
若い頃の血気盛んな自分と比べて、ずいぶん角が取れた… そう感じる人も多いでしょう。経験を重ね、わかることが増えた一方で、「まだ知らない」「まだ伸びしろがある」と自覚するのも、この年代ならではです。
いまは学び直しが当たり前になり、知識は検索やAIで補えます。けれど、言葉の意味を「自分の中で咀嚼する」ことは、誰かに代わってもらえません。先人の名言やことわざに触れることで、若い頃とは違う深さで、学びが返ってくることもあります。
今回の座右の銘にしたい言葉は「義を見てせざるは勇なきなり」(ぎをみてせざるはゆうなきなり) です。
「義を見てせざるは勇なきなり」の意味
「義を見てせざるは勇なきなり」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「正義は人の行なうべきものであるが、これを知りながら実行しないのは勇気がないからである」とあります。
私たちが生活していると、「ここで自分が声を上げるべきだ」「困っているあの人に手を差し伸べるべきだ」と頭ではわかっているのに、周囲の目を気にしてしまったり、面倒に巻き込まれるのを恐れたりして、つい見て見ぬふりをしてしまうことはないでしょうか?
この言葉は、そうした人間の弱さを鋭く突くと同時に、「正しいと思ったなら、一歩を踏み出す勇気を持ちなさい」と背中を押してくれる言葉でもあります。ポイントとなるのは「義」という一文字です。「義」とは、単なる法律上のルールや、自分勝手な正義感のことではありません。他者を思いやり、社会全体にとって何が善いことなのかを判断する、人間としての普遍的な道徳心や倫理観を指します。
つまり、「頭で善悪を理解するだけでは不十分であり、実際の行動に移してこそ、初めて価値がある」というのが、この言葉の核心なのです。
「義を見てせざるは勇なきなり」の由来
この言葉の由来は、古代中国の思想家である孔子とその弟子たちの言行録『論語』にあります。論語は、約2500年もの間、東洋における道徳や哲学のバイブルとして、多くの知識人や指導者たちに読み継がれてきました。
該当する一節は、『論語』の為政(いせい)第二の最後に登場します。
孔子は、「仁」(思いやりの心)を最も重要な徳と位置づけていましたが、その「仁」を実際の行動として表すための判断基準が「義」でした。そして、その「義」を実行に移すための原動力が「勇」であると説いたのです。
どんなに立派な理想を掲げ、思いやりの心を持っていたとしても、いざという時に行動できなければ、それは本物ではない。孔子の教えは、時代を超えて現代を生きる私たちの心にも、強く、そして温かく響きます。

「義を見てせざるは勇なきなり」を座右の銘としてスピーチするなら
「義を見てせざるは勇なきなり」を座右の銘としてスピーチする際には、単に言葉の意味を述べるだけでなく、なぜその言葉を選んだのか、ご自身の人生経験とどのように結びついているのかを語ることが、聴衆の心に深く響く秘訣です。
以下に「義を見てせざるは勇なきなり」を取り入れたスピーチの例をあげます。
小さな一歩の大切さを語るスピーチ例
私の座右の銘は、「義を見てせざるは勇なきなり」です。中国の古典『論語』に登場する言葉で、正しいとわかっていることを前にして行動しないのは、本当の勇気がないからだ、という意味です。
私はこれまでの人生で、困っている人に声をかけたほうがいいと思いながら、周囲の目を気にして遠慮したことが何度もありました。また、仕事や家庭の中で、話し合うべきことを先送りしてしまった経験もあります。そのときは、波風を立てないことがいいと思っていましたが、あとから振り返ると、ただ自分が傷ついたり失敗したりするのを恐れていただけだったのかもしれません。
もちろん、何でも勢いで行動すればいいわけではありません。相手の気持ちを考え、状況を見極め、自分にできることを考える必要があります。その上で、正しいと思ったことから逃げず、小さな一歩を踏み出すことが大切なのだと思います。
これから先、年齢を重ねるほど、これまでの経験を誰かのために役立てる機会が増えていくでしょう。地域のことでも、家族のことでも、後輩への助言でも、できることから始めたいと思います。
最後に
「義を見てせざるは勇なきなり」は、正しいことを知識として理解するだけでなく、実際の行動に移す大切さを教える言葉です。ただし、その行動は、無理をしたり、相手に考えを押しつけたりするものであってはいけません。自分にできる範囲で、相手を思いやりながら、一歩を踏み出すことが大切です。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com











