「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」。後ろには、浜松城が見える。

石の上にも三年、とはよくいったものだが、今年の大河ドラマ「どうする家康」の主人公で、戦乱の世を終わらせた天下人の徳川家康が浜松で過ごした日々は、その6倍にも近い17年。それはまさに、忍耐とその結果の成長の17年であったといえる。

織田、今川での人質時代を経て、生誕の地三河の岡崎城主となっていた家康が、切り取った遠江に居城を移したのは元亀元年(1570)。織田信長のアドバイスもあり、迫りくる武田信玄の軍勢と対峙するための拠点として選んだのが、永禄11年(1568)に奪った引間城であった。引間城の一部を取り込む形で新たに城を築城、浜松城と命名した。

大河ドラマ「どうする家康」でも、すでに舞台は岡崎を離れ、浜松に移っている。過日の放送でも描かれた家康三大危機のひとつに数えられる三方ヶ原の戦いも、浜松の広大な三方ヶ原台地で繰り広げられた。

そこで今回、大河ドラマ「どうする家康」の真っただ中に入り込むべく、浜松に新たに造られた「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」を訪れてみた。

門を潜ればドラマの世界

JR浜松駅からバスで約7分(さらに徒歩5分)、歩いても20分ほどの浜松の中心部に位置する浜松城の隣に造られた「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」。静岡、浜松、岡崎にある大河ドラマ館のうち、新設されたのは浜松のみだ。浜松の大河ドラマ館は、1月22日にプレオープン。いったん休館した後、展示内容をリニューアルし、物語の舞台が浜松に移るのに合わせて3月18日にグランドオープンした。4月5日には、1月から約2か月半という短い期間で来館者が10万人を突破。ドラマと足並みをそろえて盛り上がりを見せている。

ドラマの中で見たのと同じ、浜松城の出丸はね上げ門が再現されている。

大河ドラマ館に入ると、まずは松本潤さん演じる家康の大判パネルがお出迎え。「ようこそ我が城へ」と案内された気分になって奥へ進むと、ドラマの中で見たのと同じ、浜松城の出丸はね上げ門が再現され、いざ、城内へ、という趣向になっている。門のすぐ内側にある見張り小屋は、ドラマで実際に使われたものが展示されている。こうした建造物をそのまま展示できるよう、天井は4メートル以上の高さがあるが、そのため館内にいながら屋外にいるかのような錯覚を覚える。家康や家臣団がそこいらを歩いているのではないか、と思わず辺りを見渡してしまう。

わざと段違いに組むことにより、敵に梯子のように上られない構造になっている馬防柵も再現。

さりげなく展示されている馬防柵にも注目だ。実際にドラマでも類似の柵が散見されたが、これは史料をもとに再現されたもので、わざと段違いに組むことにより、敵に梯子のように上られない構造になっているのだという。無造作に造られたものと思いきや、実は精巧な再現だったことに驚かされる。

ドラマの撮影で実際に使われた、浜松城の見張り小屋。

撮影で使われた見張り小屋の上に置かれた重石は本物そっくりに見えるが、実は発泡スチロール製。大河ドラマの美術スタッフの技術を、こうして間近に見られるのがありがたい。

家康と瀬名の衣装も展示されている。

ドラマの中でキャストが着用した衣装や使用していた小道具なども展示。キャストの等身大パネルと一緒に記念撮影をしたり、足元に表示される模様を踏むとスクリーンにビジュアルが飛んで表示される体験型のデジタルコンテンツ、キャストのサインなど、内容は盛りだくさんだ。3か所にある大河ドラマ館のうち、240インチのスクリーンがあるのは浜松だけ。巨大スクリーンで見られるメイキング映像やキャストのインタビュー映像は必見だ。

ここでしか見られないオリジナル映像を240インチの大スクリーンで楽しめる。

どうする家康 浜松 大河ドラマ館

静岡県浜松市中区元城町102-1(浜松城東)
電話:050・3154・0830
開館時間:10時~18時(最終入場17時30分)
交通:浜松駅より徒歩20分。遠鉄バスご利用の場合、バスターミナル(1)・(15)乗り場発バス乗車→「市役所南」下車徒歩5分。
https://hamamatsu-ieyasu.com/doramakan/

浜松城遺構を間近に見物

どっぷりドラマの世界に浸って大河ドラマ館を出ると、目の前の葵広場の一角に、御誕生場の井戸がある。あくまで伝承だが、家康の子でこの先ドラマの中で登場予定、史実では徳川2代将軍となる秀忠の生誕地にあったとされる井戸である。

徳川2代将軍となる秀忠の生誕地にあったとされる井戸の復元。

また、広場の一隅には、大河ドラマ館建設に先立ち、発掘調査を行った際に出てきた石垣の現物が展示されている。浜松城本丸北東隅の野面積みの石垣で、1590年から1599年の間に浜松城主を務めた堀尾氏時代のものと想定されている。野面積みは、自然石をほとんど加工することなく積み上げ、間に礫石を挟んで補強した石垣の組み方で、石は浜名湖周辺から運んだものと見られている。ドラマと歴史のリアルが交差する広場に改めて感銘を受けた。

大河ドラマ館建設に先立ち、発掘調査を行った際に出てきた石垣の現物が展示されている。

敷地内にはインフォメーションセンターと土産物屋の「出世の街 家康SHOP」もあり、ここでしか買えない大河ドラマ関連グッズや、餃子、浜松焼きそば、うなぎパイといった浜松名物などを買い求めることができる。

敷地内にある「出世の街 家康SHOP」。ここでしか買えない大河ドラマ関連グッズや、浜松の特産品、お土産などを販売。

続いて、大河ドラマ館の背後に聳える、浜松城復興天守へ。平山城の浜松城は、家康の時代にはまだ天守はなく、ドラマの中で見るような姿であったろうと思われる。江戸幕府初代将軍となった家康の後も、浜松を居城とした多くの大名らが幕府老中などの要職に就いたことから、出世城と呼ばれている。

家康が天下統一の礎を築いた「出世城」と呼ばれる浜松城。

野面積みの石垣上に建てられた復興天守の内部には、往時の柱を立てた礎石や井戸などの現物展示がある他、三方ヶ原の戦いの様子を分かりやすく解説した模型展示、出土品などがあり、浜松の歴史を楽しみながら学習することができる。

天守閣からは、大河ドラマ館前の「葵広場」も見える。

浜松の台地を見晴るかす最上部からは、武田軍との激戦地となった三方ヶ原方面を一望。市内には今も、この戦いで家康がいかに苦しんだかを物語る伝承がいくつか残されており、ドラマでも話題になった柴田理恵さん演じる団子売りのおばあさんとの逸話(あくまでおばあさん談)に由来する「小豆餅」「銭取」といった地名が今も残る。

城内には、若き日の3D家康像や、甲冑などを展示している。

浜松城

静岡県浜松市中区元城町100-2
電話:053・453・3872
開館時間:8時30分~16時30分
交通:浜松駅より徒歩20分。遠鉄バスご利用の場合、バスターミナル(1)・(15)乗り場発バス乗車→「市役所南」下車徒歩5分。
https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/

家康が一矢報いた犀ヶ崖

犀ヶ崖古戦場。この下が崖になっている。

浜松城復興天守から見た、犀ヶ崖古戦場に行ってみることにした。

浜松城からわずか1キロほどの場所にある犀ヶ崖は、辛酸をなめた三方ヶ原の戦いで、徳川軍が武田軍に一矢報いた地として知られる。現地にある犀ヶ崖資料館の部長を務める織田昌明さんによると、当時の犀ヶ崖の規模は東西約2キロ、幅約50メートル、深さ約40メートル。付近に野営していた武田軍の目を欺くため、家康はこの崖に白い布を張って橋に見せかけ、浜松城近くの普済寺に火を放って浜松城が炎上しているように見せ、武田軍を背後から夜襲。慌てた武田軍の兵たちが馬もろとも崖に落ちたという。

犀ヶ崖古戦場近くにある、夏目吉信(広次)の顕彰碑。

ドラマでは家康の身代わりとなって討死した、甲本雅裕さん演じる夏目吉信(広次)が、徳川軍には地の利があると策を進言していたが、ああした軍議が実際にこの地で行なわれていたのだろうと想像をめぐらす。今では深さ13メートルほどになっている崖を見下ろしながら、合戦当時に思いを馳せる。

犀ヶ崖古戦場にある、本多忠真の顕彰碑。

犀ヶ崖には大型連休中の4月29日に家康役の松本潤さん、瀬名役の有村架純さんが訪れ、浜松市が新たに建立する「三方ヶ原の戦いの記念碑」の起工に先立ち開催した鍬入れ式に参加。他にも三方ヶ原の戦いで殿軍を務め討死した、波岡一喜さん演じる本多忠真の顕彰碑などがある。

犀ヶ崖古戦場の敷地内にある、犀ヶ崖資料館。

資料館には、浜松市出身のプロモデラー・山田卓司さんが制作した三方ヶ原の戦いの様子を再現したジオラマを複数展示。立体的に戦の様子を考察することができる。

犀ヶ崖資料館には三方ヶ原の戦いの様子を再現したジオラマを複数展示している。

ちなみに、資料館の織田さんは、当時の馬の大きさや走行スピード、合戦時に甲冑を着装した状態で移動できる距離などを計算し、徳川軍の武将たちの敗走ルートを検証。三方ヶ原の戦いの主戦場は、小豆餅付近ではないかと推察しているそう。地元では今も歴史談義が盛んで、家康への熱い思いが感じられた。

犀ヶ崖資料館

静岡県浜松市中区鹿谷町25-10
電話:053・472・8383
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館、翌日が休館)
交通:浜松駅より遠鉄バスご利用の場合、バスターミナル(1)・(15)乗り場発バス乗車→「浜松北高前」下車。

勝利の摩利支天と勝栗と

浜松御城下を後にして、もう一カ所、気になる場所に足を延ばしてみることにした。浜松市街から車で1時間ほど、天竜川の支流である二俣川上流にある光明寺だ。

光明寺現山主の甘蔗孝仁さん。

この辺り一帯は、三方ヶ原の戦いの前哨戦で武田軍により侵攻されていたが、家康が苦戦の末、奪還したといわれる地だ。その際、光明寺の当時の高継という住職を通じて、村人らが徳川軍に抜け道などを案内。こうした村人の助けがあって、徳川軍は勝つことができたのだという。

「遠江一帯では、家康公は連敗につぐ連敗でした。それでも高継住職が家康側についたのは、先見の明があったのかもしれませんね」

こう語るのは、光明寺現山主の甘蔗孝仁さんだ。以後、家康の庇護を受けた光明寺には、家康が兜に挟んでいたと伝えられる香合摩利支天が伝わっている。

家康の香合摩利支天が祀られている、堂宇の並ぶ境内を8分ほど上った先にある奥の院。

家康の香合摩利支天は、堂宇の並ぶ境内よりさらに8分ほど急な坂を上った先にある奥の院に祀られている。息を切らしながら上っていくと、麓から浜松方面までを見渡すことができる。

香合摩利支天は通常非公開。摩利支天ゆかりの亥年の秋の大祭時のみ、2日間御開帳となる秘仏だ。次の亥年は2031年、もう少し先だが、御開帳時に是非参拝したい。

香合摩利支天の祈祷済の写し。

日頃は秘仏の香合摩利支天だが、特別に作られた祈祷済の写しは光明寺授与所で授かることができる(2万円)。直径8.6センチで、実物より一回り大きいが、家康が兜に入れて戦に持参した縁起の良い像だ。

甘蔗さんによると、家康は後に征夷大将軍に任命された慶長8年(1603)に高継住職を京都の伏見城に呼び寄せ、かつての恩に礼を述べた。高継住職は村人たちが作った保存食で兵糧にもなった乾燥栗の「かち栗」を献上。家康は喜んで、「光明」を「功名」、「かち栗」を「勝ち栗」と置き換え、「功名の勝栗」と名付けたという。近年、「功名の勝栗」を献上した農民の子孫がこれを再現し、光明寺ほかに奉納している(非売品)。

浜松から離れた山中に祀られる家康の秘仏と勝栗伝承。この他、浜松や近郊には家康ゆかりの史跡などが多数あり、確かにここに家康が暮らし、やがてここから天下人へと名乗りをあげていったことが肌身に感じられる。大河ドラマをきっかけに、改めて家康の浜松を訪れてみてはどうだろうか。今後浜松を舞台に展開されていくドラマが、より楽しめそうだ。

家康の香合摩利支天が祀られる光明寺。山の上に見えるのが、奥の院。

光明寺

静岡県浜松市天竜区山東2873番地
電話:053・925・3547
交通:JR浜松駅より遠州鉄道西鹿島駅下車32分。西鹿島駅より遠鉄バス山東・春野行き、山東下車。

「徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松」https://hamamatsu-ieyasu.com/

取材・文/平松温子 撮影/乾 晋也

 


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