本能寺でさらされた光秀の首
I:実際の光秀は、「本能寺の変」後、どんな感じだったんでしょうか。
A:実際の光秀は、公家の吉田兼見と対面した際に、変の子細を語り合ったと『兼見卿記』に記されています。同書には光秀が実際に何を語ったのか記されていませんが、「今度謀反之存分雑談」と記しています。どんなことを語り合ったのか、もっと詳しく書いて欲しかったですね。
I:劇中の秀吉は、農民に襲われた首級が秀吉陣営に届けられたということにしようと家臣に命じます。ここで実際の史実と辻褄が合うような流れになりました。
A:劇中では触れられませんでしたが、光秀の首は本能寺でさらされたそうです。さらに光秀に遅れて斬首された斎藤利三の亡骸とともに粟田口で磔刑に処されたといいます。わざわざ首と胴体を縫い合わせて、裸のまま磔にされたといわれます。当時としては当たり前の作業です。
I:光秀が本能寺でさらされたというのは、感慨深いですね。本来、信長の亡骸をさらすことができていれば、こんなことにはならなかったのですけどね。
A:多くの庶民もこの磔刑に処された光秀のことを見たはずです。それを見た庶民の雑感は、今日に伝わっていません。さて、「本能寺の変」から山崎の戦いを経て、光秀が討たれるまでの一連の流れに関心がある方は、『明智光秀』(中公新書/福島克彦著)がおすすめです。2020年の『麒麟がくる』の際に刊行されたものですが、著者は山崎の戦いの合戦場に近接する大山崎町歴史資料館館長です。
I:俗に明智光秀の「三日天下」ということがいわれます。
A:6月2日早朝に信長を討った光秀ですが、秀吉軍との戦いに敗れ、討たれたのは6月13日です。わずか11日間の「天下」だったことになります。
光秀と利三にデフォルメされたのはなぜか?
I:ところでひとつだけ気になったのですが、光秀の陣では、光秀と斎藤利三(演・内藤剛志)がふたりだけでした。いつもは明智秀満や藤田伝吾、溝尾庄兵衛などの重臣が同席しているんですけれどね。
A:確かに「デフォルメ感」がありましたね。これは意図的なものでしょう。予算面なのか、敢えてふたりだけにしたのか、気になりますね。
I:そして番組終盤、秀吉が小一郎に「ここだけの話」として、すごいことを口にします。自分が信長の意思を継ぐ、というのです。Aさんが前から気にしていた、「本能寺の変」後のキャラ変、なるでしょうか?
A:目つきが違っていましたよね。それにしても要潤さんの明智光秀の退場、わかっていても惜しいです。以前、『麒麟がくる』の時に光秀ゆかりの地を巡りましたが、久々に京都の光秀の首塚にお参りしたくなってきました。

●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











