伝統を踏まえながらも常に時代の先を行く舞台芸術、といえば何を思い浮かべるだろうか。『サライ』は、1914年の初公演を経て、進化を続け、今年105周年を迎えた「宝塚歌劇」を挙げたい。「宝塚歌劇」と聞くと、女性たちが楽しむものだと思われがちだが、その舞台は、演目の健全性や大衆性から、現代の日本では他に類を見ない、すべての世代が楽しめる一大エンターテインメントだと言える。
今回は『サライ』読者でもある佐藤常明さん(71歳)と眞澄さん(59歳)ご夫婦に、兵庫県宝塚市にある「宝塚大劇場」を実際に訪れていただき、人生で初めての宝塚歌劇を観劇してもらった。
奥様の眞澄さんはお母様に「あなたの名前は“タカラジェンヌの男役ならこんな名前を付けたい”という着想をもとに名付けたのよ」ということを聞いて以来、興味が湧き、訪れる機会をうかがっていたそうだ。
エーゲ海クルーズに出かけたり、クラシックコンサートから歌舞伎、狂言まで幅広くエンターテインメントを楽しまれているご夫婦の、タカラヅカ・デビューの様子をご紹介していこう。
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■いざ、“タカラヅカ”へ
緑豊かな六甲連山と美しく調和した街並みが見えてくると緩やかに電車はスピードを落とし、阪急宝塚駅へと滑り込む。大阪の都心から30分強の距離だが、街は清らかで洗練された空気を纏っている。駅から広場に出るとタカラジェンヌをモチーフにしたモニュメントが出迎えてくれる。
約10分ほど歩いて、宝塚大劇場へ。
「質の良い芝居を安い料金で大衆に観せたい」という宝塚歌劇の創設者である小林一三(いちぞう)の理想のもと、1924年に4,000人を収容する旧・宝塚大劇場が誕生した。現在の大劇場は1993年に建て替えられたもので客席数は2,550席である。
今の時代だからこそお手本にしたい、一三の壮大な志は宝塚歌劇の随所に継承されている。観劇に入る前に、宝塚歌劇がいかに日本を代表するエンターテインメントになっていったのか、歴史を辿りながら紐解いていこう。
■宝塚歌劇、誕生
宝塚歌劇は、現在の阪急阪神東宝グループの創業者である、小林一三によって創設された。鉄道沿線の宅地開発、日本初の駅に直結したターミナルデパートである阪急百貨店の開業といったユニークな発想から生まれたビジネスモデルは、当時の固定観念を覆すものだった。今もなお、私鉄経営を始めとする各地の事業者たちに大きな影響を与えている、日本を代表する実業家だ。その一三が特に愛情を持って取り組んだのが、宝塚歌劇である。
現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の梅田−宝塚、石橋−箕面間が1910年に開通したが、当時の宝塚は小さな村に過ぎず、乗客数は伸び悩んでいた。その時、取締役であった一三が尽力し宝塚新温泉を誕生させた。翌々年、宝塚新温泉内の娯楽設備を充実させるために2階建ての洋館「パラダイス」を増設し、中央には室内プールを設けたが、思いのほか不評に終わってしまう。当時の三越百貨店で好評を博していた少年音楽隊にヒントを得た一三は、打開策として少女だけの宝塚唱歌隊を結成し、9ヶ月の稽古を経て室内プールを大改造した劇場で初公演を行った。宝塚歌劇の誕生である。
■華やかなりし宝塚の舞台を襲う、戦争の影
1924年に旧・宝塚大劇場が完成。3年後には、日本初のレビュー『吾が巴里よ<モン・パリ>』を上演し、大ヒット。昭和初期に西洋の文化を取り入れた舞台は評判を呼んだ。
一方、華やかな舞台とは裏腹に戦争の足音が聞こえ始める。時代の影響を受けて、作品は戦争を思わせる内容に傾き、戦地に向かう前の学生が大劇場で最後の観劇を楽しむという悲しい光景も見られた。ついに1944年、宝塚大劇場は閉鎖に追い込まれ、公演の最終日には「最後に一目観たい」と夜明け前から劇場にファンが押し寄せたという。劇場を失った劇団員たちは慰問や工場奉仕に動員された。
翌年終戦を迎えるも、劇場は引き続き連合軍に接収されたままだった。劇団員たちは、劇場復活へ向け、全国各地の進駐軍慰問に出かけたほか、全劇団員の嘆願署名を持って、GHQに陳情したそうだ。そのかいあってか、1946年宝塚大劇場の公演は遂に再開し、待ちかねた大勢の観客が連日押し寄せ、戦後で混乱していた人々の心に光を射した。
■戦後、新たなる宝塚時代の幕開けへ
その後1950年代以降は次々と名作を生み出していく。中でも大ヒット作となった『虞美人』は3か月連続公演を行い、大劇場観客数は30万人以上となった。また1960年代には『華麗なる千拍子』が通算で7カ月半上演され、芸術祭賞を受賞した。
一方、戦前も行っていた海外公演も再開し、ハワイやカナダ・アメリカ31都市を巡演するなど、国際的な声価を高めた。
東京オリンピックが開催された1964年、宝塚歌劇は50周年を迎える。1967年には、初のブロードウェイ作品に挑戦し、海外ミュージカルの上演という新たな1ページを開いた。
1974年には、池田理代子原作の傑作少女漫画『ベルサイユのばら』が初演され、社会的な大ブームとなり多くの人たちを魅了した。本作はフランス革命を背景にしたスケールの大きな愛とロマンの物語で、当時は漫画を舞台化すること自体が珍しく、原作ファンからは“漫画のイメージを壊さないでほしい”といった懸念の声が上がったが、劇団員とスタッフは、あらゆる努力を重ねて公演を大成功に導き、宝塚歌劇の人気は全国区のものとなる。
■阪神・淡路大震災を乗り越え、宝塚歌劇は100周年へ
こうして『ベルサイユのばら』は、宝塚歌劇の財産とも言えるほどの作品となった。その後も1977年に名作『風と共に去りぬ』の上演や1996年にはウィーンミュージカル『エリザベート』を初上演し、代表作を世に送り出した。しかし、『エリザベート』初演の前年、宝塚歌劇は再び大きな試練を迎えている。1995年に発生した、阪神・淡路大震災だ。宝塚大劇場は大きな被害を受け、公演は中止となり、再開の見通しもつかないような状況に陥った。そのような中、全国から公演を望む声が届き、震災によって心の痛手を負いながらも、劇団員や関係者はこの試練によってさらなる結束を固めたのだった。
舞台機構を制御するコンピューターが無事だったことも幸いし、震災から2か月半後には宝塚歌劇の明かりが再び灯ったのである。
戦争や震災、あらゆる逆境を乗り越え、105年もの長きに渡り歴史を紡いできた宝塚歌劇の姿は、激動期の日本を生きてきた『サライ』世代の姿と重なるのではないだろうか。
その後も常に挑戦を続け、ついに2014年に宝塚歌劇は100周年という記念すべき節目を迎える。2018年には通算27回目となる海外公演を成功させ、国境を越えて多くの人々を魅了し、現在では年間約280万人の観客動員数を誇っている。
■宝塚歌劇、上質な大人の時間の過ごし方
100年を超える歳月に磨かれてきた宝塚歌劇の歴史を知ると、大劇場での過ごし方、感じ方も一段と深いものになるのではないだろうか。
さあ、宝塚大劇場の館内へと歩を進めよう。
宝塚大劇場の中は、数々のレストランやショップ、カフェテリアが並び、館内は想像以上に広い。
・公演前にはちょっぴり贅沢なランチを
観劇前に、館内にある宝塚ホテル直営レストランの「フェリエ」でランチへ。
宝塚大劇場オリジナルメニューや公演特別メニューに舌鼓。ホテルクオリティの洗練された美味が次々と運ばれてくる。これから始まる公演のイメージが膨らみ、自然と期待が高まってくる。
・待望の観劇タイムへ
開演30分前には大劇場改札へ。改札の先では、グランドピアノから公演の主題歌が流れ、シャンデリアと赤い絨毯に彩られた豪奢なメインロビーが目の前に広がる。
舞台の上演時間は30分の幕間休憩を含めておよそ3時間。
公演前にプログラムを購入し、ストーリーや背景を予習するのもいいだろう。
さあ、待ちかねていた舞台の幕がいよいよ上がる。
迫力のあるダンスに、美しい衣装、スピーディーな場面転換など、一気に舞台の世界観へと引き込まれる。そして驚くことに、音楽はオーケストラの生演奏だ。
・幕間はスイーツを楽しみながら、ほっと一息
幕間にはラウンジで購入したデザートを堪能。公演に合わせたスイーツを楽しむことができる。「思っていたより、男性客も多いね」と周りを見渡しながら常明さんが語りかけると、眞澄さんも「何より観客の方たちのマナーが素晴らしいわね。客席も一体となって、舞台を盛り上げる。この感動は実際に劇場に足を運ばないとわからないわ」と応じる。
宝塚歌劇の長い歴史はファンとともに築いてきた歴史でもある。実際に劇場を訪れると、そんなことを容易に感じさせてくれる。
ほかにも、晴れている日には、ジェラートショップ「ボヌール」でお気に入りのフレーバーを選んで、武庫川の清流を眺めながらテラスでいただくのもおすすめだ。
・公演はいよいよフィナーレを迎える
公演の最後には出演者全員の華やかなフィナーレが繰り広げられ、幸福な余韻は観劇後もしばらく続く。
「あっという間の3時間。まるで夢を見ているようでした」と瞳を輝かせる眞澄さん。「日本で生まれた芸術がここまでレベルが高いとは想定していなかったので“ごめんなさい”と思ったよ。芝居、ダンス、音楽、映像を使用した高いレベルでのシンクロは鍛錬の賜物だと伝わってきたね」と常明さんも頷く。
観劇後、宝塚大劇場内2階にある「宝塚歌劇の殿堂」へ。宝塚歌劇の発展に大きな貢献をした宝塚歌劇団の卒業生およびスタッフ105名の功績がそれぞれのゆかりの品とともに紹介されている。
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名残惜しい気持ちを胸に宝塚大劇場を後にし、帰路に着く。行くときも通ったはずの「花のみち」では、観劇の余韻がじんわりと浮かぶ。
宝塚歌劇は常にその時代の感覚が織り込まれている舞台芸術だ。だからこそ、多くの人の心を動かし、日本のエンターテインメントの第一線を張っているのであろう。
上演されている演目は、重厚な歴史劇から、ハートフルなコメディ、社会的問題をも取り扱う骨太な作品までじつに多彩だ。宝塚大劇場では来年の1月から『サライ』世代にも懐かしい1985年の日本アカデミー賞 最優秀外国作品賞に輝いたアメリカ映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を世界初舞台化した公演が上演される。
「われわれの目標とするところは大衆の芸術である」と一三が語ったように、宝塚歌劇は肩肘はらずに楽しめる大人の上質なエンターテインメントだ。一度足を運んでみてはいかがだろうか。
写真提供及び取材協力:宝塚大劇場
取材・文/末原美裕
撮 影/小林禎弘
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