生酛造りの核となる「山卸し」作業。櫂で米と麹(米麹)をすり潰し、糖化を促しながら、乳酸菌が働きやすい環境へ導いていく。(写真提供:大七酒造)

日本酒好きなら一度は目にしたことがあるはずの「生酛(きもと)」という言葉。なんとなく“古い造り方”というイメージを持っている方も多いかもしれません。でも実は、その味わいの奥深さは現代でも色褪せることなく、日本酒通を惹きつけ続けています。今回は、生酛とはそもそも何なのか、どのように造られ、どんな特徴があるのかを、わかりやすくご紹介します。

文/山内祐治

生酛とは? 江戸時代から続く日本酒の源流

生酛(きもと)は、日本酒造りの核となる「酒母(しゅぼ)」の仕込み方の一つです。酒母とは日本酒造りのエンジンにあたるもので、日本酒造りの発酵を安定して進めるために、酵母を健全に増やしておく“発酵のスターター”のような存在です。

生酛造りが確立されたのは江戸時代中期のことで、当初は「寒酛(かんもと)」とも呼ばれていました。寒い時期に行う「寒仕込み」の中から生まれ、明治時代以降に「生酛」という名称が定着しました。現在の主流は「速醸(そくじょう)」と呼ばれるより短期間で酒母を造る手法ですが、あえて手間のかかる生酛を守り続ける蔵が今も少なくありません。日本酒全体の流通量では数パーセントにとどまりながら、日本酒の源流に近い造り方として根強い人気を誇っています。

生酛造りの工程。菌のバトンリレーが生む、ひと味違う深み

生酛の造り方をごくごく大まかにご説明します。速醸の酒母と比べると、倍近い時間(3〜4週間、場合によってはそれ以上)を要します。

仕込みは水・米・麹を混ぜる作業から始まり、続いて生酛の特徴である「山卸し(やまおろし)」が行われます。これは米麹をすりつぶしていく作業で、2番・3番と繰り返しながら作業が続けられます。かつて蔵人たちは「酛摺り唄(もとすりうた)」を歌いながら息を合わせ、チームワークで作業を進めたと言われています。

山卸しを終えると、低温に静置する時間が設けられます。ここで展開されるのが、精緻な「菌のバトンリレー」です。硝酸還元菌が亜硝酸を生成して雑菌や野生酵母の増殖を抑えます。その後、乳酸菌が優勢になって乳酸を産生し、pHを下げます。その酸性環境に清酒酵母が着地し、最終的に糖をアルコールと有機酸へと転換していく。まるでピタゴラスイッチのように精緻な連鎖が、生酛ならではの味わいを生み出しています。

山廃と生酛の違い。兄弟のような、でも異なるふたつの造り方

山廃(やまはい)は、生酛の工程のうち重労働である「山卸し」を省いた酒母の造り方です。1909年、醸造試験所の技師・嘉儀金一郎によって山卸廃止酛が考案されました。その後、嘉儀は大正期に福島県会津若松市の末廣酒造でも山廃酒母・速醸酒母・生酛酒母の比較試験や指導を行い、末廣は嘉儀ゆかりの山廃を伝える蔵として知られるようになりました。

山廃は生酛を起点としながら、途中からは異なる経路をたどる独自の造り方です。味わいの差は蔵によって大きく異なるので、一概に両者の傾向を語ることはできません。しかしながら、どちらも速醸酛と比べると、酸や旨み、複雑味が出やすい傾向があります。そうした味わいの厚みが、口中でぐっと押してくるような「押し味(おしあじ)」として感じられることもあります。

生酛の特徴。酸・旨み・お燗との相性が際立つ

生酛の銘柄はじつに多くありますが、代表的なものをご紹介します。

東日本では「大七(だいしち)」(福島県)を外すことができません。“生酛といえば大七”と言っても過言ではなく、生酛専業の蔵として広く知られています。茨城県大洗の「月の井(つきのい)」も、生酛造りの名手として高い評価を受けている銘柄です。

西日本では灘(なだ)が生酛の中心的な産地で、「菊正宗(きくまさむね)」などが力を発揮しています。広島の「竹鶴(たけつる)」、あるいは島根の「天穏(てんおん)」も生酛に積極的です。酒販店でラベルに「生酛」「純米生酛」と記されたお酒を探してみるのも、楽しい発見のきっかけになるはずです。

特筆したいのが、お燗との相性です。燗をつけると酸の輪郭がやわらぎ、アミノ酸やペプチドに由来する旨み、乳酸の柔らかさなど、膨らみが感じやすくなります。そのため、生酛のお酒は燗酒にすることで魅力が引き立つことが多いのです。

「大七 純米生酛」。生酛の世界に踏み出す、最初の一本

生酛を初めて試すなら、ぜひ「大七 純米生酛」をおすすめします。大七酒造は福島県二本松市に位置し、1752年(宝暦2年)創業の老舗です。全商品を生酛で仕込むというこだわりを貫き、独自の「超扁平精米(へんぺいせいまい)」技術で米の表面を均一な厚さで削ることにより、雑味の元となるタンパク質や脂質を効率よく除去。生酛ならではの複雑な味わいと清澄さを両立させています。

「大七 純米生酛」(大七酒造)
https://www.daishichi.com/sake/junmaikimoto.html

代表的なお酒となる「大七 純米生酛」は、やわらかさと複雑さ、そして膨らみを持ちながら、スッと飲みやすい仕上がりが特徴です。生酛入門として手に取りやすい一本ですが、さらにランクを上げると「妙花闌曲(みょうからんぎょく)」など、個性豊かなラインナップも存在します。複数の商品を飲み比べることで、「大七」の奥深さをぜひ体感してみてください。

「大七 妙花闌曲」(大七酒造)
https://www.daishichi.com/sake/myoukarankyoku.html

まとめ。生酛で、日本酒の奥深さをぜひ体験してください

生酛は、江戸時代から続く伝統的な酒母の造り方でありながら、今日の日本酒市場でも確かな存在感を放っています。2024年には、日本酒・焼酎・泡盛・みりんなどに受け継がれてきた「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。生酛のような伝統的な酒母造りを知ることは、いま改めて日本酒文化を見直すうえでも大きな意味を持っています。

乳酸由来のまろやかな酸、豊かな旨みとコク、そしてお燗や料理との幅広い相性など、速醸の日本酒とは一線を画す味わいの世界があります。温度を変えて楽しんだり、食事と合わせてみたりしながら、日本酒の奥深さと面白さをぜひ体験してみてください。まずは一本、手に取ってみることをおすすめします。

山内祐治(やまうち・ゆうじ)/「湯島天神下 すし初」四代目。講師、テイスター。第1回 日本ソムリエ協会SAKE DIPLOMAコンクール優勝。同協会機関誌『Sommelier』にて日本酒記事を執筆。ソムリエ、チーズプロフェッショナルの資格も持ち、大手ワインスクールにて、日本酒の授業を行なっている。また、新潟大学大学院にて日本酒学の修士論文を執筆。研究対象は日本酒ペアリング。一貫ごとに解説が入る講義のような店舗での体験が好評を博しており、味わいの背景から蔵元のストーリーまでを交えた丁寧なペアリングを継続している。多岐にわたる食材に対して重なりあう日本酒を提案し、「寿司店というより日本酒ペアリングの店」と評されることも。

構成/土田貴史

 

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