文・写真/冨久岡ナヲ (海外書き人クラブ/英国在住ライター)

桟橋に停泊中のリバーバス。

 ロンドンを観光するのに使う移動手段と言えば、まずは徒歩、そして地下鉄にバス、最後にタクシーとくるだろう。もうひとつ、あまり知られていない乗り物がある。テムズ川を走る船、しかも通勤にも使われている「リバーバス(水上バス、リバーボートとも呼ばれる)」だ。今日はこのリバーバスに乗ってのロンドン観光をご紹介しよう。

テムズ川は古代ローマ時代の頃から内陸水路網の一部として、また国際貿易においても輸送の主役を担ってきたが、車や飛行機の登場によりその役割が衰退した。造船所や倉庫はおしゃれなリバーサイドマンションなどに生まれ変わり、港湾労働者に代わってオフィスで働く人々が河岸に住み出した。

通勤用に水路を復活という案はなかなか実現しなかったが、99年に「テムズ・クリッパー」という観光船の3倍の速度で走る双胴船(カタマラン)が登場。地下鉄を乗り継ぐ面倒も道路渋滞の心配もない(しかもロンドン市内全域が時速20マイル/32km規制だから、混んでなくても飛ばせない!)ことから、リバーサイド住民が通勤や所用に利用するようになった。今やロンドン市公認交通機関のひとつであり、地下鉄の交通カードなどを持っていれば乗り放題チケット以外の運賃が3割までオフになる。20年には配車アプリ企業「Uber(ウーバー)」と提携し、アプリを通じてチケットを購入できるように。日本語にも対応し旅行者には便利だ。

おすすめしたいのは、ビッグベンのあるウェストミンスター桟橋からグリニッジまで往復するルートだ。ロンドンの名所を水面から見あげ、テムズ川の緩やかな蛇行に沿って移り変わる景色を楽しめる。1日乗り放題のHop-on Hop-offというチケットをアプリかオンラインで購入しておけば、桟橋で往復チケットを買うよりもお得だ。その上、どこにも停まらずただ周回するだけの遊覧船よりも断然面白い。

ロンドン地下鉄の色違いロゴの上に「River」と書かれ、桟橋というよりは駅のようだ。
河岸には名所がずらっと並び、どちらを見るか迷うほど。

桟橋は地下鉄駅と隣接するウェストミンスター橋のたもとにあり見つけやすい。船に乗りこむと、水面から見上げるロンドンが、路上でとはまったく異なって感じるのに驚くだろう。見晴らしがよいデッキのベンチは観光客に人気だが、快適に座るならカフェバーもあり広々とした屋内座席へ。オーディオガイド等はないがWi-Fiとトイレ完備、リバーバス・マスコットのアヒルも買える。

さて出発。大観覧車「ロンドン・アイ」があるウォータルー桟橋、国防省前のエンバンクメント桟橋へと、リバーバスは川の南北両岸をジグザグと渡りながら進んでいく。ほどなく聖ポール大聖堂の丸いドームが見えてくる。周囲に無数の高層ビルがあるのにそのどれにも隠れずに見えるのは、いにしえの昔に制定された「大聖堂視界保護法」などの建築規制がいまもしっかり守られているおかげだ。

設計ミスで開通当時は左右に揺れ、誰も歩けなかったミレニアム・ブリッジ。

ブラックフライヤーズ橋の向こうには歩行者用吊り橋がある。ロンドンにはハリポタのロケ地がありすぎるので、今回はここだけにしておくが、この橋こそは映画「ハリー・ポッターと謎のプリンス」に登場するミレニアム・ブリッジだ。くぐり抜けたらすぐ右手に見えるシェークスピアのグローブ劇場もお見逃しなく。

次に通るのは市内で最も古い「ロンドン橋」だ。童謡「ロンドン橋落ちた」の歌詞のとおり、何度も壊れては作り直され今は地味なコンクリ造りだが、橋に刻まれたLondon Bridgeの名は船上からしか見えない。ロンドン・ブリッジ桟橋は本物の軍艦HMSベルファスト号の隣にある。筆者が乗った日はたまたま去年就航した英海軍の海中監視船プロテウス号が横に停泊中で、ビートルズの歌「イエロー・サブマリン」を思わせる黄色の無人潜水艦が見れてラッキーだった。

ロンドンブリッジ桟橋近くに来た海中監視船、背後には軍艦HMSベルファストが係留されている。

ウェストミンスターを出て20分あまり。ロンドンの象徴タワーブリッジが目前に迫ってきた。左側には要塞宮殿であるロンドン塔がそびえ立つ。川に面して「Entry to the traitor’s gate(叛逆者の門入口)」と書かれたアーチ型の石垣が。水路が日常の移動手段のひとつだった中世に作られた囚人用船着場だ。叛逆罪に問われ処刑されたヘンリー八世王の妻たちもこの門から収監されたといわれるが、ロンドン橋の上にずらっと晒された囚人の生首を見上げただろうか? 濁った水面からはロンドンの歴史が生々しく感じられる。

開通当初は蒸気エンジンで橋桁を上げ下ろししていたタワーブリッジ。

タワーブリッジのほうはゴシック調で塔とマッチしたスタイルだが、実はずっと新しく、ビクトリア時代に当時の最新技術をもって造られた巨大な跳ね橋だ。くぐりながら見上げると可動部の構造がよく見える。日に1~2度、橋が上がる時に当たれば、高層部の透明な床を渡る人々を下から観察できる。

さてこの橋をくぐった後、テムズ川はくねくねと蛇行を始め、急に景色が変化する。「古き良きロンドン」が突然幕切れになったかのように高層ビルとリバーサイドマンションばかりになり、その間に昔の倉庫が残されている。通勤や生活の足として使っている様子の乗客が多くなってきた。左側に現れた高層ビル群は新金融街キャナリーウォーフ地区だ。荒廃した港湾地帯を80年代に再開発したもので、都心にあるザ・シティ地区とともに国際金融ビジネスの中心となっている。

グリニッジ桟橋の向こうには、立ち並ぶ高層ビルと河岸の低層住宅が見える。
大航海時代のシンボル、帆船カティーサーク。

キャナリーウォーフ桟橋を出てしばらくするとさらに雰囲気が変わる。マンションがまばらになって高級感も下がり、玄関周りに無造作に置かれた植木鉢に庶民生活を垣間見た気になる。しかしほどなく帆船カティーサークの小高いマストが出現、ふたたび名所だらけの世界が戻ってきた。世界遺産に指定されているグリニッジは、大英帝国時代の栄華にどっぷり浸れる街。ここが航海術、天文学などの発展の中心地であり、帝国の力を象徴する場所として大きな役割を果たしてきたことは、桟橋の前にそびえる国立海事博物館と旧王立海軍大学の堂々たる建物からも感じ取ることができる。

博物館があるグリニッジ公園はロンドン市内で最も古い王立公園の一つだ。小高い丘の上に天文台が鎮座している。地球上の経度ゼロ度を定める金属プレートがあり、これを基準に世界標準時(GMT)が定められたことは知られている。ここからの眺めは抜群。天気の良い日には、家族連れやカップルが芝生でのんびりとピクニックを楽しんでいる。

公園の丘からはロンドンがパノラミックに見渡せる。

あちこち歩き回ったら、帰路に着く前にパブで休憩。おすすめは桟橋近くのトラファルガー・タバーン(Trafalgar Tavern, https://www.trafalgartavern.co.uk/)だ。ネルソン提督像の横にあり、ヴィクトリア時代の偉人の胸像や骨董品で埋め尽くされている。作家のディキンズも常連だったそうだ。

ライトアップされた夜のテムズは名所のイメージががらっと変わる。
英国観光局VisitBritain/George Johnson

帰りはウェストミンスター桟橋まで直行で戻るのもいいし、Hop-on Hop-offチケットを持っていれば、中を見たい名所に途中下船してもよい。帰路が日没後にかかるよう計画できれば最高だ。タワーブリッジ周辺からずっと両岸がライトアップされ、息を呑む夜景を満悦しながらクルーズを終えることができる。グリニッジ発の最終便は午後9時半ごろだ。

テムズ川は潮汐で水位が変わり船の速度に影響するため、ウェストミンスター桟橋からグリニッジまでの所要時間は45~55分と幅がある。1時間弱でこれだけの数の名所を眺め、グリニッジで2時間ほど過ごしてまたリバーバスで戻ってもたったの4時間。ここまで充実したロンドン観光が短時間にできる方法はなかなかない、と太鼓判を押しておすすめする。

・Uberボートby テムズクリッパー https://www.thamesclippers.com/plan-your-journey/route-map
リバーバスの運航ルートは、東西と中央の3ゾーンに分かれている。ウェストミンスターはセントラルゾーン(中央)、グリニッジはイーストゾーン(東)なので、片道か往復を買う場合Central & Eastチケットを購入する。

・交通カードOysterおよび非接触型カード(VISAタッチ等)も使用可。地下鉄やバスと同様に、乗り降りごとに桟橋の改札でタッチする。

・Hop on Hop off 1日全ゾーン乗り放題チケット Uberアプリおよびオンライン価格£22.10、桟橋で買うと£24.60。2日用もある。

文・写真/冨久岡ナヲ (英国在住ライター)ロンドン在住のジャーナリスト、英国ビジネスや時事ネタを中心に執筆中。旅と鉄道と食が趣味。共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿(光文社新書)」がある。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/

 

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