明智城跡(岐阜県可児市)の明智光秀像。

1981年の『おんな太閤記』は、豊臣秀吉の正妻ねねを主人公とした、脚本家の橋田寿賀子さんが大河ドラマデビューを飾った作品です。戦国時代の武将の妻を主人公にした『利家とまつ~加賀百万石物語』(2002年)、『功名が辻』(2006年)の先駆けとなりました。

主人公のねねを佐久間良子さん、織田信長を藤岡弘さん(現・藤岡弘、)、明智光秀を石浜朗さん、秀吉は西田敏行さんという布陣でした。秀吉実弟の秀長を演じたのは中村雅俊さんです。主人公がねねということからなのか、信長正室濃姫はキャスティングされませんでした。秀吉がねねを呼ぶ際の「おかか」「おかか」というフレーズが流行語になりました。

本能寺の変の動機が語られた

『おんな太閤記』では、信長がねねに送った有名な書状を扱った「信長の手紙」(第14回)があるなど、ストーリーはねね中心です。本能寺の変に関しては、オーソドックスな展開に終始します。

天正7年(1578)、光秀は丹波の八上城(兵庫県丹波篠山市)を攻めていました。城を守るのは波多野秀治(演・林弘造)、秀尚(演・増田昭広)、秀香(演・宮地佳具)の三兄弟。もともと丹波の守護代を務めていた一族で、いったんは信長に帰順していたのですが、再び離反したのです。

『おんな太閤記』では、八上城を攻める光秀のもとに羽柴秀長が援軍として派遣されます。焦った光秀は自分の母を人質として八上城におくり、波多野三兄弟を安土におくり、信長に和睦を申し入れさせるという展開になります。裏切り者に対する信長の苛烈な処置は周知のこと。降伏するために安土に赴いた波多野三兄弟ですが、信長が彼らを許すことはありませんでした。この場面の出典は『總見記』という織田信長の一代記。成立は江戸時代の貞享2年(1685年)頃ですが、織田信長の事績を描いた軍記物です。

劇中では、波多野三兄弟への処遇を尋ねる家臣に対し、信長はこう言い放ちます。

「ならぬ。即刻磔の刑に処せ」

「母を人質に敵をおびき出すなど、武士の風上にもおけぬ卑怯な小細工。みせしめじゃ」

まさに「問答無用」という展開になるのですが、『おんな太閤記』では、波多野三兄弟処刑の報が丹波の光秀陣中に報せが届いたのと同じタイミングで、光秀の母の首を納めた首桶が届くという演出になりました。

首桶を開けてなかを確認するや、「母上、母上」と取り乱す光秀。首桶を抱きながら、「母上がこのようなことに。わしが手にかけたも同然じゃ。おのれ信長め。光秀が母を人質にまでしておることを承知で。人間ではないわ! おつろうございましたろう。母上のご無念、かならず必ずおはらしいたします」 と復讐を決意したかのような台詞まで飛び出しました。

この展開に物語の主人公ねねも泣きます。さめざめと長浜城内の一室で涙を流すねねの姿が映し出されて、ナレーションが語ります。

「光秀親子の不幸は、ねねの心を凍らせた。ねねは母を犠牲にしなければならない乱世を憎んだ」――。

重臣らに明かした光秀の動機

『おんな太閤記』では、明智光秀が織田信長に対する謀反の動機を描く場面はこの八上城のエピソードだけになります。

中国出陣の準備が整い、光秀は1万3000の兵を率いて亀岡の丹波亀山城を後にし、備中に向かいます。ところが、亀岡と京都の境にある老ノ坂にさしかかるや、突如方向を転じ、本能寺にある信長と合流するためと称して京都に向かうのです。

ここで、光秀は明智秀満(演・川口啓史)ら重臣5人を呼び出し、重大な決意を打ち明けるのです。

「我らの敵は、本能寺にある。……信長を討つ」

はっとする重臣たち。

「乱心召されたか、父上」

と明智秀満が驚きの表情を見せます。光秀は、

「それよりほかにこの光秀の生きる道はない」と説明します。

ここで、長台詞で状況を説明する「橋田脚本」特有の場面が登場します。この手法は1989年の『春日局』でも採用されますが、明智秀満は光秀が置かれた状況をわかりやすく視聴者に説明してくれるのです。

秀満「日頃、上様が父上へのなされよう、父上のお恨みももっともにございます。先日、安土へ上洛の徳川家康殿のご接待役をなされたときにも、家康殿に出す生魚が腐っておると、上様よりきついご叱責。上様のいいがかりとしか思えません。しかも、ただちに饗応役は罷免」

光秀「そのような小さなことではないわ」

秀満「ならば、亡くなられた母上へのお恨みにございますか」

光秀「それとて、あるやもしれん。母上を殺したは信長じゃ。光秀、終生その恨みは忘れはせん。じゃが、ただの無念で事をおこすのではない。信長はわしを信じてはおらぬ。その証拠に、中国攻めが終わったら、丹波、近江の所領はお召し上げ。石見と出雲に国替えと決まった。わしを京から遠ざける気じゃ。これでは島流しも同然。光秀の先は見えたわ。織田家譜代の重臣佐久間信盛殿さえ、気にいらねば容赦なく高野山へ放逐し殺してしまうのが信長じゃ。じゃがわしはむざむざとは死なん。信長に討たれる前に信長を討つ。討たねばわしが討たれる。信長に代わってこの光秀が天下を治めてみせるわ」

光秀と秀満のやり取りで、「安土城での家康接待の際の饗応で魚が腐っていたこと」「光秀に与えられていた丹波、近江の所領を召し上げて、石見・出雲に国替えするという仕打ち」について簡潔に説明されました。遺恨説に加えて「この光秀が天下を治めてみせるわ」という野心も披露されました。

オーソドックスな「本能寺の変」

さて、場面は本能寺です。

「上さま~」

本能寺の廊下を森蘭丸(演・森下陽)がかけてきます。白い寝巻姿の信長は、

「蘭丸、何事じゃ?」と切り返しますが、その瞬間、火矢が柱に刺さります。その矢を抜きながら、

信長「これは謀反か。いかなる者の企てぞ」

森蘭丸「明智が勢とみえます」

信長「なに? 光秀とな?」

『信長公記』の記述をベースにしたやり取りが交わされるのです。

ここで塀越しに桔梗紋の幟が翻ります。信長は柱から抜いた矢を折って「是非に及ばず」と発するのです。

弓を手に防戦する信長、3人の兵を弓で射抜きますが、四矢目で弦が切れます。すぐさま槍を手にして必死で防戦しますが、左大胸筋に矢が突き刺さります。ここで奥に退く信長。

「人間五十年~」

回想で敦盛を舞う信長の映像が挿入されて、脇差を手に切腹するのです。本作でも介錯する人物は描かれません。

「この時信長49歳。信長はその波乱の生涯を炎の中に閉じた」――。ナレーションが切なく響きます。

『おんな太閤記』で織田信長を演じた藤岡弘さん(現・藤岡弘、)は1989年の『春日局』で再び織田信長を演じます。両作の「本能寺の変」を比べてみるのも一興です。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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