2010年に始まった「なら国際映画祭」。2年にいちど、9回目となる今年は9月19日(土)~23日(水・祝)に開催されます。世界81ヵ国279作品から選ばれた「インターナショナルコンペティション」、学生映像作家による作品が対象の「NARA-wave 学生映画コンペティション」を軸に、世界の十代が描いた映画を奈良の十代が審査する「ユース審査員」などプログラムは多彩。エグゼクティブディレクターを務める映画作家の河瀨直美さんに映画祭のこと、年齢を重ねてより熱を帯びるつくり手としての心情を聞きました。

河瀨直美(かわせ・なおみ)

映画作家。生まれ育った奈良県を拠点に映画をつくる。1997年『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を、2007年『殯(もがり)の森』でグランプリ(審査員特別大賞)を受賞。その他の監督作は『2つ目の窓』『あん』『光』『朝が来る』『たしかにあった幻』。東京2020オリンピック公式映画総監督、2025年大阪・関西万博のプロデューサー兼シニアアドバイザー。俳優として出演した映画『恒星の向こう側』は、東京国際映画祭で、福地桃子と最優秀女優賞をW受賞。

「第9回 なら国際映画祭2026」
9月19日(土)~9月23日(水)
https://nara-iff.jp/

「映画を観るのとつくるのと、そこに境界はありません」

――軸となるコンペだけでなく、カンヌ国際映画祭短編部門パルムドール(最高賞)受賞作の上映など、「なら国際映画祭」は独自のカラーを持ち、多彩なプログラムが並びます。改めて16年の歩みを振り返ると?

「もう…よくやっているなと。毎回、はぁ~ってなります(笑)。インターナショナルコンペティションは世界の若手監督による日本初公開作を集め、日本ではなかなか観られない映画に出合えます。必ずトークショーをするため、監督の来日は必須で。世界にはこうした映画を、こんな風につくっている人たちがいる、若手クリエイターなどは特に楽しめるはずです。また以前の映画祭で、パレスチナとイスラエルの紛争地の監督二人が共同制作した作品があって。それを観た奈良のおばちゃんが『今あんた、すごい映画観たで~!』と携帯で話していたり(笑)。ラインナップが幅広すぎて、どこをチョイスするんだ!? と迷ってしまうかもしれません」

――若者がプロのサポートを受けながら本格的な映画制作を体験する「ユースシネマプロジェクト」と、若手映画作家の育成や、新たな才能を見出す場でもありますね?

「フランスの学校で学んだ日本人監督と、若い子は国境を軽々と越えて作品をつくり、応募してくれています。それで学生映画部門から出た監督が映画製作を行うプロジェクト‟NARAtive”から生まれた『霧の淵』(2023年)、『トランジット・イン・フラミンゴ』(2024年)を劇場公開できました。またコロナ禍に公開された『再会の奈良』は世界的に著名なジャ・ジャンクー監督がエグゼクティブプロデューサーに名を連ねた作品でもあって、中国で興収1億円を超えて。監督のポン・フェイさんは新作を持って、昨年の東京国際映画祭に来ていました」

――映画祭を16年続けて大きく育て、確実に結果を出しています。その原動力は?

「根性です! 学生時代はバスケットボールをやっていて。奈良県代表の選抜チームにいた、国体の選手でしたから」

――まさか体育会系とは! それで以前、「映画を観るだけでなく、映画をつくる映画祭」ともおっしゃって。

「映画を観るのとつくるのと、そこに境界はありません。私は映画監督ですが、つくったら、やはり観ていただかないと。私はその辺り、映画祭に育ててもらったと思っています。恩返しの思い? とても大きいです。そこに私利私欲はなく、時給に換算したら10円とかですよ…。実行委員も有志の方ばかりで、頑張ってくれています」

――監督は、人を巻き込む力が強いように思えますが?

「映画祭とは違う話ですが、震災後に田んぼを始め、お米づくりをしています。ウチの子がまだ小学校に入ったばかりで、お米どうすんねん、野菜に放射能は!? …じゃあ自分でつくるわ! と、たくさんの人に声を掛けました。それから15年が経ち、稲刈り、収穫祭、脱穀などで年に何回か、いまでは30人ほどが集まります。バーベキューをやって、みんな食べてね! って。そこに知り合いの庭師たちが来てくれるのですが、彼らは『河瀨さんとの関りは‟心地よい迷惑”だと思っています』と(笑)。それで‟心地よい迷惑隊”という言葉を英語に翻訳し、プリントしたTシャツをつくっていました」

――いいですね、そのTシャツ!

「(笑)。それと、『殯の森』から20年が経ちますが、あの映画は、ロケ地になった山間の茶畑に地域の人がフィルムコミッションをつくってくれて撮影できたのです。当時、ウチの子は2~3歳、92歳の養母もいて、90歳差の育児と介護をやっていて。そこでお話をグループホームという設定にし、おばあちゃんとウチの子も現場に連れてきて撮影していました。地域のフィルムコミッションがつくってくれたご飯をタッパーにつめて晩御飯にしたり、ナイトシーンはなるべくしない脚本にしたり。お金も自分で集め、そうしてできた映画がカンヌ国際映画祭でグランプリをいただいた。そのとき、そもそもなぜ映画監督としてバッターボックスに立つのがこれほど難しいのか? もっと自由に映画が撮れないのだろうか? そういう場がつくりたい。グランプリをいただいたし、今や! と思い、地域の青年会議所の同世代の人たちとこの映画祭を始めたのです。第1回は2010年、平城遷都1300年の年で。1300年前の大仏さんが今ある、ほんなら千年後にも届く映画祭にしよう! と。でも第一回目が終わったとき、ひとりを残してスタッフ全員が辞めてしまいました。あまりにも大変で」

――一歩を踏み出すのはもちろんですが、続ける大変さを思うと気が遠くなります。

「心がいつも痛くなります、涙で枕を濡らしながらで…ははは。本当に私利私欲でなく、自分がいなくなったあとも続けられるシステムを生きているうちにつくりたい。やっと今、ユース(映画制作ワークショップ)で学んだ子たちが戻ってきて。チームリーダーになったりして、新たに学ぶ子たちのケアをしてくれるようなりました。8年目で、ようやく上手く回り出した。今は東京で映画制作の仕事をしている子も帰ってきて、『もうちょっと東京でがんばりたいけど、やっぱり私の戻るところは奈良やって今回思いました』とメッセージをくれて。本当に嬉しかったです。こういうことあるから止められないんですよね」

映画祭は心が動くものと出合い、自分を見つめる時間

――監督として、「ちゃんと指示を出し、何かをしなければいけないというより、場をつくるのが私の役割」と。映画祭やプロデューサーとしてもそうですか? どういう場が理想でしょうか?

「皆が楽しむことです、明日行きたいなと思う場所をつくること。映画づくりを学ぶ子どもたちも、最初は緊張しています。映画は好きだけど、普段は学校で、そういうことを熱く語れる人がいないようで。そういう子がくると、いろいろなものを解放して。最後は涙ながらに、『こんな出会いがあるなんて…』と。それを見て、事務局長も泣いたりします(笑)。映画監督の松永大司さんが講師で来てくれたのですが、彼も熱い男で。あるとき、女の子ばかりのチームにひとりだけいた男の子が、女の子たちが帰るまで駐車場に止められた車の裏に隠れていました。『どうした?』と言うたら、『ワークショップでうまくできなかったことより、こんなん出来ひん自分は、この先の人生どうしたらいいんだ』と泣いていて。昭和の青春ですよ。すると松永さんが、『俺もな、遅咲きでな…』と、こんこんと彼に語っていました」

――聞いているだけで、心が打たれます…。

「あるお母さんは、『夜中の2時まで脚本を書いていたんです。この子が、こんなに必死に何かをやることはなかったです』と」

――監督、どんな魔法を!?

「そう! 同じことを言ってる(笑)」

――映画をつくることには、それだけの力があるということですね?

「私たちだって、一日ロケハンに行っただけで、チーム皆のアイデアをまとめて脚本化するなんて出来ません。『こんなん出来へんで私らでも、スゴイな!』とか言って」

――それを監督に言われたら、その子もどれだけ嬉しいか…。そうして完成した作品も上映されるわけですよね?

「私たちの日常って、楽しいことばかりではありません。嫌なこともあるし、退屈だと思ったりする。だからこそ、ぜひ映画祭に来てください。映画監督に会えたり、心が動くものと出合ったりするはずです。それに奈良は、あちこち歩いていけます。世界遺産の国宝に触れてもいいし、街中のお店に入ってもいい。映画を観て知らなかったものと出合い、もやっとすることもあるかもしれません。そんなとき、答えを出さなくてもよくて。そんな思いをずっと持ち続けることは、そういう自分を見つめる時間になるはずです。それで…会場で私を見つけてください。トークショーに出たり舞台挨拶をしたりして、走り回っていますから。それで『ナオミん!』と声を掛けてくれたら、パイン飴をあげます。本当です(笑)」

――審査委員長でハリウッドスターのオルガ・キュリレンコさんにも会えるかもしれませんね?

「『オルガが奈良に来るんですか?』と聞き、フリーパスを買われた方もいます(笑)。5連休なので。審査員は必ずスクリーンで作品を観るので、会場にいるはずです」

――では、なら国際映画祭の未来をどのように描いていますか?

「この作品数をキープし、無理に広くしようとせず、深めていく。これだけのコンテンツを維持するだけでスゴイことですから。それで今回、世界遺産である東大寺の大仏殿前でレッドカーペットをしますが、次は春日大社、その次は興福寺と、奈良市内の世界遺産、3社寺を巡るレッドカーペットをイメージしています。それが出来れば、映画祭のひとつの目玉になるだろうと思っているんです」

「いちばん忘れたらあかんのはハングリーやで!」

――監督の活動はもちろん映画祭だけではありません。コンスタントに監督作を発表しながら、東京2020オリンピック、大阪・関西万博に関り、俳優としても『恒星の向こう側』に参加するなど、より活動の幅が広がっています。幅を広げることと、核としての映画づくりの揺るぎなさと。そのバランスをどのように考えていますか?

「ここ10年ほどはオリンピックと万博と、国家事業的なものに従事しましたが、これは自分に与えられた役割だなと。40代は、がむしゃらに映画を撮ろうと思っていたのです。『2つ目の窓』『あん』『光』、そしてジュリエット・ビノシュ主演の『Vision ビジョン』と間髪入れずにつくって。オリンピックのお話をいただいたのは『2つ目の窓』をつくっていた、45歳くらいでした。自分が熟したころに世界的事業の記録を残す、そうした仕事をやらせていただくのはいいのではないかと」

――万博もそうしためぐり合わせ、タイミングがよかった面が?

「万博は、ウチのパビリオンだけで450万人もの人に来ていただいて。万博閉幕後は、それを一般社団法人『Dialogue Theater』として、‟対話”をテーマにした文化施設にしていきたいと思っています。映画祭はライフワークとしてあり、自分の作品づくりがあって。どれもが人と人との関係性、国が争わないこと、見えないものを描く、光の当たっていない所に光を…と言っていることは変わりません。頑固一徹? そうですね、奈良でコツコツとつくっています。そうして、最期のときまで表現したい。どれも、定年退職があるお仕事ではありませんから」

――年齢を重ね、つくることへの熱に変化は?

「変わらないです。目は見えなくなってくるし、記憶も…。冷蔵庫に、あれなんでこんなん入ってんの? みたいなときもありますけど。…スピルバーグ監督と、カンヌで審査員をさせてもらったときのことです。『直美、いちばん忘れたらあかんのはハングリーやで!』と言われて」

――スピルバーグ監督に!?

「スティーブは、年齢を重ねた今も映画をつくり続けている。そこはハングリーなんだと思います。たぶん、いつまでも満たされないのだと。だからふだんは、基本的に辛い(笑)。だけどなんとかしようとする。もしくは、なんとかしようとしている人の支えになろうとする。後者がプロデュース業ですね。最近は映画づくりだけでなく、現代アートみたいなこともやっています。パリのリトグラフ工房で描いた絵で10月に覧会をする予定で。それから、かな書道も習い始めました。明日、お稽古です」

――いつ寝るんですか!?

「睡眠時間は4時間くらい。でも起きると、なんか元気なんですよ!」

写真/本多晃子

取材&文 浅見祥子(映画ライター)
雑誌「BE-PAL」(小学館)、「田舎暮らしの本」(宝島社)、web「大人のおしゃれ手帖」(宝島社)、「シネマトゥデイ」などで映画レビュー、俳優&監督インタビューを執筆。また「芸能マネージャーが自分の半生をつぶやいてみたら」などの書籍ほか、赤楚衛二「A」、菅田将暉「着服史」、小関裕太「Y」、藤原大祐「FeaT.」、菅井友香「たびすがい」(すべてワニブックス)などでインタビューを担当。

 

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