文/晏生莉衣

「永遠のベストセラー」といわれ、近年、売上増加が続いているという注目の聖書。キリスト教の聖書は旧約聖書と新約聖書の数々の正典が収められた小冊子集のような書物であることを前回のレッスンで紹介しましたが、いったいだれがそれらの正典を書いたのかという質問がよくあります。今回は旧約聖書について、この質問の観点を含めて考えていきましょう。

民族のドラマが描かれる

旧約聖書は古代イスラエルの民族の成り立ちに関するさまざまな出来事が長い時間をかけてまとめられた壮大なスケールの書物です。

古代イスラエル民族はどんな人たちだったのかというと、旧約聖書の最初の正典『創世記』には、神から選ばれて契約を結んだアブラハムを始祖とするイスラエル民族の黎明の物語が描かれています。

『創世記』に続く『出エジプト記』によると、その子孫たちはエジプトで奴隷状態となり、モーセに率いられてエジプトを脱出してパレスティナの地にたどり着きました。

その後、ダビデやソロモンらによる独自の統一王国を築いたものの(紀元前10世紀頃)、やがて南北に分裂すると、北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ(紀元前8世紀)、残る南のユダ王国も新バビロニアによって滅亡させられてしまいました(紀元前6世紀)。首都エルサレムは破壊し尽くされ、王や多くの人々がバビロンに強制連行されますが、これが世界史の授業で習う「バビロン捕囚」です。

これらのことは『サムエル記』、『列王記』、『歴代誌』に記されています。

のちに世界的な影響を持つようになる聖典の主人公ですから、強大な勢力を誇った無敵の民族のようにイメージしがちですが、旧約聖書に描かれた古代イスラエル民族は、現在の中東地域に暮らす弱小の一民族で、周辺の大国の脅威や支配に翻弄され続けたとてもはかない存在だったのです。

しかし、だからこそ、苦境に陥るたびに神の救いを願う信仰心を篤くして絶望を克服していったともいえるでしょう。研究では、古代イスラエル民族の間で長く口伝されてきた伝承は、民族が大きな変化や困難を経験した転換期に文書としての編纂が進んだとされ、そうしたことからも、古代イスラエルの人々が神への信仰を頼りに試練を乗り越えようとしたという意図が感じられます。

神に背いた罪の償い

特にバビロン捕囚という出来事は、旧約聖書の編纂が進む大きなきっかけとなったといわれています。

国を失うという破滅的な事態に直面したのは、王や民がイスラエルの神との約束(契約)をないがしろにして離反したために神の怒りを招いたからであることが旧約聖書に記されていますが、バビロン捕囚時の人々は、なぜ、神と契約を結んだはずの我が民族の国は滅ぼされたのかと自問自答を繰り返したのでしょう。そして深い悔悛の日々の中、背信の罪を犯した民族が再び神に立ち返るために、古くから先祖に与えられてきた大切な「神の言葉」を一冊の書物にするという一大プロジェクトが進められたのだろう、とそんなふうに考えられています。

その中で形成されていったのが、イスラエル民族は神によって選ばれて特別な約束を交わした「契約の民」であるという選民意識でした。

著者はモーセ、ダビデ、ソロモン?

このように、旧約聖書に描かれているのは、大帝国の輝かしい歴史などではなく、小さく弱い民族のサヴァイヴァルストーリー(survival story)そのものです。

では、旧約聖書はだれが書いたのかという質問に移ると、旧約聖書は古代イスラエル民族が自らのアイデンティティをかけて制作した書物ですから、大変おおまかにいえば、古代イスラエル民族が書いたといえます。ただ、この答えでは知識としてあまり満足できるものではありませんので、もう少し掘り下げてみましょう。

『創世記』から始まる最初の5巻は「モーセ五書」と呼ばれる律法で、モーセが書いたと伝統的に信じられてきました。しかし、現代の聖書学の研究では、モーセ以外の複数の執筆者によって書かれた多様な文章が編纂されたという見解が主流になっています。

神への賛美が美しく詠われている『詩編』の多くには「ダビデの詩」というタイトルが冠されているため、これらはダビデが詠んだと信じられてきましたし、冒頭に「ソロモンによるもの」と読み取れる文章がある『箴言』『コヘレトの言葉』『雅歌』や、内容的にソロモンが書いたと想像できる旧約聖書続編の『知恵の書』は、ソロモンが記したとする解釈が伝統的でした。

しかし研究によると、これらについてもダビデやソロモン本人が作者とはいえず、彼ら自身にオリジナリティがあるかもしれないものでも、本人たちが書いたというよりはほかのだれかによって書き記されたというケースや、彼らにインスピレーションを受けて別のだれかによって書かれたというものもあるだろうという説が唱えられています。

旧約聖書の最後に収録されている預言書は、それぞれに「~の預言」と預言者の名前が書かれていますが、同様に、預言者自身が書き残したというよりは、預言者本人の言葉をもとに弟子が記録したという考え方がされるようになっています。

ライターやエディターの活躍

なにしろ、万物の創造主である神による天地創造から始まり、アブラハムの誕生は紀元前2000年頃とされることがありますが確実なことはわかりませんし、それに続く出エジプトの物語についても正確な年代は定かではありません。旧約聖書の世界は大昔のことから始まるとかなりアバウトな感覚になりますから、そんな大昔のことをだれが書いたのかといわれたら、作者不詳としかいえないという専門家もいます。

そうすると、旧約聖書の正典はそれぞれ特定の人物が特定の時期に書いたというものではなく、大変長い紀元前の歴史の中で語り継がれた伝承が民族の記憶として保たれながら、折に触れていろいろな形でメモや文書に記されて保存されていたという状況が想像されるのです。

ですから、旧約聖書はだれが書いたかということについては、一つ一つの正典に一人ずつ著者がいたという単純な話ではなく、歴史のページごとに語り手や聞き手、筆記者がいて、その人たちが残したもろもろの素材が、神学的な知識を持つ専門職グループの手によって徐々に文書として編集され、編纂されていったというイメージになります。さまざまな時代にさまざまな役割を果たす多くの人たちがかかわって作り上げられた、アンソロジー的な性格の文書群として成立したのが旧約聖書だともいえるでしょう。

研究によると、そうした編纂を経て旧約聖書が現在のような形に近いところまで整理されたのは、紀元前2世紀頃から紀元前1世紀頃にかけてのことだろうといわれています。ちなみにその頃の日本は弥生時代で文字はまだ使われていませんでしたから、文明をはぐくんだ悠久の時の流れの違いが感じられます。

そして、古代イスラエル民族の成り立ちと一言でいっても、内容的には、民族の歴史にまつわる伝承、神殿の祭司による儀礼や法律の記録、王宮の公的記録、文学的な創作、預言者の言葉など、多岐にわたるジャンルの多様な文書がありましたから、それらを一冊の書物として整理して完成させるまでには大変な労力が費やされたことが想像されます。

* * *

今の時代のユダヤ人の多くは、先ほど出てきた南のユダ王国の共同体にルーツを持っています。地域紛争が絶えない現代イスラエルについて考えるとき、旧約聖書の世界で繰り広げられるいくつものドラマが参考になることもあるでしょう。

文/晏生莉衣(あんじょう まりい)
教育学博士。国際協力専門家として世界のあちらこちらで研究や支援活動に従事。国際教育や異文化理解に関する指導、コンサルタントを行うほか、平和を思索する執筆にも取り組む。著書に、日本の国際貢献を考察した『他国防衛ミッション』や、その続編でメジュゴリエの超自然現象からキリスト教の信仰を問う近著『聖母の平和と我らの戦争』。

 

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