
若い頃は、自分の目標や理想像を胸に、格言やことわざ、名言を「心のコンパス」のように携えていた人も多いのではないでしょうか? ところが、仕事・家庭・健康など、日々の優先順位に追われるうちに、気づけば「こんなはずじゃなかった」と思う瞬間もあります。
ただ、いまは人生を途中で描き直せる時代です。転職や学び直し、暮らしの整え直しも、珍しくありません。情報は検索やAIが助けてくれますが、「自分はどう生きたいか」だけは、自分の言葉で確かめる必要があります。そんな「芯」となる座右の銘を、改めて持ってみませんか。
今回の座右の銘にしたい言葉は「初心忘るべからず」 をご紹介します。
「初心忘るべからず」の意味
「初心忘るべからず」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「習い始めの頃の謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならない」とあります。今日この言葉は、「始めた頃の新鮮な気持ちや意欲を忘れるな」という意味で使われます。入社式や新学期の定番ですね。もちろん、それも間違いではありません。
しかし、本来の意味は「未熟だった頃の自分、その時に感じたみじめさや挫折感を忘れてはいけない」という、より厳しく、そして深い自己研鑽の言葉なのです。
過去の未熟だった自分を折に触れて思い出すことで、「あんな思いは二度としたくない」と自分を戒め、現在の慢心にストップをかける。つまり、単なる「初々しい気持ち」ではなく、「成長の過程で味わった苦い経験」こそが「初心」なのです。これまでの人生で多くの壁を乗り越えてきた大人だからこそ、胸に迫る意味合いがあるのではないでしょうか。
「初心忘るべからず」の由来
「初心忘るべからず」は、室町時代の能役者・能楽論者である世阿弥(ぜあみ)の言葉です。世阿弥は、父・観阿弥とともに能を大成した人物として知られています。

この言葉は、世阿弥の能楽論書『花鏡』(かきょう)に記されています。世阿弥は「初心」について、次の三つを説きました。
「是非の初心忘るべからず」
「時々の初心忘るべからず」
「老後の初心忘るべからず」
「是非の初心」とは、若い頃の未熟さや失敗から得た学びです。自分の至らなかった姿を覚えておくことが、その後の成長につながります。「時々の初心」とは、年齢を重ね、それぞれの年代に応じた新しい課題に直面した時の未熟さを指します。そして「老後の初心」は、年齢を重ねてからも、その時期にふさわしい表現や生き方を学ぶ必要があるという教えです。
世阿弥は、命には終わりがあっても、芸には果てがあってはならないという趣旨を述べています。
つまり「初心忘るべからず」とは、「若い頃の気持ちを忘れずにいよう」という懐古主義の言葉ではなく、「人生のどの段階においても、新しいことに直面した際の自分の未熟さを自覚し、そこから逃げずに挑戦し続けなさい」という、極めて前向きで力強いエールなのです。
「初心忘るべからず」を座右の銘としてスピーチするなら
座右の銘としてスピーチするときは言葉の意味を説明するだけで終わらせず、自分自身の経験を一つ添えることが大切です。以下に「初心忘るべからず」を取り入れたスピーチの例をあげます。
人生の節目を迎えた時のスピーチ例
私の座右の銘は「初心忘るべからず」です。一般的には「新入社員の頃の純粋な気持ちを忘れるな」という意味で使われますが、実はこの言葉を残した室町時代の世阿弥は、人生を三つの段階に分け、最後に「老後の初心忘るべからず」と説いています。
年齢を重ねても、その時々で直面する新しい事柄に対して、自分の未熟さを認め、挑戦し続けることの大切さを教えた言葉なのです。
私自身、長年この仕事に携わってまいりましたが、これからの第二の人生においては、また「一年生」に戻ります。新しい趣味や地域での活動など、初めて経験することばかりでしょう。きっと、思い通りにいかず、自身の未熟さを痛感することもあるはずです。
しかし、その「老後の初心」から逃げず、未熟な自分を楽しむくらいの余裕を持って、これからの人生を歩んでいきたいと考えております。
最後に
経験を重ねた人ほど、言葉に重みが出ます。しかし、その重みは「知っていることの多さ」よりも、「学び続ける姿勢」から生まれます。若いころのようにがむしゃらではなくてもいい。けれど、心のどこかに「初めの気持ち」を置いておく。そうすることで、人は柔らかく、しなやかに年を重ねていけます。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com







