文/濱田浩一郎

強過ぎる指導者はなぜ国を滅ぼすのか?
江戸時代初期に編纂された軍書に『甲陽軍鑑』がありますが、そこには甲斐国の戦国大名・武田信玄、その後継者の勝頼に関する事績などが記述されています。大河ドラマ「豊臣兄弟!」においては信玄を高嶋政伸さんが演じ、その描かれ方が話題となりました。
さて『甲陽軍鑑』には領国を失い、家中を滅ぼす大将(大名)の特質として4タイプあると記述されています。そのうちの1つが愚かな大将であり、それについては以前、紹介しました(https://serai.jp/hobby/1276353)。今回は強過ぎる大将について見ていきたいと思うのです。強過ぎる大将と聞くと、戦国乱世にあっては国を強盛に導くようにも思うのですが、なぜ同書において国を滅ぼす大将として分類されているのでしょうか。先ず、強過ぎる大将は気性が激しく、大体は弁舌もさわやか、はっきりと物を言い、智恵は人より優り、何事についても柔弱さを嫌う。そして普段は短気なこともなく、少しも騒々しさがなく、静かで奥深く見えると同書にはあります。
これらの記述の中には指導者として良い面(例えば智恵が優る、短気ではない、奥深いなど)と悪い面が含まれていると言えるでしょう。悪い面の1つが「何事についても柔弱さを嫌う」という点です。同書にもそれについての弊害が書かれています。
主君が柔弱なことを嫌う性質だと、重臣(家老)としても(柔弱なことを具申して主君の機嫌を損なわないであろうか)と恐れてしまうと言うのです。よって遠慮して、大半が道理が通らないような意見になるとのこと。そうなると主君の方も(家老の主張は戯言だな)と考えるようになり、自分の考えばかりを頼りにするようになってしまう。「わがままなる思案」に陥ってしまうというのです。
重臣を招集して、相談はするものの「機の武過たる大将」(気性の激しい大将)のもとでの評定であるから、重臣の意見も1つも役に立たない。気性が激しいので、下手に意見を言って怒られたりしないか、咎められないか、不安になり、まともな意見が言えないからでしょう。気性が激しいということも強過ぎる大将の欠点です。
そうこうするうちに、心根の汚い者(家臣)が何事も主君の気に入るようなことを具申するようになります。諫言にしても主君が気に入るような諫言しかしません。「なんちゃって諫言」とでも言うべきでしょうか。しかしその「なんちゃって諫言」も強過ぎる大将には(家臣の中にも私と同じ考えの者もいる。自分の考えは少しも間違ってはいない)と響くものになります。
信玄の後継者・武田勝頼は長篠合戦でなぜ敗れたのか?
強過ぎる大将の欠点には、前もって考えず、どのようなことも剛強に振る舞おうとするところもあります。要は猪武者のようなところがあるのです。そしてそうした気質は家臣にも伝染し、家臣もまたよく思慮することなく、敵と戦おうとするので、小競り合いのようなものでも多くの武士が討ち死にしてしまう。優れた武士まで多く討ち死にしてしまうので、猿のような無能な武士が残り、家中の作法も悪くなってしまうと言います。
作法が悪くなると、戦いにも弱くなる。戦いにも弱くなると、強過ぎる大将も「弱い武将」と見做されるようになります。
こうした大将として同書が挙げるのが、信玄の後継者・武田勝頼です。長篠の合戦(1575年)で判断を誤って、勝てる戦で気負ってこちらから攻めて大敗したのは「沙汰の外」だと言う理由からです。勝頼は心が「剛強」であり、そこに「先代(信玄)よりも強く」と諫言する家臣がいた。よって勝頼も信玄より強く振る舞おうとする。それが敗戦の基になったと言うことです。
同書には続けて「過れば必ずけがありという」との言葉があります。「過ぎると必ず失錯がある」と言うのです。強いことは悪くはないが、それが過ぎると過ちを犯す。賢いことは悪くはないが、それが過ぎると失敗することもある。過剰さを戒めている訳です。「過ぎたるは及ばざるが如し」(やり過ぎることは、やり足りないことと同じくらい良くない)ということですが『甲陽軍鑑』は我々にそうした教訓も与えてくれるのです。
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。







