スポーツクラブで若い女性に話しかけていた
定年は、60歳の誕生日だった。
「部下や元部下、後輩から盛大に祝われ、お互いに涙を流しながら、会社を出ました。退職金や財形などのまとまったお金が入り“あと30年は安泰だ”と安堵したのです」
定年から3日間は「もう満員電車に乗らなくていい」「これから毎日自由だ」というワクワク感があったという。
「でも、4日目になると不安になってくるんですよね。朝起きても行く場所がない。目標に追われることも、締切もない。一人暮らしだから、私が何をしても誰も反応しない。わかったのは、あり余るほどの“意味のない自由”がこれから一生続くということ。これがすごく怖い。ものすごい虚無感に包まれました」
仕事をしていたから、休日の自由時間が貴重だった。
「好きな映画やドラマを見ても、まったく頭に入らない。だってその内容を話す相手がいないんですから。商談どころか同僚との雑談もない。仕事で知り合い、何度も旅行した友人はいますが、何の肩書きもない私が連絡をするには遠慮があります。このままでは引きこもりになってしまうと思い、スポーツクラブに入会したのです」
朝9時にクラブに行き、プログラムをこなして、15時に帰宅するというルーティンを続けた。
「数か月間、頑張りましたが、老いないための運動をしているだけで、価値を生んでいない事実に気づいてしまいました。せめてジム仲間を作ろうと、波長が合いそうな女性に声をかけました」
晴美さんは「よく来るんですか?」「ヨガの教室、参加したことありますか?」などと話しかけた。女性たちとは、会話が弾んだ。
「同世代と友達になるのは嫌なので、10歳以上年下の向上心がありそうな女性に声をかけ、中にはLINE交換をして、ランチした人もいました。ところがまた会おうとしても、その後顔を見かけない。LINEをしても返事がないのです」
あるとき、ジムのスタッフから「会員さんに声をかけるのは遠慮ください」と注意された。
「“おぢアタック”ならぬ“おばアタック”ですよ。自覚なく迷惑行為をしていたということが恥ずかしく、落ち込んでしまい、うつ状態になりました。眠りも浅く、何もかも辛くて、消えてしまいそうになった1週間目、かわいがっていた会社の後輩に恥を忍んで電話したのです」
50歳の後輩は、二人の子供がいるワーキングマザーで、寛容で明るい人物だという。
「すぐに電話に出てくれて、“どうしたんですか?”と。私が事情を話すと、“ダサいですね。でもその勇気が最高です!”と笑い飛ばしてくれました。うちにも来てくれて“全然落ち込むことじゃないですよ”と言ってくれて救われました。眠れないことを話すと“心療内科に行ってください。そして仕事依存を治しましょう”と言われました」
アドバイス通り病院に駆け込むと、適応障害の診断が出された。
「定年後の人によくある症状と言われました。医師は“仕事を誇りにしていた人ほど、誰かの役に立っている、自分が価値を生んでいる実感がないと、心が傷ついてしまうのです”と言っていました。臨床心理士から“やらされることではなく、やりたくなってしまうことを探すといいですよ”と言われたのですが、何も見つからなくて」
それから、半年ほど療養し、今は新しい挑戦を始めるところだという。
「ファストフード店のアルバイトです。学生時代、親が厳しくてさせてもらえなかったので挑戦しようかと。隣町のお店にドキドキしながら面接に行ったら、娘くらいの年齢の店長から、“61歳、若いですね。ぜひお願いします”と即採用されました。適応障害が吹っ飛ぶほど嬉しかった」
ファストフード店に定年はないという。70代のスタッフも働いている。
「結局、私は仕事依存なんです。とはいえ、自分で起業したりフリーランスになったりする気合いもスキルもないし、性格的に合わない。仕組みの中で働き、成長を実感し評価されることが喜びなのです。そう割り切ることにしました」
晴美さんは、「きっと他人と比べて苦しむと思いますが、それも私。せいぜい頑張ります」と話していた。今、世の中全体が人手不足と言われている。定年後に働ける場所は探せばきっとある。60代は新しい人生を始めるチャンスなのかもしれない。そして、晴美さんのように、困ったときに人と話すことはとても大切だ。これは心を救う。その勇気と共に未来は始まっていくのだ。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。











