文・絵/牧野良幸

作家の東野圭吾さんが2026年7月に亡くなられた。東野さんとは同じ学年の生まれで、小説にはときおり「ビートルズの解散」とか「あしたのジョー」とか「サザンオールスターズ」とか、同世代を感じる事柄が出てきた。同じ昭和の空気を吸ってきた同級生が亡くなったような気がして残念でならない。
東野圭吾さんは1985年に『放課後』でデビュー後、『秘密』『白夜行』『容疑者Xの献身』『ナミヤ雑貨店の奇蹟』など、たくさんの作品を発表し数々の賞を受賞。テレビドラマ化や映画化される作品も多く、日本を代表する推理小説作家だった。新作が出るたびに書店には本が山積みされ、手に取る人がなんと多かったことか。
そこで今回は、東野圭吾原作の映画『容疑者Xの献身』を取り上げてみようと思う。
原作となった『容疑者Xの献身』は2005年に刊行された。天才物理学者・湯川学が登場するガリレオシリーズの作品だ。この小説は数々のミステリランキングを制覇しただけでなく、直木賞も受賞した。評価も人気も高い作品だ。
映画化されたのは2008年である。監督は西谷弘。前年の2007年に放送されたドラマ『ガリレオ』と同じキャストで福山雅治、柴咲コウ、北村一輝らが出演している。
舞台は東京・下町。弁当屋で働く花岡靖子(松雪泰子)のところに、離婚した元夫・富樫(長塚圭史)が現れたことから事件は始まる。
富樫は離婚後も靖子につきまとい、金を無心するためにアパートを訪ねてきた。富樫は靖子に嫌がらせをするだけではなかった。靖子のひとり娘で中学生の美里にさえ、将来水商売をさせると暴言を吐く。靖子と美里は暴力を振るってくる富樫と揉み合いになり、彼を絞殺してしまう。
突発的な出来事とはいえ、殺人を犯してしまった。靖子は自首も考えるが、娘を巻き込みたくない。途方に暮れる靖子だったが、そこにアパートの隣人、石神哲哉(堤真一)が現れ、二人に手を差し伸べる。
石神は死体の処分を引き受け、花岡親子に完璧なアリバイが成立するよう、綿密な計画を立てるのだ。
「石神さん、本当に大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫です、私の論理的思考に任せてください」
石神は高校で数学の教師をしている無愛想な男だが、なぜか自信に溢れていた。
石神を演じる堤真一は、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などで、きっぷがよくて男気のある姿が印象的だったけれど、本作では真逆。地味で内向きな人物を演じている。表情に覇気はなく、話し方も無愛想。数学だけが生きがいという男だ。
翌日、男性の遺体が発見されると、警察が捜査を始めた。事件を追うのは警視庁捜査一課の草薙(北村一輝)と新米刑事の内海薫(柴咲コウ)だ。
二人は靖子を犯人とにらんだのだが、どうしてもアリバイを崩すことができない。石神の言った通りだった。
捜査に行き詰まった草薙は、“ガリレオ”こと湯川学(福山雅治)に相談する。
湯川は天才物理学者で、これまでも難事件を解決してきた。演じる福山雅治はテレビドラマ『ガリレオ』で湯川役を演じてきただけに、映画でも板についている。福山雅治がハンサムなだけに、“ガリレオ”の偏屈なキャラクターがより際立っている。
湯川は当初、この事件に関心を示さなかった。しかし帝都大学時代の友人で、湯川自身が「天才数学者」と認める石神が事件に関わっていると知るや、独自に真相の解明に乗り出す。ドラマ版にあった柴咲コウとの軽妙なやり取りは脇に置かれ、ひたすら事件に対峙していく。
この映画は『刑事コロンボ』みたいに、犯人が誰であるかを観客に最初から明かし、その上で捜査をする側が、どのような真相にたどり着くかを描いたサスペンスだ。湯川と石神、二人の天才が、表向きは親友同士の付き合いをしながら、水面下で壮絶な頭脳戦をするところが見どころである。
しかし石神が花岡親子に用意したアリバイは完璧で、湯川も行き詰まってしまった。湯川は石神に尋ねる。
「誰にも解けない問題を作るのと、その問題を解くのは、どちらが難しい?」
「……興味深いね、考えておこう」
論理的な石神は、湯川の問いにも適切な返答をする。ほころびは決して見せない。
それにしても数学にしか興味を持たない石神が、アパートの隣人のために、なぜそこまで手を貸すのか。
観客には明かされているが、石神は靖子に密かな恋心を抱いていたのである。毎朝、わざわざ遠回りをして靖子の働く弁当屋に立ち寄り、弁当を買っていた。
松雪泰子が演じる靖子は、いかにもはかなげな美人だ。靖子が目当てで弁当を買いに来る客はたくさんいることだろう。湯川も美人と評判の靖子を見たくて、石神と一緒に弁当屋に行く。
その靖子に石神が好意を抱いていることを、湯川が知ったことから“ガリレオ”の推理は決定的な真実へと向かう。
ここからはネタバレになるので、ストーリーは追わないが、クライマックスの感動には一言ふれておきたい。
何より素晴らしいのは東野圭吾の書いた物語の深さである。石神の靖子への純粋な愛は、観客の予想さえ裏切る行動へと向かっていく。
ラストシーンで描かれるのはヒューマニズムとしての感動である。映画はここで最高潮へと到達する。堤真一の迫真の演技もあって、映画ならではの感動を生み出していると思う。何度見ても目頭が熱くなる場面だ。
この映画のテーマは「愛する人のために、人はどこまでできるか?」という問いかもしれない。映画を見ている間、ずっと自分に問いかけていた。もうひとつ「自分を愛してくれる人が払った犠牲に、どう報いるべきか?」。この問いも頭から離れなかった。
これらの問いに対する答えは簡単には出ない。しかし映画の差し出した回答に、深い感動を味わったことは確かである。
東野圭吾さんの小説を読んでいるとサスペンスの要素に、ヒューマニズムが滲み出てくる作品が多くある。適切な言葉かわからないけれど「人情味」のようなものだ。東野圭吾さんの作品が愛された理由の一つだと思う。
時間が経つのも忘れて読み耽った東野さんの作品。もう新作のページをめくる楽しみがなくなったことが残念だ。あらためてご冥福をお祈りします。
* * *
『容疑者Xの献身』
2008年
上映時間:128分
原作:東野圭吾
監督:西谷弘
脚本:福田靖
音楽:福山雅治、菅野祐悟
出演:福山雅治、柴咲コウ、北村一輝、堤真一、松雪泰子ほか
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記 1971-1976 増補改訂版』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/

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