「長比城」はなんと読むのか、少し考え込んでしまう人も多いのではないでしょうか。長比城は、2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の時代背景とも重なる、近江と美濃の境目に築かれた城のことです。
姉川合戦へ向かう緊張の中で重要な役割を担いながら、この城では戦うことなく廃城となったので、いまも築城時の形状を残す、たいへん興味深い城です。
「長比城」は何と読む?
まずは、読み方から確認しましょう。
長比城の読み方は……
「たけくらべじょう」です。
地名や城の名は読み方がわかりにくいものが少なくありませんが、長比城もその一つといえるでしょう。
「長比城」のほかに「長競城」と書かれている資料もあります。いずれも読み方は、「たけくらべじょう」です。
「長比城」とはどんな城?

長比城は、現在の滋賀県米原市柏原付近、伊吹山から派生する野瀬山の山頂(標高約390メートル)に築かれた城です。美濃(現在の岐阜県南部)と接する国境地帯でもあったため、国境警備のための山城でもありました。
この城が歴史の表舞台に現れるのは、元亀元年(1570)、浅井長政(あざい・ながまさ)が織田信長に反旗を翻したころです。信長が朝倉義景(あさくら・よしかげ)を攻めたことをきっかけに浅井氏は離反し、近江は大きな戦乱に包まれました。

浅井氏は信長の近江侵攻に備え、長比城と苅安(かりやす)城を改修し、城塞を構えたといいます。
ところが、『米原市遺跡リーフレット30』によると、守備していた堀秀村と樋口直房が織田軍に内応し、長比城と苅安城はあっけなく落城してしまいました。
信長が長比城を掌握したことは、街道や水運の掌握につながり、その後の軍事展開を可能にしたと位置づけられています。つまり、姉川合戦の前段階において、勝敗を左右する重要な一手だったわけです。

現在の「長比城」の見どころ
「長比城」は、城の構造が見どころです。大きく東西二つの曲輪(くるわ)からなり、西の曲輪は山頂を囲うように土塁をめぐらせ、東の曲輪はそれより一回り以上大きく造られていました。虎口にも工夫があり、特に東側は美濃を意識した防御構造になっています。
こうした遺構が比較的よく残っているのは、戦うことなく廃城となったためです。
最後に
長比城は、天守や石垣で知られる城ではありません。しかし、読みにくい城名の奥には、元亀元年(1570)の政変、浅井氏の決断、信長の反攻、そして姉川合戦へと続く戦国の緊張が詰まっているといえます。
しかも、戦わずして役目を終えたからこそ、土塁や虎口に当時の築城思想が色濃く残りました。長比城は、戦国時代の城郭を静かに伝える貴重な存在だといえます。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/ぐう(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『国史大辞典』(吉川弘文館)
米原市遺跡リーフレット30
滋賀県ホームページ











