取材・文/関屋淳子
地より湧き出でる湯の温もりが恋しくなり、「そうだ、温泉いこう!」と思い立ったら、どんな温泉宿を選ぼうか。
例えば、地元の人たちに昔から愛され、大規模でなく、もてなしが行き届く適度な規模の気さくな宿。もちろん湧き出る温泉は掛け流しや、もしくはそれに準ずるほんものの湯で、その大地の恵みを大切に守り続ける湯守がいる……そんな“ほんもの温泉宿”を選びたいと思う人は少なくないだろう。温泉経験の豊かなサライ世代ならばなおさらだ。
JR東日本では、まさにそんな条件に合致した、湯心地・居心地・滋味なる食のすべてを満足させてくれる宿を東日本各地から厳選し、「地・温泉(じ・おんせん)」として選定している。選ばれし宿は、いずれも昔から地元に根差した“地力”の高い極上の温泉宿だ。
今回は、そんな「地・温泉」に選定された伝統ある温泉宿の中から、4つのエリアごとにサライが選んだ宿を1軒ずつ紹介しよう。
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【北海道・北東北エリア】
乳頭温泉郷 鶴の湯温泉
(秋田県)
秋田県は八幡平の南にそびえる乳頭山麓に点在する乳頭(にゅうとう)温泉郷には、全部で7軒の湯宿があるが、なかでも秘湯という名に相応しい一軒宿が「鶴の湯温泉(つるのゆおんせん)」だ。
寛永15年(1638)に秋田藩二代目藩主・佐竹義隆が湯治に訪れ、元禄時代には一般客相手の湯宿だったという記録が残る歴史ある温泉。鶴の湯の名は、文字通り鶴がこの湯で傷を癒していたことから名付けられた。
その湯は、とろりと肌にまとわりつくような濃厚なにごり湯で、この良質の湯と、江戸時代にタイムスリップしたような佇まいから、温泉ファンならば誰もが一度は泊りたいと思う憧れの温泉である。
宿を象徴する温泉は混浴の露天風呂で、足元からまさに生まれたての湯がこんこんと湧き出ている。新緑や紅葉、雪景色など四季折々の表情も豊かだ。
鶴の湯温泉の敷地内の建物は、かつて藩主の警護の武士が詰めた築100年を超す茅葺屋根の宿泊棟「本陣」をはじめ、湯小屋などすべてが落ち着いた木造で、旅情たっぷり。
囲炉裏を囲む夕食には、地元産の山の芋の団子と、季節の野菜の味噌で仕立てた名物の「山の芋鍋」が並ぶ。ほかにも岩魚や山菜、漬物など素朴な地の味と秋田の地酒がよく合い、この地方ならではの食文化を堪能することができる。
心温まるもてなしと佇まいを守り続けているのが、鶴の湯温泉15代目の湯守・佐藤和志さん。かつては電気も電話もない不便な夏だけの湯治宿を、快適で清潔、それでいて懐かしい「秘湯の宿」にしたカリスマだ。
「自然環境と乳白色の温泉がお客様に喜んでいただいていると思います。ただ、雪の多い年は雪下ろしや雪崩など、気をもむことが多いですね。温泉は4種類で、それぞれ泉質が異なります。肌触りや効能も違いますので、ぜひ体感してみてください」と佐藤さん。
素晴らしい湯と環境を守る人がいるからこそ、この宿のもつ風情を存分に楽しむことができるのだ。
『鶴の湯旅館』
アクセス:秋田新幹線「田沢湖駅」より乳頭温泉行き路線バスで約40分、アルパこまくさ下車送迎バスで約10分 または秋田新幹線「角館駅」より車で約60分。
http://www.jreast.co.jp/the-onsen/list/nyuto/
【南東北エリア】
高湯温泉 旅館玉子湯
(福島県)
吾妻連峰に囲まれ、福島県屈指の名湯と誉れ高い高湯温泉(たかゆおんせん)。開湯約400年を誇る高湯温泉には9本の源泉があり、それぞれの宿がこのいで湯を、地形の高低差を利用してそのまま引湯している。
江戸時代から変わらぬ「自然流下式」のやり方を守り、さらに昔から一切の鳴り物を禁ずるというしきたりがある高湯温泉は、今でも歓楽の要素が一切ない、静かな山峡の療養地である。多くの作家にも愛され、なかでも東北を代表する歌人・斎藤茂吉は、ここで長期逗留をしていた。
この高湯温泉の名湯を守り伝えるのが「旅館玉子湯(りょかんたまごゆ)」。そしてこの宿を象徴するのが、萱葺き屋根の湯小屋・玉子湯である。明治元年に造られ、男女別の脱衣場と湯船だけという湯屋は、かつての湯治場の雰囲気をよく伝え、これが温泉の原形かと合点がいくような気持になる。
「玉子湯」の名前は、温泉に入ると肌が玉子のように滑らかになることと、においがゆで玉子に似ていることから付けられた。酸性の硫黄泉は、空気に触れると青みを帯びた美しい乳白色になる。
「硫黄泉は湯花がパイプに付着してしまうので、掃除は欠かせません。また、温泉は一切加水も加温もしませんので、温度は湯量だけで調節します。毎日、それぞれの湯船の温度を測り、適温でお客様に入っていただけるようにしています」と話すのは、「旅館玉子湯」湯守の後藤省一さん。
温泉を自然のまま大切に守っていくという湯守の言葉には、東北初の「源泉掛け流し宣言」をした高湯温泉の誇りが宿る。
宿には開放感抜群の岩風呂の露天風呂や大浴場があり、湯巡りも楽しい。
夕食は囲炉裏を囲み、焼きたての山の幸を楽しめる。温泉でよく温まった体に、炭火で焼いた飾らぬ素朴な料理、そして美酒。ああ、日本人でよかったと思える瞬間である。
『旅館玉子湯』
アクセス:東北新幹線「福島駅」より、車で約30分。福島駅西口より送迎あり。
http://www.jreast.co.jp/the-onsen/list/takayu/
【上信越・北陸】
高峰温泉 ランプの宿 高峰温泉
(長野県)
次にご紹介する「ランプの宿 高峰温泉」は、標高約2000mに位置する山のいで湯。視下には高峯渓谷を見下し、遠く中央アルプスや美ヶ原が望める絶景地である。
この宿の魅力は、何といっても自然との一体感を楽しめること。なかでも中央アルプスの山々を望む雲上の野天風呂からの絶景は、日ごろの喧騒を忘れさせてくれる。
硫黄の匂いがほのかに漂う淡いにごり湯は、かつては健脚な登山客だけのものだったが、今は誰もがこの爽快な温泉を楽しめる。
源泉温度は約36度と低いため、内湯には源泉そのままのぬるめの湯と、加温をした湯の両方を備えている。湯守の後藤英男さんはこう話す。
「熱めとぬるめの両方の温泉に交互に入ることで、血行が良くなり筋肉痛や肩こりなどが早くよくなり、また冷え性の改善になります。飲泉では内臓消化器系に効果があります。24時間、常に安定して温泉をくみ上げることに心を砕いています。
海外からのお客様がさらに増える時代、新鮮で効能が高いほんものの温泉が人の体を癒してくれるということをしっかりわかってもらいたいと思いますし、それを伝えるのが私たちの使命ですね」
この宿では、夕食前の温泉健康講座、食後は星の観望会、朝食前には野鳥教室、さらにハイキングや植物観察など、自然や健康をテーマにしたイベントを数多く行っている。
また宿からの排水は、いずれ地下水や温泉水として戻ってくるということから、シャンプーやせっけんを置かず洗浄力の高い創生水に切り替え、自然環境保護の協力も呼び掛けている。まさに自然とともにある宿だ。
食事は地元の野菜をメインに、旬の山の幸、川魚などを使った体にやさしいメニューで、奇をてらわぬ素材の味を活かした料理ばかり。食事制限がある方にも対応してくれる(別途料金)。さらにハイキング客に好評なのが、昼食の信州蕎麦(要予約)。別天地でいただく極上の手打ち蕎麦は、また格別である。
『ランプの宿 高峰温泉』
アクセス:11月中旬までは北陸新幹線「佐久平駅」より車で約45分または高峰高原行き路線バスで約70分、高峰温泉下車後すぐ。11月中旬からは、佐久平駅より車で約45分またはアサマ2000スキー場行き路線バスで約60分、アサマ2000スキー場下車、雪上車にて送迎。
http://www.jreast.co.jp/the-onsen/list/takamine/
【北関東】
塩原塩の湯温泉 明賀屋本館
(栃木県)
那須塩原を流れる箒川(ほうきがわ)が形成する谷に沿って、源泉が点在する塩原温泉郷。豊富な湯量と多彩な泉質を誇り、江戸幕府直轄の天領の湯治場として栄えた。
そんな塩原温泉郷を形成する温泉のひとつ、塩の湯温泉の『明賀屋本館(みょうがやほんかん)』の自慢は、川岸露天風呂だ。
つづら折りの長い階段を下りていくと、目の前を流れる鹿股川の川岸に設えられた湯船には、滔々と掛け流しのにごり湯が溢れている。対岸の木々の濃い緑と川のせせらぎが、かつて体験したことがないような解放感をもたらしてくれる。
江戸時代から隠れ湯として知られたこのダイナミックな温泉を守り続けるのは、湯守の君島昭三さん。
「ほかでは味わえないこのロケーションを守るために、宿一丸で温泉を守っています。平成27年の大雨の際には浴槽が流されてしまいましたが、なんとか復旧しました。
塩原温泉のなかでも特に濃度が濃い温泉なので、高圧洗浄で湯詰まりしないように掃除しています。お客様から体が楽になったというお声をいただくと、嬉しいですね」(君島さん)
宿にはナトリウム‐塩化物泉のこの湯のほかに、うっすらと墨がかった色の単純温泉の湯があり、肌触りのよい滑らかな湯。湯巡りして、異なる湯心地を楽しみたい。
「明賀屋本館」の新鮮な温泉は、飲泉でも利用でき、胃腸病などに効能がある。さらにこの源泉を使った湯豆腐が朝食で供される。朝取り野菜や那須連山の地下水で育てたヤシオマス、栃木和牛などの夕食で満腹になった体に、湯豆腐の旨さがすっとしみ込むようだ。
宿には、大正初期に来館した作家の徳富蘇峰が名付けた「太古館」という和洋折衷様式の建物がある。昔ながらの懐かしい客室に泊まり、宿の歴史を物語る展示品を見学するのもまた一興だ。
『明賀屋本館』
アクセス:東北新幹線「那須塩原駅」西口より、塩原温泉行き路線バスで約60分、塩原塩釜下車徒歩約20分。
http://www.jreast.co.jp/the-onsen/list/shiobara_shionoyu/
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以上、今回はJR東日本の「地・温泉」に選定された東日本の温泉宿の中から、各エリアごとに1軒ずつ選んで紹介した。
この他にも「地・温泉」には東日本全域からさまざまな実力派旅館が選ばれている。宿のリストと詳細情報については、ぜひ「地・温泉」のウェブサイトをご覧いただきたい。
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「地・温泉」ウェブサイト
http://www.jreast.co.jp/the-onsen/
さあ、これから巡ってくる桜の季節、そして新緑かおる季節に、ぜひ温もりと笑顔が溢れる「地・温泉」の宿へ、心身を癒しに出かけてみてはいかがだろうか。
取材・文/関屋淳子