宮城県は、海の幸の宝庫。複雑な段丘が、海岸線に大小の豊かな湾を形成する。船を走らせれば、世界有数の漁場である三陸沖は目の前だ。この豊饒の地に旬の食材と人を訪ねる。
江戸前鮨に欠かせない赤貝の名産地、宮城県閖上(ゆりあげ)漁港。東日本大震災では周辺地域の多くが津波の被害を受けた。復興の旗印として真っ先に再開されたのは、赤貝漁だった。
「ゆりあげ」の地名は、その昔、一体の観音像が浜へゆりあげられた(打ち上がった)ことに因むという。閖という字は漢字の故郷、中国にもない。閖上という字が当てられたのは江戸時代のこと。4代目仙台藩主・伊達綱村が沿岸の寺を参詣した際、山門の間から水平線が見える風景に感動して創作した国字だと伝わる。
青く揺蕩う、その海の底で育つ名産が、鮨種でおなじみの赤貝である。大粒で色もひときわ鮮やかな閖上の赤貝は、指名買いの多い高級品。その名産地を襲ったのが2011年の巨大津波だった。
「18隻あった赤貝漁の船はぜんぶ流されました。仲間も何人か亡くなって。生き残った俺らはどうすればいいのか。ずいぶん悩みましたね。でも、海と向き合っていくしかないんですよ。ずっと海に生かされてきたんですから」
当時をこう振り返るのは、宮城県漁業協同組合閖上支所運営委員長の出雲浩行さん(51歳)だ。
11人が再開を決意し、船の確保に動きだした。早い船はその年のクリスマスから漁に出た。2年後には足並みがそろい、赤貝の行く末と被災地の暮らしを案じていた消費地の人たちも安堵した。
■人と自然が作り上げた里海
朝6時過ぎ。滑るように港を出た漁船団は次第に速度を上げ、波を蹴立てながら沖合へ走る。
赤貝は、水深20~30mの泥混じりの砂底に棲息する大型の二枚貝だ。酸素を効率よく体に取り入れるため、血液に鉄分を多く含む。そのため身の色が赤い。
赤貝は、爪つきの鉄枠に袋網を取り付けた、マンガンと呼ぶ重い器具で獲る。船をゆっくり走らせながらマンガンを曳くと、先端の爪で海底が掘り起こされる。砂泥と一緒に巻き上げられた赤貝は、そのまま後ろの網へ転がり込む。
「どれくらい獲れるかは曳いてみないとわかんないよ。そういう漁なんだ。そこが面白いところで、今日はどんなあんばいだべと、毎回わくわくするね」(出雲さん)
40分ほど曳き続けて巻き上げると、膨らんだ袋網がごろごろと音を立て、船尾へ躍り込んだ。
海の資源には限りがある。閖上では、赤貝を枯渇させないため漁獲に制限を設けている。一日に獲ってよいのは30㎏ほど入る青い桶に2杯まで。しかも、2杯に達した船が出た段階で、ほかの船も漁を切り上げて港へ戻らなければならない。出雲さんは言う。
「獲り過ぎは資源を先細りさせるだけでなく、値崩れの原因にもなる。自分で自分の首を絞めるようなことはやめようという申し合わせです。宮城県の規則では殻長5㎝以下は放流が義務付けられていますが、閖上の自主規制はそれよりも厳しくて、80g未満の赤貝はすべて放流する決まりです。殻長に直すと7~8㎝です」
マンガンの爪で掘り起こされた海底は酸素が供給され、表面に堆積した有機物の分解が早まる。分解により溶け出た栄養素は、二枚貝や稚魚の餌となる植物プランクトンを増やし、海を豊かにする。
このように、人の営みによって生命活動が活発化した海は、近年、陸上の里山になぞらえて「里海」と呼ばれる。
赤貝は海底の異変に敏感で、すぐ身の色などに影響するという。歯切れのよい爽やかな甘さだけでなく、鮮やかな赤みでも人気の閖上の赤貝。そのしみじみとした旨さは、人と自然が共に育てた味だといっても過言ではない。
【閖上の赤貝を味わう】
漁亭 浜や 閖上さいかい市場店
■住所:宮城県名取市美田園7-1-1
■電話:022・398・5547
■営業時間:11時~19時
■定休日:水曜 座敷28席。
仙台空港アクセス線美田園駅から、徒歩約10分。車の場合は名取ICから約4分。
宮城県沿岸部の観光と食を訪ねるテレビ番組が放映中!
「中村雅俊が行く 伊達な海道紀行」
TBSテレビ(関東ローカル)、毎週火曜よる10:54~
毎日放送(関西ローカル)、9月3日より毎週土曜夕方6:56~
取材・文/鹿熊 勤 撮影/宮地 工
提供/宮城県