昔も今も「高級フルーツ」のイメージを保ち続けるメロン。その果物はどこから来て、いつから日本人が口にするようになったのか。歴史、名産地、そしてスイーツと、メロンを巡る「至福の旅」に出かけてみたい。

月岡芳年『皇国二十四功 羽柴筑前守秀吉』秀吉が地元民から献上されたマクワウリの皮をむこうとしている場面。国立国会図書館蔵
メロンほど「高級」のイメージを持ち続ける果物はない
球体に美しい網目が浮き出し、天頂にT字形の茎がのり、ずしりと重い。お見舞いや特別な日の贈り物に使われる果物──というのが多くの人が抱くメロンのイメージだろう。
いつから日本人はメロンを口にするようになったのか。『日本の果物はすごい』の著者で育種家の竹下大学さんに解説してもらった。
「現在のメロンは、明治以降に日本に入ってきた西洋メロンの系統ですが、それまでも日本人はメロンを食べていました。それがマクワウリです」(竹下さん、以下同)
マクワウリは有史以前に、シロウリとともに中国から日本に伝わったという。
「弥生時代の遺跡からマクワウリの種子が発見されています。シロウリと違い、マクワウリは芳香と甘みがある貴重な果物でした。戦国時代になると、美濃国真桑村(岐阜県本巣市)でより甘い品種が登場し、産地の名をとりマクワウリとして知られていきます」
甘いものが貴重だった時代、マクワウリは戦国時代の武将に珍重され、信長や秀吉が朝廷に献上したという。江戸時代になると産地が広がり、マクワウリは庶民の食べ物になっていった。
西洋文化としてのメロン
「明治になると、富国強兵のかけ声とともに、西洋の文化や様式が積極的に導入されますが、西洋メロンもそのひとつです」
明治5年(1872)にアメリカ種メロンの収穫に成功し、その後、政府の農業試験場として設置された内藤新宿試験場において、福羽逸人博士がネットメロンの育成に成功する。いわゆる網目模様の「マスクメロン」の登場である。「ムスク」(麝香<じゃこう>)の香りがするメロンという意味である。
「大正時代に入ると早稲田大学創設者の大隈重信が、自邸の温室でメロンを育て、マスクメロン品評会をたびたび開催しています。当時のメロンは華族のステイタスシンボルのひとつでした」
明治末期からメロンを販売する動きが出てくる。大正から昭和にかけて、「千疋屋」などいくつかの業者が取り扱いを始めるが、依然として庶民には手が届かない超高級フルーツであった。大正の初めに「千疋屋」が販売したメロンは、1個10円だった。当時の教員の給料が20~30円の時代である。
新品種と大衆化の時代
戦後になってもメロンは高級フルーツの代名詞だったが、それを一変させる品種が昭和37年(1962)に登場する。
「坂田種苗(現・サカタのタネ)が開発したプリンスメロンです。マクワウリと同じくネットはありませんが、中身はまさしくメロンの味で大ヒットしました。プリンスメロンの登場により、メロンはやっと大衆化を果たしたのです」
当時のプリンスメロンの価格は1個200~300円、マスクメロンの10分の1程度であった。
「昭和52年に商品化されたアンデスメロンは、マスクメロンのような網目のあるネットメロンを大衆のものにしました。以降、アムス、クインシー、イバラキングなどのネットメロンの新品種が続々と登場し、国産メロンは今、戦国時代を迎えているといえます」

解説 竹下大学さん(育種家)

※この記事は『サライ』本誌2026年7月号より転載しました。












