京都・東山の六波羅蜜寺には、平安・鎌倉時代の木造彫刻を代表する仏像が多く残されている。古都の名刹寺宝に会いに、本誌の三浦一夫編集長が向かった。

空也上人立像

鎌倉時代(13世紀)、木造彩色、像高116.5cm、重要文化財。空也上人は大寺院に属さず質素な身なりで市中を回った。草鞋の先から足指が飛び出しているところなど、細部にまで迫真の姿が描写されている。
空也上人が念仏を唱えると、口から一音ずつ阿弥陀仏の姿となり出現。盛り上がった頬骨や目尻の皺などに、鎌倉彫刻の写実的な特徴が見て取れる。

京都・東山の六波羅蜜寺は、開祖である空也上人立像を始めとする、平安・鎌倉時代の写実的な木造彫刻の特徴を色濃く残す寺宝が数多く安置されている。14体の彫像が国の重要文化財に指定され、多くが境内の収蔵庫「令和館」で公開されている。

今回、六波羅蜜寺の寺宝を訪ねたのは、本誌の三浦一夫編集長だ。昨年、東京国立博物館で『空也上人と六波羅蜜寺』という特別展が開催されたが、そこで展示された仏像が「令和館」で拝観できると聞き、寺を訪れた。

三浦編集長はこう語る。

「六波羅蜜寺を参拝するだけでも、京都を訪れる価値があります。仏像が好きな方には、令和館に収蔵された寺宝の数々をぜひ見ていただきたいですね」

川崎純性山主に案内をお願いした。山主に、三浦編集長の質問に答えていただきながら、令和館の展示を巡る。

空也上人の献身を活写

──まず、見るべきは教科書にも載っているたいへん有名な空也上人立像です。口から出ている針金は「南無阿弥陀仏」の6文字がそれぞれ阿弥陀仏となったものと伝わりますが、空也上人(903~972)とは、どのような僧侶だったのでしょうか。

川崎山主(以下、川崎) 空也上人が生きた平安時代中期は、京都で疫病が蔓延し、多くの民衆が病に倒れていった辛い時代でした。

──空也上人はどのような活動をしたのですか。

川崎 病人に水を与えるために井戸を掘り、火葬をすすめました。空也上人にウイルスの知識はなかったと思いますが、たいへん理にかなった行動です。弱った民には「皇服茶」(梅干しと昆布を入れた茶)をたて、献身的に病人を介抱しました。

──ご本尊の十一面観音像(国宝。本堂の厨子に安置される秘宝。12年に一度、辰年に開帳される。次回は令和6年)は、そのとき空也上人が造ったと聞いています。

川崎 その像を荷車にのせ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら市中を引いて回ったのです。どんな人でも念仏を唱えれば、極楽往生できると上人は諭しました。人々は上人の疫病に対する献身ぶりをよく知っていますから、念仏は民衆の心に届いたと思います。

──空也上人は、行動する僧侶であったわけですね。この像は真に迫り、今にも念仏が聞こえてきそうです。口から出ている阿弥陀仏からは、どこかSF的で、宇宙的な広がりを感じます。

川崎 空也上人立像は、上人のそんな行動的な面が活き活きと描写されています。鹿杖をつき、鉦を鳴らし、念仏を唱えながら市中を回りました。もしかしたら、当時の人は、念仏を唱える上人の口から、本当に阿弥陀仏が飛び出しているように見えたのかもしれませんね。

仏像彫刻に新風を吹き込んだ「慶派」の息吹を鑑賞する

鎌倉時代の仏師を代表するのが、運慶(生年不詳~1223)である。父、康慶に始まる写実主義を推し進め、精力的に制作に励み当代一の仏師に上り詰めた。運慶は、躍動感のある個性的な造形を生み出し、仏像のみならずその後の日本の彫刻に多大な影響を与えた。

六波羅蜜寺の「令和館」には運慶作の地蔵菩薩坐像を始め運慶坐像、湛慶坐像など、慶派に属する鎌倉仏師の作品が安置されている。

鎌倉仏師の熱量を感じる

平清盛坐像

鎌倉時代(13世紀)、木造彩色、像高83.0cm、重要文化財。両手で経巻を開くが、目はその上方を遠望している。写実的な表情と、なだらかな衣の表現などから慶派仏師の作と推測されている。

──平清盛 (1118~81)というと、絶大な権力を振るった武将として知られていますが、この像は穏やかな表情を見せています。

川崎 清盛公は平安末期に亡くなり、ずいぶん経った鎌倉時代に制作された像です。すでに源氏の世の中になっていますから、どうして清盛公? と思われるでしょう。もしかしたら、関東の鎌倉政権にいまひとつ納得のいかない京都人の気風が、この像を造らせたのかもしれません。出家して浄海と号した清盛公晩年の姿とされ、僧の姿で経巻を開いておられます。

──運慶作の地蔵菩薩坐像は通称「夢見地蔵」と呼ばれていますが、どのような意味なのでしょうか。

川崎 運慶の夢の中に出てきたお地蔵様を彫ったという伝えから、その名で呼ばれています。かつて、六波羅蜜寺の境内には運慶が建立した、一族の菩提寺である地蔵十輪院の由緒を引き継ぐ十輪院があり、その本尊として安置されました。数ある運慶の像では初期の作とされていますが、袈裟のひだの表現などは見事としかいいようがありません。

地蔵菩薩坐像

鎌倉時代(12世紀)、木造彩色、像高89.5cm、重要文化財。端正な顔立ちと立派な体躯 、衣の流動感などが願成就院(静岡県伊豆の国市)にある、運慶作の阿弥陀如来坐像と共通する。

──運慶自身も運慶坐像となり寺に遺されています。

川崎 運慶とその息子の湛慶の坐像も地蔵十輪院に安置されました。仏師自身が像として遺るのは鎌倉以降のことでして、運慶、湛慶の肖像としても貴重なものです。袈裟を着けた僧形で、数珠を手にしておられます。

運慶坐像

鎌倉時代(13世紀)、木造彩色、像高76.7cm、重要文化財。鎌倉時代を代表する仏師、運慶の肖像と伝わる。ひきしまった体躯と分厚い両手から、数々の名仏が造り出されてきたのだろうか。

──いずれの仏像も袈裟のなだらかな曲線や表情、手の動きなどに写実を追求した慶派の血脈を感じます。間近で拝観すると、仏師の熱量すら感じます。

14体の国重要文化財を含む仏像などが展示される令和館にて、川崎山主の解説を聞く三浦編集長。写真左は空也上人立像。

六波羅蜜寺 「令和館」

拝観時間:8時30分~16時45分(受付終了16時30分)
休館日:無休(臨時休館あり)
拝観料:大人600円
電話:075・561・6980

慈悲の眼差し「地蔵菩薩立像」に惹き込まれる

地蔵菩薩立像

平安時代(11世紀)、木造漆箔(しつぱく)、像高162.0cm、重要文化財。檜材の一木造りで、衣には切金文様が随所に残る。なで肩で細身の体躯、慈悲に満ちた穏やかな眼差しで、拝観者を見守る。

──地蔵菩薩立像は平安時代の仏像と聞いております。とても優しいお顔をされ、見つめていると心が安らいできます。

川崎 この像は平安中期の仏師、定朝(生年不詳~1057)の作といわれています。かわいらしいお顔でしょう?

──手にしているのは髪ですか。

川崎 毛髪です。この像には物語があります。ある娘が母親を亡くし悲しみに暮れていると、僧侶が現れてお経を上げ、母を山まで背負っていき埋葬してくれた。僧侶にお布施をしたいが娘は何も持っていない。ただ、心から感謝したそうです。

──その僧侶は、どこから現れたのでしょう。

川崎 娘が訊ねると「六波羅から」とこたえました。そこで娘はもう一度僧侶に会いたいと、当山を訪ねてきたのです。ところが「そんなお坊さんはいません」と言われた。地蔵堂をふと見たら、足元が泥だらけのお地蔵さんが立っておられた。手には亡き母の棺中に入れた髪を提げておられた。そんな伝説が残っています。

──哀しくも不思議な伝承ですね。それで「鬘掛地蔵」という通称が記されているのですね。

川崎 当寺に安置される仏像はどれも、様々な物語を秘めています。そんな仏像を大切に守っていくことも、寺の使命と思っています。

(仏像写真/アサヌマ写真スタジオ)

『サライ』編集長 取材後記

今回、六波羅蜜寺の寺宝を訪ねた、『サライ』の三浦一夫編集長。

六波羅蜜寺に寺宝を収蔵する令和館が昨年、令和4年5月に開館したことは聞いていたが、新型コロナウイルスの感染が拡大していた時期でもあり、その報にこの寺の開祖である空也上人の慈悲と偉業に思いを馳せずにはいられなかった。空也上人は平安時代中期、疫病が蔓延する京都で念仏を唱えて回り病魔を鎮め井戸を掘ったという。

宝物館に安置された、鎌倉時代に運慶の四男・康勝の作という空也上人立像の隣りには平清盛坐像。空也没後、200年あまり。清盛は日本で初となる武家政権を打ち立て権勢を振るったが、平家はこの六波羅の地を拠点にした。

なぜ平家は六波羅を選んだのか。それは京都駅より六波羅蜜寺を目指すにあたり、健脚であれば歩いて向かうのも一興だが、バスで向かってもその地勢はわかる。六波羅は鴨川の東、五条大橋を渡った地であるが、東国の境となる東山や奈良へ至る大路が交差する要衝であり、平氏滅亡後に源氏もこの地に六波羅探題を置いたことから重要な場所であった。

鴨川を渡り六波羅蜜寺を目指すとき、この地で、念仏を唱えながら供養したであろう空也の姿が、令和館に収蔵された衆生の救済のために今にも歩き出しそうな草鞋履きの上人像と重なるのだ。

今、六波羅蜜寺は明治の廃仏毀釈により寺域は小さくなり、街並みに溶け込んでいるが、地域の人々に篤く信仰され、毎年12月に踊りながら念仏を唱える「空也踊躍念仏」が盛大に行われる。その姿もまた、撞木を持ち金鼓を下げる上人像と重なる。

今回は第65代住職の川崎純性さんに令和館を案内していただいたが、修学旅行で訪れたであろう学生にも気さくに説明され、上人の教えが継がれていく。

江戸時代には西国三十三ヶ所観音道場の第十七番札所として多くの参拝者を集め、それを伝える石碑が残る。このあたりの通りや路地には気取らずに食事ができるお好み焼や焼きそばの店もあり、旅の楽しみである。

六波羅蜜寺

室町時代に建立された本堂。昭和41~44年に解体修理され、江戸の享保年間の彩色に復元。

京都市東山区轆轤町81-1 
拝観時間:8時~17時
境内無料
電話:075・561・6980

JR京都駅より京都市バス206系統「清水道」下車徒歩約7分。京阪の清水五条駅より徒歩約7分。阪急の京都河原町駅より徒歩約15分。

JR東海「そうだ 京都、行こう。」連動企画

「一度は拝みたい京都の仏像&スイーツチケット」

JR東海では「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンに連動した「一度は拝みたい京都の仏像&スイーツチケット」(1500円)を発売中だ。「EX 旅のコンテンツポータル」にて購入できる。

前出の六波羅蜜寺のほか、東寺、三十三間堂、泉涌寺 、スイーツ各店舗より3箇所を組み合わせることができ、通常料金(販売価格)は合計で1600円~2228円なのでお得に巡ることができる。ぜひご利用ください。

東寺(教王護国寺) 帝釈天半跏像

東寺の講堂に安置される、帝釈天が片足を上げ、片足を下げた「半跏」の姿勢で白象に乗る。平安初期に造像、頭部は後補。国宝。

京都市南区九条町1
JR京都駅より徒歩約15分
拝観時間:8時~17時(受付終了16時30分)
電話:075・691・3325

蓮華王院 三十三間堂 千体千手観音立像

堂内、10列の階段状の壇上に並ぶ千体の観音立像は圧巻。平安から鎌倉時代にかけて造像された。国宝。写真提供/妙法院

京都市東山区三十三間堂廻り町657
JR京都駅より京都市バス100、206、208系統「博物館三十三間堂前」下車徒歩約1分
拝観時間:8時30分~17時(受付終了16時30分)
電話:075・561・0467

泉涌寺 楊貴妃観音像

観音堂に安置される美しい観音像。1230年(寛喜2)に中国から渡来した。国重要文化財。写真提供/泉涌寺

京都市東山区泉涌寺山内町27 
JR京都駅から京都市バス208系統「泉涌寺道」下車徒歩約12分
拝観時間:9時~17時(受付終了16時30分) 
休館日:「心照殿」(宝物館)は第4月曜休館
電話:075・561・1551

古都の評判のスイーツを堪能

4寺院とともに巡ることができるのは『辻利 』『kyocafe chacha』『UCHU wagashi』の各店。どれも京都で評判のスイーツの名店である。

このチケットを使うと、対象寺院と店舗から好みの3箇所を拝観したり、スイーツを味わうことができる。仏像を愛でたあとはスイーツで旅の疲れを癒してはいかがだろう。

詳しくは、下のQRコードからアクセスしていただきたい。

『辻利』の京パルフェ

京都タワーサンド店 電話:075・744・6417
京都祇園店 電話:075・551・0220

『kyocafe chacha』の京ワッフル

三条店 電話:075・746・6817
嵐山店 電話:075・863・5885

『UCHU wagashi』の季節のfukiyose

寺町本店 電話:075・754・8538

「おすすめの仏像スポット&スイーツ」など、「そうだ 京都、行こう。」企画の情報はこのQRコードから。

QRコードが読めない方はこちら

https://souda-kyoto.jp/index.html

●当企画について寺院・店舗へのお問い合わせはご遠慮ください。

提供/JR東海

 

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