文/一乗谷かおり

猫が日本にやってきたのは、奈良時代から平安時代にかけてのこと。中国大陸などから渡ってきた人々に連れられてきたといわれています。

ネズミを捕える能力はもちろん、その美しい姿や愛くるしい様子は、すぐに人々の心を掴みました。そして有益な動物としてのみならず、貴族を中心に寵愛の対象となっていきました。

そんな猫が、やがて化け物扱いをされる時代がこようとは……。

弘化4(1847)年7月興行の芝居『尾上梅寿一代噺』の宣伝用に描かれた役者絵(歌川国芳画)。老婆(三代尾上菊五郎)の背後にはその正体である化け猫が巨大に描かれ、右の行燈には油を舐める猫の影が浮かび上がる。(東京都立図書館蔵)

■「ねこまた」を初めて紹介したのは藤原定家だった

当初は稀少で頭数も少なかったはずの猫ですが、徐々に数が増え、いつしか日本人にとって身近な動物となりました。そして、様々な猫の物語や逸話、伝承が語られるようになりました。

その代表格が「ねこまた」(猫股、猫又)という化け猫の存在です。

猫は神秘的。甘えるかと思えばぷいとどこかへ行ってしまったり、足音を消して歩いたり、夜には目をキラリと光らせたり、人間には見えない何かを見ているかのような仕草をしてみせたり。そんな動物であれば、化けてもおかしくないと認知されるようになったのは、平安時代の終わり頃から鎌倉時代にかけてと考えられています。

国文学者の田中貴子さんは、著書『猫の古典文学誌』の中で、「ねこまた」という言葉の初見は、鎌倉時代の公家の藤原定家の日記『明月記』(1180~1235)だとしています。

定家の記述によれば、「奈良からの使者によると、このごろ奈良では〈猫股〉という獣が出て、1晩に7、8人の被害者が出た」のだそう。その姿は犬のように大きく、目は猫のようだったと使者は定家に伝えています。

また、かつて京の都に「鬼」が出て、「猫股病」と称されたとも記しています。「猫股」に関する日記は天福元年(1233)の8月2日の条にありますが、「猫股病」は定家が子供の頃の話とのことで、平安時代末期には既に「猫股」という言葉があったことが伺えます。

田中さんは、猫を毛嫌いした仏教が生活に浸透しきった中世という時代が「ねこまた」を生んだ要因のひとつではないかと考察しています。

もともと日本にはいなかった猫が数百年を経て化け物にまで進化し、その後も目覚ましく活躍。江戸時代になる頃にはすっかり百鬼のひとつに定着していました。

■「ねこまた」はどんな化け物か

日本の怪奇話に欠かせない存在となった「ねこまた」ですが、いったいどんな化け物なのでしょうか。

古典を紐解いてみると、年老いた猫が人をたぶらかす化け物になると考えられており、「古猫」などとも呼ばれていたようです。

ただ年老いた猫といっても、何百年も生きた末というわけではないようです。江戸時代中期~後期に記された珍談・奇談集『耳嚢(みみぶくろ)』には、言葉を話す猫についての話が掲載されています。その猫いわく、自分に限らず、“10年ほど生きた猫”ならみんな人語を話せるようになり、さらに4、5年もすると神通力まで備わるのだとか。

物語や言い伝えなどに登場する「ねこまた」の姿は、多くの場合、その名の通り尻尾が二股に分かれていたようです。あるいは、女に化けて三味線を弾いていたり(三味線は猫の皮で作られていたので、なかなかの皮肉です)、手ぬぐいをかぶって踊っている姿も、よく絵図に描かれました。

古猫(化け猫、ねこまた)の周りには手ぬぐいをかぶって踊る小者の化け猫が描かれている。手ぬぐいは猫踊りの必需品だった。『尾上梅寿一代噺』部分。(東京都立図書館蔵)

しかし何より、「ねこまた」といえば「行燈の油をなめる」イメージが強いのではないでしょうか。

■江戸時代の猫たちの食事情とは

江戸時代後期から明治時代にかけて流行した歌舞伎の演目に、「猫騒動物(ねこそうどうもの)」がありました。

舞台上の様々な仕掛けで怪奇現象などを表現した怪談狂言の一種で、『獨道中五十三驛』「岡崎の猫」、『鍋島猫騒動』、『東海道いろは日記』「猫石の妖怪」、『古寺の猫』などがありますが、化け猫が本性を表すシーンでは、行燈の油を舐める猫の頭が影絵で写し出されるというトリックが定番だったようです。

なぜ、化け猫は行燈の油を舐めるのでしょうか。人を喰うとまで言われた化け猫です。油で満足なのでしょうか。

今ひとつ納得がいかず調べてみたところ、どうやらこれは化け猫の習性というより、日本の猫の習性に由来するようなのです。

昔は菜種油か鰯油を使って行燈の火を灯した。

文化人類学者の石毛直道さんの著書『食卓の文化誌』には、昔の日本人の食生活が「油を舐める猫」を作ってしまった経緯が語られています。肉より魚が中心だった日本人の食生活ですが、人からごはんをもらっていた猫の食事もそのおこぼれが中心で、油気も脂気もほとんどない食べ物ばかりでした。

昔の記録を見ると、猫におからを与えたといったことが書かれていたりして、本来は肉食動物である猫にとっては、日本での食事情はなかなか厳しいものがあったようです。

そこで、なんとか油・脂をとろうと猫が起こした行動が、江戸時代に普及した“行燈の油を舐める”というものだったのです。

行燈の油を舐めようとする化け猫に扮する歌舞伎役者の坂東彦三郎を描いた豊原国周筆の役者絵『東都三十六景之内 山下御門』「古猫の怪」。(早稲田大学演劇博物館蔵)

行燈には蝋燭も使われましたが、蝋燭は当時まだ高級品。多くの行燈の中には、油を注いだ火皿が置かれ、木綿などで作られた灯心に火をともして灯りにしていました。

油には、菜種油も使われましたが、庶民の間ではより安価な鰯油が多く使われました。鰯油は燃やすと独特の臭いを放ちますが、慢性的に油・脂不足だった江戸の猫は、この臭いに惹きつけられたのかもしれません。

猫の背丈ですと、ちょうど後ろ肢で立ち上がると、火皿に口が届いたのでしょう。そうして薄暗い部屋の中で、二本足で立ち上がってぺろぺろと油を舐める猫。その影が障子に映し出され、「出た! 化け猫!」と、人々を震え上がらせえたのかもしれません。

ちょっと油分を補給したかっただけなのに……、気の毒な猫であります。

*  *  *

以上、今回はどうして江戸時代の「化け猫」に、行燈の油を舐めるイメージが定着したか探ってみましたが、いかがでしょうか。

今では油を使う行燈は一般的には使われていませんし、なんといっても栄養バランスの整えられたキャットフードがありますから、猫が油をこっそり舐める必要はありません。猫の寿命も延び、10年生きただけで化け猫になるなどとは、誰も信じません。

猫は相変わらず神秘的ですが、「化け猫」疑惑はすっかり晴れたのではないでしょうか。

油を舐めようと行燈に近づく猫の影…。食事事情の整った現代でも、たまに天ぷら油を舐めようとして叱られたりする。

文/一乗谷かおり

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