放送の2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、本能寺の変後、織田家の後継体制を話し合った清洲会議が描かれます。その舞台となった清洲城も、尾張国の政治的な中心地でした。
尾張国は、信長が一国の支配者へ成長した場所であると同時に、その死後、羽柴秀吉が織田家中で主導権を握り、天下人へ近づいていく舞台にもなったのです。
この記事では、「尾張国」について見ていきましょう。

「尾張国」の読み方と名前の由来
まずは、読み方から確認します。
「尾張国」の読み方は……
「おわりのくに」です。
「尾州(びしゅう)」とも呼ばれました。現在の愛知県西部にあたり、名古屋市、一宮市、稲沢市、清須市、犬山市、知多半島などを含む地域です。
国名の由来は、はっきりとはわかっていません。古代にこの地域で勢力を持った尾張氏の名から「尾張国」と呼ばれるようになったとする説や、かつての小針(おばり)村と尾張神社に関係するという説があります。
尾張国の面積のおよそ6割を占めるのが、肥沃な尾張平野です。農業生産力が高い上、日本のほぼ中央に位置し、東国と京都を結ぶ交通の要衝でした。伊勢湾の海上交通を利用でき、津島や熱田などの商業都市も栄えています。こうした地理と経済力が、戦国武将たちの勢力拡大を支えました。
戦国時代の「尾張国」の変遷
ここでは特に戦国時代に絞って、「尾張国」の移り変わりを見ていきましょう。
斯波氏から織田氏へ
室町時代、尾張国の守護を務めたのは斯波(しば)氏でした。その守護代として尾張へ入ったのが、織田氏です。
応仁元年(1467)に始まった応仁の乱の前後から斯波氏の勢力が衰えると、織田氏一族が実権を握るようになります。ただし、織田氏も一枚岩ではなく、清洲を本拠とする勢力と岩倉を本拠とする勢力などに分かれ、争いを繰り返していました。
その中で台頭したのが、勝幡(しょばた)城を拠点とした織田信秀です。信秀は津島や熱田の経済力を押さえ、美濃国(現在の岐阜県南部)や三河国(現在の愛知県東部)にも進出しました。その後を継いだのが、子の信長です。
信長による尾張統一
父・信秀の死後、家督を継いだ信長の立場は、決して安定したものではありませんでした。織田一族や弟・信勝らとの対立を乗り越え、弘治元年(1555)には清洲城を手に入れます。

さらに永禄2年(1559)、岩倉城を攻略し、尾張国をほぼ統一しました。翌永禄3年(1560)には、尾張へ侵攻した今川義元を桶狭間の戦いで破ります。この勝利により、信長は一躍、全国に名を知られる存在となりました。
その後、信長は松平元康、のちの徳川家康と同盟を結び、美濃攻略に着手します。この過程では、木下藤吉郎と名乗っていた秀吉も信長に仕え、頭角を現していきました。
清洲会議と秀吉の台頭
天正10年(1582)、本能寺の変で信長と嫡男・信忠が亡くなると、尾張国の清洲城で織田家の後継体制を決める会議が開かれました。これが「清洲会議」です。
会議には柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興らが参加しました。秀吉は、信忠の幼い嫡男・三法師を織田家の後継者として推します。三法師を支える立場を得たことで、秀吉は織田家中での発言力を大きく高めました。

清洲会議後、尾張国は信長の次男・織田信雄の領国となります。しかし天正12年(1584)、信雄と家康は秀吉に対抗し、小牧・長久手の戦いが起こりました。秀吉は戦場では決定的な勝利を得られなかったものの、信雄と講和して戦いを終わらせます。

天正18年(1590)、秀吉は命令に従わなかった信雄を追放し、甥の豊臣秀次を清洲城主としました。秀次の時代には検地や木曾川の堤の整備、荒地の開墾が進められ、尾張国は豊臣政権の支配下へ組み込まれていきます。
最後に
尾張国は、肥沃な平野と交通の利便性、津島や熱田の経済力を備えた豊かな国でした。信長が一族間の争いを制して尾張を統一できたことが、その後の美濃攻略や上洛への足がかりとなります。
一方、信長の死後に開かれた清洲会議は、秀吉が織田家の一武将から、天下を争う中心人物へと進む転換点でした。尾張国の歩みをたどると、信長の天下取りの出発点と、秀吉の台頭の始まりが、一つの線でつながって見えてくるかのようです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。
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写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)











