文/一乗谷かおり
猫飼いにとって必須のキャットフード。今ではペットショップに行かなくても、スーパーなどで当たり前のように売られており、猫飼いにとってはありがたい時代になった。その歴史は存外新しく、初めてアメリカでキャットフードが作られたのは1960年代。日本で盛んに作られるようになったのは、1970年代になってからだ。
キャットフードが家庭に浸透したのはこの四半世紀で、それ以前は、猫の食事といえばご飯に鰹節をまぶしたものだとか、焼き魚、味噌汁など人間の食べ物のあまりを混ぜたいわゆる「猫まんま」だった。
今となっては、「そんな塩分の高いものを愛猫に食べさせるなんて!」と思ってしまうが、日本の猫たちは歴史を通して、どんなものを食べていたのだろうか。気になって猫の食べ物の歴史を紐解いてみた。
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日本人と猫との出会いは、遺跡からの出土品からおよそ2100年前に遡るといわれている。その後、奈良時代から平安時代にかけて、仏教の経典を運ぶ船に乗って、猫が日本に本格的に連れてこられた。大切な経典をかじるネズミを退治する重要な任務を担っていたのだ。
渡来した猫たちは「唐猫」と呼ばれ、希少な愛玩動物として貴族の間で飼われるようになっていった。
清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』など、錚々たる平安文学にも猫が登場するが、特に名高い平安の猫飼いといえば、第五十九代の天皇、宇多天皇である。その宇多天皇がしたためた日記に、1100年以上前の猫の食べ物が記されていた。
■宇多天皇による元祖「愛猫日記」とは
宇多天皇がその治世の間、書き続けていた『寛平御記』と呼ばれる日記の、寛平元年二月六日(十二月の誤記とも)の条に、天皇が愛育していた猫について事細かに記されている。この条は、漢文で記された日本初の猫の飼育日記、というより愛猫自慢日記だ。
宇多天皇がこの日記を書いたのは22歳の時。日記には、父帝の光孝天皇から譲り受けて5年、黒猫を寵愛しているとあるので、17歳の頃から大事に飼っていたことが分かる。
日記の描写から、天皇の愛猫は他のどの黒猫よりも美しい墨のように黒い猫で、しなやかな体は長さ一尺五寸(約45センチ)、高さは六寸(約18センチ。一般的な猫の体高は現代の測定で約30センチであるため、おそらく測り方が違ったのだろう)。「丸くなった姿は黒い宝玉、歩く姿は雲の上を渡る龍のごとし」「他のどの猫よりもネズミ捕りが上手」とべた褒めだ。
「心身ともに備わっているお前は、きっと私のこともよくわかっているね」と語りかけたことまで記されており、若き宇多天皇にとって愛猫が心の友でもあったことが伝わってくる。惜しむらくは、愛猫の名前が記されていないこと。失われてしまった日記のどこかに記されていたのかもしれないが、少なくとも伝えられているこの条にはその名は見当たらない。
■平安時代の猫ごはん「乳粥」の正体とは?
さて、宇多天皇はこの愛猫日記に、ちゃんと猫のごはんについても書いてくれていた。「毎旦給之以乳粥(毎旦、乳粥を以て之に給ふ)」とあり、乳粥なる食べ物を御自ら与えていたことがわかる。字面から「ミルク粥」かと思ったが、調べてみると、どうも違うらしい。
読み方は「にうのかゆ」で、平安時代中期に編纂された辞書『倭名類聚抄』に掲載されている「酪」、和名「迩宇能可遊(にうのかゆ)」と同じもののようだ。
中国の文献や江戸時代に編まれた『和漢三才図会』などから、「酪」は乳をかき混ぜながらゆっくり温め、容器に移し、表面の膜を取り除き、古い(もともとある)「酪」を加えて混ぜ、保存したものであるという。古い酪(種菌)を加えることから、おそらくヨーグルトのようなものであったと考えられる。
乳製品は当時、滋養の高い薬のように考えられていた。日本人は奈良時代から様々な乳の加工品を食べていたが、平安時代には乳牛院とよばれる生乳を供御する機関まであり、安定的に乳が朝廷に供給されていた。その大事な乳の加工品を、宇多天皇は愛猫に与えていたわけだ。
しかし、ヨーグルトだけで猫は満足するものだろうか。確かに、我が家の黒猫もヨーグルトは大好きだ(飼い主が食べているのを欲しがるが、脂肪分や糖分が多いものは与えないようにしている)。しかし、本来は肉食動物である猫だから、ヨーグルトだけというわけにはいかなかったはずだ。
宇多天皇が御自ら愛猫に乳粥を与えていたのは「毎旦」、つまり毎朝。他の時間帯の猫の食事は、お世話係が適宜与えていたのかもしれない。あるいは、ネズミを捕るのが上手とのことから、猫が自給していた可能性も考えられる。乳粥はもしかしたら、愛猫に長生きしてもらいたくて与えていた特別なおやつだったのかもしれない。
天皇によると、毛艶は抜群に良かったようなので、健康状態も良かったのだろう(天皇いわく、体の動きと呼吸法を合わせて全身の気の流れを良くする「導引術の気法」を猫が用いているためだそう)。
天皇の寵愛を受け、美味しい乳粥をもらって、のびのびと内裏で過ごしていた黒猫。さぞ、幸せだったに違いない。
文/一乗谷かおり
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