阿蘇山
写真:photoAC

現在の熊本県にあたる「肥後国」。戦国時代には菊池氏や阿蘇氏、相良氏など多くの勢力が割拠し、北から龍造寺氏、南から島津氏も進出するなど、激しい争いが続いた地域です。

やがて島津氏が肥後をほぼ制圧しますが、そこへ天下統一を進める豊臣秀吉が大軍を率いて九州へ進攻します。

秀吉によって九州が平定されたにもかかわらず、なぜ肥後では大規模な一揆が起こったのでしょうか? 戦国時代における肥後国について見ていきましょう。

「肥後国」の読み方と名前の由来

まずは、読み方から確認します。

「肥後国」の読み方は……
「ひごのくに」です。

現在の熊本県にほぼ相当します。「肥州」とも呼ばれました。

「肥後」という名前を知るには、その前身である「火(肥)の国」までさかのぼる必要があります。古代、この地域は広く「火の国」と呼ばれていました。

「火の国」という名称の由来については、古くからさまざまな説があります。『肥後国風土記』の逸文には、崇神天皇の時代、土蜘蛛を討った健緒組が八代郡で、日暮れの空に燃える火を見つけたため、「火の下る国」として火国と名付けられたという伝承が残されています。また、『日本書紀』にも、景行(けいこう)天皇が葦北から船を出した際、暗闇の中に人が灯したものではない火の光を見つけ、この地を「火国」と名付けたという話が伝わっています。

一方、「火の国」の由来については、不知火海に見える火や阿蘇山の噴火に結びつける説もあります。ただし、『日本大百科全書』(小学館)では、八代郡の「肥伊郷(ひいごう)氷川」という地名に由来するとする説が有力とされています。

その後、律令制が整えられていくなかで、広い「火(肥)の国」は分かれ、7世紀末までには「肥前国(現在の佐賀県及び壱岐・対馬を除く長崎県)」と「肥後国」が成立したと考えられています。「肥前」が肥の国の前方、「肥後」がその後方にあたることから、それぞれの国名が付けられたのです。

『日本書紀』持統天皇10年(696)の記事には、すでに「肥後国」の名が確認できます。

戦国時代の「肥後国」の変遷

肥後では一人の大名が長く国全体を支配したわけではなく、各地に有力な国衆が存在しました。その複雑な勢力関係を大きく変えたのが、島津氏と豊臣秀吉です。

島津氏が肥後をほぼ統一

16世紀後半、肥後北部では大友氏の影響力が強まりましたが、天正6年(1578)、大友宗麟が耳川の戦いで島津氏に敗れると情勢が一変します。

北からは龍造寺氏、南からは島津氏が進出。天正12年(1584)に島津氏が龍造寺隆信を破ると、肥後の国衆を次々と服属させました。

天正14年(1586)には阿蘇氏最後の拠点・高森城も陥落。島津氏による肥後統一がほぼ完成します。

秀吉の九州征伐で支配者が一変

しかし、その翌年、豊臣秀吉が九州へ大軍を送り込みます。

天正15年(1587)、秀吉は南関から肥後に入り、高瀬、隈本、八代、佐敷、水俣を経て薩摩へ進軍。島津義久が降伏すると、秀吉は肥後の新たな支配者として佐々成政(さっさ・なりまさ)を置きました。

そして、それまで肥後各地を治めてきた52人とされる国衆については、ひとまず本領を認めたのです。

熊本城
現在の熊本城。佐々成政は肥後領主として隈本城に入った。
写真:photoAC

なぜ「肥後国衆一揆」は起きた?

ところが、平穏は長く続きません。成政は肥後の政治・経済を把握し、国衆の力を抑えるため検地を進めようとします。これに隈部親永(くまべ・ちかなが)らが反発。天正15年(1587)夏、一揆は肥後各地へ広がりました(肥後一揆)。

秀吉は九州の諸大名を動員して一揆を鎮圧。翌天正16年(1588)、成政には切腹を命じます。

さらに肥後では検地が進められ、旧来の国衆勢力は大きく整理されました。秀吉はその後、肥後北部を加藤清正、南部を小西行長に与え、球磨郡は相良長毎(さがら・ながつね)に安堵。秀吉の直轄領も置き、肥後の支配体制を大きく組み替えていきます。

最後に

戦国時代の肥後国は、菊池氏や阿蘇氏、相良氏をはじめ、多くの在地勢力がそれぞれの土地を治めてきた国でした。そこへ島津氏、そして豊臣秀吉という強大な勢力が進出します。

中でも肥後国衆一揆は、秀吉の九州征伐が終わったからといって、すぐに安定した支配が始まったわけではないことを示す出来事です。

旧来の国衆が支配する肥後から、秀吉が任命した大名によって治められる肥後へ…。一揆の鎮圧と加藤清正・小西行長の配置は、肥後が中世から近世へ大きく変わっていく転換点だったといえるでしょう。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。

Instagram:@kyoto_monokaki
note:@kyoto_monokaki

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)

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