
ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第22回は、前週の続きで吉原にある大文字屋の誰袖花魁(演・福原遥)の部屋の場面から。誰袖が、田沼意知(演・宮沢氷魚)と何やら秘密のやりとりを始めていました。
編集者A(以下A):前週から誰袖が田沼意知に「身請けをしてほしい」と持ち掛けたりしていました。なんだか深い深い場面になりました。誰袖は、意知のことを土山宗次郎(演・栁俊太郎)の上役と喝破。「羽織の裏地の絹」「小袖に炊きしめられた香」などの身だしなみから判断したわけです。一見、とっつきやすい明るいキャラのようにふるまいながらもその視座は深くて広い。名うての花魁かくあるべしという印象です。
I:なるほど。
A:そしてもうひとつ、遊里で遊ぶことの「リスク」にも触れなければならないでしょう。キーワードは「誰かが見ている」。それなりの立場の人物が身元を明かして派手に遊興することのリスクです。『べらぼう』の時代以前にも吉原で派手に遊興する大名が幕府から咎められた事例があります。
I:以前調べたことがあるのですが、『べらぼう』の時代より前の元禄時代前後の藩主の性格や行動をまとめた『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』という本があるんですよね。
A:幕府の隠密が収集した話だとかいろいろいわれている書物ですね。「壁に耳あり障子に目あり」とはよくいったものです。現代でも同じような話があって、1990年代に霞が関の官僚が「ノーパンしゃぶしゃぶ」という奇怪な店で遊興していたことが問題になったことがあります。当時、驚愕したのはその店の顧客名簿が流出したことです。「このような店で遊ぶときは身分を明かしてはいけない」と肝に銘じた人は多かったと思います。
I:今後土山らがどうなるのか、先走って説明しているようにも読めますが、いったいどういう展開になるのか、目が離せません。
放屁をめぐる江戸の「溝」
I:前週もちらっと出ていましたが、唐来三和(演・山口森広)という作家も登場しました。天照大神が孔子とお釈迦さまと連れ立って吉原に繰り出すという『三教色』という本のストーリーをしゃべっていました。私はここに歌麿の染谷将太さんがいたのがツボでした(笑)。
A:染谷さんがブッダ、松山ケンイチさんがイエスを演じる『聖☆おにいさん』を想起したんですね。いや、確かに『聖☆おにいさん』ファンにとってはツボな場面かもしれません。
I:さてさて、前週は狂歌の会で「放屁」を材にした狂歌で盛り上がりました。四方赤良(大田南畝/演・桐谷健太)の「七へ八へ屁をこき井出の山吹の みのひとつだに出ぬぞきよけれ」という歌に続いて、元木網(演・ジェームス小野田)と智恵内子(演・水樹奈々)の「芋を食い屁をひるならぬ夜の旅 雲間の月をすかしてぞみる」「芋の腹こきいでてみれば大筒の 響きにまがふ屁い(兵)の勢い」の作が披露されました。
A:四方赤良の作は、「七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき」という兼明親王の一首が本歌ですね。ちょうど昨年の『光る君へ』で登場した源明子(道長の二妻/演・瀧内公美)のおじさんですね。元木網の作ともども『新編 日本古典文学全集』(小学館)に所収されている作品になります。
I:劇中では、蔦重(演・横浜流星)が催した「忘年会」のなかでの出来事の設定でしたが、狂名を名乗ることで、世俗での職業、身分などをフラットにした交流を可能にしていますよね。
A:現代でも、例えば著名な写真家の会だったり有名僧侶の会などでは、有名企業の社長だろうが、学生の参加者などともフラットに同じ立場で交流する場合があります。それはそれでリフレッシュになるそうですよ。
I:さて、この時代、平賀源内(演・安田顕)が『放屁論』という著書で放屁でコケコッコーなどを表現する大道芸人のことに触れていたりして、わりと「放屁」に寛容な時代だったのかなと不思議な感じになりますね。
A:放屁に寛容? いやいや、さにあらず。この時代大奥など高貴な方々、特に女性など放屁などとんでもないことだったようです。そうした女性たちのために「屁負比丘尼(へおいびくに)」という高貴な女性に代わって「いまのおならは私がしました」と身代わりになる女性がいたといいます。まるで志村けんさんのコントのような設定ですね。
I:当時は大真面目だったと思いますが、きっと現代では真面目にやっていることが、200年後は「コントなの?」ということがでてくるのでしょうね。
【総画数79の「漢字」誕生秘話。次ページに続きます】
