
住宅街の中にあるが故にかなりわかりにくい。
鮮やかな緑の扉と黄色の看板が目印だ。
前夜、お酒を飲み過ぎたり、夜ふかしをして間食をしたりすると、「今日の朝ごはんは食べたくないなぁ…」と思ったりしますよね。ましてや、熱帯夜で寝苦しかったりすると、なおさら食欲なんて湧いてきません。かといって、朝食を抜いてしまうと、中途半端な時間にお腹が空いてしまいます。
そんな朝にこそおすすめしたいのが、ひとたび口に入れれば五臓六腑にエネルギーが染み渡るような朝食です。
「ずっと提供したかったタイの薬膳スープ」―目黒の人気料理店のオーナーが考えた京都の朝食

3種の飲み比べスープ。1,800円。
4種類の蒸しスープの中から、3つが選べる。
上から時計回りに、チキンと焼き海苔のスープ、チキンの薬膳スープ、スペアリブの薬膳スープ。
肉や薬膳食材がたっぷり入り、見た目以上に食べ応えがある。
東京・目黒にある「タイ料理みもっと」は、予約がなかなか取れないことでも知られる人気店です。そのオーナーシェフである、みもっとさんが、2023年に京都・鞍馬口で開いたのが「MOT」。そして、その店舗の朝の時間帯を使って始めたのが、薬膳蒸しスープの店「TOM」です。

「TOM」はタイ語で「煮る」という意味を持つ。
「京都の店は、当初日曜日と月曜日だけの営業でした。そうすると、一週間のうち5日間も店が空いてしまうんですよね。それが、なんとなく寂しかったんです」とみもっとさん。
その空いている時間を使い、みもっとさんが以前から「いつか紹介したい」と考えていた料理を提供することにしました。それは、タイでご自身が朝ごはんとして食べていた薬膳スープでした。
京都には、喫茶店のモーニングから和食まで、さまざまな朝食を楽しむ文化があります。一方で、年間のパン消費量が全国トップクラスであるほどパンを好む「新しいもの好き」の土地でもあります。だからこそ、まだ京都にはほとんどない、タイの温かなスープを朝食にする店が受け入れられるのではないかと考えたそうです。
「このスープが本当に美味しいことは、私自身がタイで食べて知っていました。でも、日本では、こういう形の店をほとんど見かけません。どこかでやってみたいと、ずっと思っていたんです」とみもっとさんは明るく話します。

「季節に合わせて1か月半ごとに髪色を変えています。テレビに出ることもあるので、一つのアイコンとして覚えてもらうことを意識しているんです」とみもっとさん。
バンコクにも数軒しかない、華僑由来の薬膳スープ
「TOM」のスープは、タイ料理と聞いて想像するような、辛味や香辛料が強く前に出る料理ではありません。肉や薬膳食材を入れた小さな器を蒸し、澄んだスープに仕上げる、滋味深い料理です。

しかも、タイで広く知られた定番料理というわけでもありません。バンコクにも同じ形式の店は2、3軒ほどしかなく、中国からタイへ移り住んだ華僑系の人々が伝えてきた料理だといいます。タイ料理でありながら、中華系の薬膳文化も感じられる、少し珍しい朝ごはんなのです。
スープは常時4種類から選べます。定番は、龍眼(りゅうがん)やクコの実、乾燥山芋などの薬膳素材を使った「チキンの薬膳スープ」。ほかにも、焼き海苔の香りを利かせたチキンと焼き海苔のスープや、骨付き肉をやわらかく煮込んだスペアリブの薬膳スープ、希少な髪菜(はっさい)がたっぷりと入ったスペアリブと毛海苔のスープがあります。

朝引き鶏の手羽元、手羽中がごろっと入っている。
乾燥山芋とごぼうのような味わいの玉竹(ぎょくちく)、干し龍眼(ライチに似た果物)が入り、滋養たっぷり。

椎茸の旨みと鶏の出汁が優しい味わい。香ばしい焼き海苔が食欲を増す。
ジャスミンライス(+200円)を加えて雑炊にするのもおすすめだ。

4種の蒸しスープの中で一番ボリュームがある。無農薬のなつめがスープにこくと甘さを出し、
白黒の木耳(きくらげ)に干し椎茸、蓮根もたっぷり入ってボリューム満点。

スペアリブの脂の美味しさを含んだ髪菜が抜群に美味しいスープ。
髪菜は入手が難しい希少な食材なので、是非食べてほしい。
京都の朝引き鶏で作る、暑い朝にこそ食べたい一杯
みもっとさんが京都ならではの食材として選んだのが、「朝引きの鶏」だといいます。
「京都には、新鮮な朝引き鶏を扱う『かしわ屋さん』が多いですよね。せっかく京都で作るのだから、京都の鶏を使いたいと考えていました」
みもっとさんが作るタイ料理には、本場の料理を再現するだけではなく、その土地に合う形へと軽やかに変化させる柔軟さがあります。

「花巻をスープに浸して食べるのも美味しいですよ」とみもっとさん。
器は小ぶりに見えますが、中には肉や野菜がしっかりと入っています。「スープだけで足りるのだろうか」という最初の心配はどこへやら。食べ終える頃には、思った以上に満腹になっていました。
みもっとさんがタイの薬膳スープを特に勧めるのが、暑い季節の朝です。
「暑いからといって冷たいものばかり口にしていると、かえって胃腸が疲れてしまうことってありますよね。実は、暑い国で暮らすタイの人たちも、食事では温かいものをよく食べます。暑さで体が弱っている時こそ、温かなスープを飲んでほしいんです」
外の暑さと室内の冷房で、体に疲れが溜まっているような朝。そんな時こそ、何も食べずに済ませるのではなく、温かなスープを口にしてみてはいかがでしょう。ひと口、またひと口と飲み進めるうちに、エネルギーがじんわりと染み渡るような感覚が持てるはずです。
広告代理店の営業から、オーナーシェフへ転身
現在は東京と京都に店を構え、タイ料理の魅力を広く伝えているみもっとさんですが、もともとは料理とは関係のない、広告代理店の営業職をしていました。
タイ料理の道へ進むきっかけは、夫の海外赴任だったといいます。2011年から夫に伴いタイで暮らし始めますが、現地で料理を学ぶつもりはなかったそうです。
それまでは、タイ料理を「美味しい」と思ったことは一度もなかったといいます。
「タイ料理って、あまり美味しくないなと思っていたんです。でも、現地で食べてみたら本当に美味しかった。『これは、日本にはまだない味なのかもしれない』と思いました」
この驚きが、みもっとさんをタイ料理の世界へと導きました。3か月ほどタイ語を学び、その後、現地の人が通う料理学校へ。座学は英語で受講することができましたが、実習はタイ人の生徒に交じって行われるため、タイ語も欠かせなかったといいます。
思い立ったら、まず動く。料理経験がなかったことを言い訳にせず、必要なら言語も一から学ぶ。その行動力と積極性に、みもっとさんのパワフルさが表れています。

広告代理店に勤めながら、ゼロから生徒を集める
帰国後、すぐに料理人として独立したわけではなかったとみもっとさんは言います。最初は週に3日、以前勤めていた広告代理店でアルバイトをし、その傍らでタイ料理教室を始めました。
広告の仕事をしていたのなら、その人脈やノウハウを使えば、簡単に生徒を集められそうに思えます。ところが、みもっとさんは勤め先で自分の料理教室を宣伝することはしませんでした。
「会社で自分の料理教室の宣伝はできませんから。友人のお店を借りてポップアップを開き、少しずつ生徒さんを集めていきました」
広告業で築いた人脈に頼るのではなく、自分の料理を食べてもらい、興味を持ってくれた人とのつながりを少しずつ広げていく。2013年から2019年まで料理教室を続ける中で、声をかけてもらえば、東京だけでなく大阪や京都、岡山、石川など日本各地へ出向いたそうです。
その歩みは、とても地道なものでした。けれど、そこで築かれた関係は、単なる仕事上の付き合いとは違う、長く続く縁になりました。
夫が愛媛県へ単身赴任した後も、みもっとさんは東京を拠点に、土日になると一人で全国を回ったといいます。縁のある土地や人間関係のできた場所で料理教室を開き、そこで知り合った人から、また別の人を紹介してもらう。得られた一つのつながりを、二つに、さらに三つに、四つに、五つに広げていく。そうしてできた人脈が、現在の店づくりにも生かされていきます。
料理を一品ずつではなく、「構造」から学ぶ
料理教室を続けながらも、みもっとさんは学ぶことをやめませんでした。店を開く前年の2018年には、もう一度タイへ渡り、約1か月にわたって料理を学び直しています。
このときにテーマとしたのは、「地方ごとの料理」「発酵料理」「古典料理」の3つでした。地域によって異なる食文化を知り、発酵が味に与える働きを学び、さらに古くから伝わる料理をたどる。店を開く前に、タイ料理をより広く、深く理解しておきたいと考えたのです。
そして、2019年に東京・目黒で「タイ料理みもっと」を開いた後も、学びは続きました。再びタイで教えを受けた際、みもっとさんが先生に頼んだのは、新しいレシピではありませんでした。
「タイ料理の『ストラクチャー』を教えてほしいとお願いしたんです」
一つ一つの料理の作り方を暗記するのではなく、カレーや地方料理がどのような考え方や系譜で成り立っているのか。その構造を体系的に理解したいと考えたのです。
構造が分かれば、異なる土地の食材を使っても、タイ料理としての核を失わずに応用できます。現地の料理をそのまま日本へ持ち込むのではなく、日本の食材や日本人の味覚に合わせて進化させる。現在のみもっとさんの料理は、このときの学びが基礎になっているといいます。

店を始めたいと打ち明けた時、夫から返ってきたのは、「好きなことをしたらいいんじゃない」という言葉だったそうです。
「私が好きなことをできないと、家で暴れると思っているのかもしれません(笑)。本当に心の広い人なんです」
そう言って、みもっとさんは軽やかに笑います。持ち前の明るさで人との垣根を越えながらも、地道に努力を重ねる。その軽やかさとたくましさが、みもっとさんを広告代理店の営業からオーナーシェフへと押し進めたのでしょう。
人との縁で出来上がった、京都での店づくり
全国各地で料理教室を開きながら、出会った人とのつながりを一つずつ育ててきたみもっとさん。その縁は、京都の店づくりにも生かされています。
京都で物件を探していた頃、みもっとさんには、現地に頼れる知り合いがいなかったといいます。紹介を受けて最初に見せてもらった3軒のうち、店として選んだのは、最も古く、状態の悪い町家だったそうです。
「1階はほぼ何もない状態で、2階は土壁が落ちていて、階下からは畳が見えるような状態でした。今にも崩れそうでしたね(笑)」
それでも、地下鉄の駅から近く、庭があることが決め手だったといいます。東京と京都を行き来するみもっとさんにとって、駅からの近さは欠かせない条件だったのです。
備前焼作家がつないだ、職人たちとの出会い
荒れた町家を現在の店へと磨いていく中で、大きな力になってくれたのが、備前焼の窯元「一陽窯(いちようがま)」の木村肇(きむら・はじめ)さんでした。
みもっとさんと木村さんが出会ったのは、全国で料理教室を開いていた頃のこと。この縁から、京都店を作る際には、工務店や和紙職人、さらには岡山を拠点とする家具職人「KITAWORKS(キタワークス)」を紹介してもらったそうです。
KITAWORKSが手がけたのは、外扉や玄関の扉、ラウンドの作業台、椅子、外の看板、コート掛けなど。鉄を用いた家具や什器が、古い町家の趣を引き締めながら、店内に現代的な表情を加えています。
古い部分を残しながら町家を改修したのは、京都の古民家再生を得意とするyamyam(山山)です。年月を経た建物の趣を生かしながら、黄色や緑、ベンガラといった鮮やかな色を取り入れ、そこにKITAWORKSの鉄の仕事を重ねることで、みもっとさんらしい軽やかさと力強さをあわせ持つ空間に仕上がりました。
「壁の色を自由に決めていいと言われたので黄色にしたのですが、あとから自分のスーツケースを持ってきたら、まったく同じ色だったんです(笑)」
そう言って笑うみもっとさんの姿を見ていると、強い色同士が不思議と調和する店内は、明るく自由で、人との垣根を作らない彼女自身を表しているかのように思えました。

器やカウンターにも刻まれた、これまでの歩み
店の中央に置かれた大きなラウンド型のカウンターは、和紙職人のハタノワタルさんが手がけたものです。木の上に和紙を張り、ベンガラ色に仕上げられています。

みもっとさんがカウンターを選んだ理由は、見栄えのためではありません。
「お客様と話したかったので、オープンキッチンとそれを囲むようなラウンドカウンターにしました。料理の作り方を聞かれたら、秘密にしていることはないので、基本的には何でもお話しします」
料理を作る姿が見え、自然と会話が生まれるカウンター。聞かれれば気さくに答えてくれるところにも、みもっとさんらしさが表れています。
スープを盛る器にも、これまで培ってきた縁が息づいています。
「岡山県の備前焼をはじめ、石川県の九谷焼窯元 上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)など、料理教室で全国を回っていたときに出会った作家さんたちの作品に料理を盛り付けて提供しています」とみもっとさん。

京都の店舗は、料理教室を通して全国で培われた人との縁で出来上がっています。みもっとさんの周囲には、助けてもらったら、今度は自分が誰かを助けるような、相互扶助の関係が自然と生まれているように感じました。

完成が楽しみだ。
最後に
東京の「タイ料理みもっと」は予約が取りづらいことで知られています。しかし、京都の「TOM」は予約不要で、土曜日の朝から気軽に立ち寄れます。
ただし、店は京都市市街地のメインストリート・烏丸通りから一本東に入った細い路地にあり、非常にわかりづらいところです。筆者も3回行っていますが、毎回「あれ、どこだったかしら?」と迷ってしまいます。「TOM」のインスタグラム内ストーリーズで道順を紹介しておりますので、お役立てください。
「今日の朝は何も食べたくないなぁ」と思った時でも元気を出すために、「TOM」へ足を運んでみてはいかがでしょう。絶対に後悔しないですよ。

「トムヤム味というと『辛酸っぱいのかな?』と想像される人も多いのですが、甘塩っぱくて食べたら止まらなくなります。私のおつまみとして作っていたアイスです」とみもっとさん。
暑い夏は、締めにアイスクリームもおすすめだ。
■TOM
住所:上京区上御霊前通烏丸東入上御霊前町409−2
営業時間:毎週土曜日8時〜15時
インスタグラム:https://www.instagram.com/tom.kyoto/
●取材・執筆/末原美裕

登録無形文化財の京料理から町中華やラーメンにいたるまで豊富な食文化を持つ町、京都に住む。飲食店の料理人にフォーカスを当てて記事を執筆中。プライベートでは、料理人が贔屓にする飲食店を巡り、日々味覚を鍛えている。真の美味しさを追求することをライフワークとしている。
Instagram:@kyoto_monokaki note:@kyoto_monokaki
Facebook:@kyotomedialine
●撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)











