南会津町の南西部、舘岩地区には重要伝統的建造物保存地区に指定される「前沢曲家集落」がある。明治末に建造された茅葺きの民家が並ぶ。

南会津町は福島県の南西部に位置し、新潟県や栃木県との県境に近く、深く広い森を擁する。町の面積の約92%が森。しかも、その約75%が天然林だというから驚かされる。東京からだと、東武鉄道が浅草駅から特急を運行する。日光市に入り、鬼怒川、湯西川という栃木県内の有名な温泉地を通り、どんどん山、そして森が深くなって福島県に入る。終点が会津田島駅で、ここが南会津町の中心だ。浅草駅からの所要時間は約3時間10分。東北の南の入り口である南会津町の森は多様な広葉樹が混生する。秋たけなわともなれば、多様な樹種は、それぞれの色に葉の色を変えていき、森は多彩な色合いの紅葉、黄葉となって旅人を迎える。そんな町で昔からの暮らしを新しいかたちで受け継ぐ人々を訪ねた。

前沢集落の中には木材を加工して水路が作られ、水車が回る。これを動力に小麦を挽いたりしてきた唐臼が稼働している。

樹木との長い付き合いが生んだ新しい世界

豊富な広葉樹は、この地を日本有数の楽器材、家具材の供給地とした。冬は、ところによっては2m以上の積雪となり、針葉樹は雪の重みで枝が折れてしまい良材が育ちにくい。それでも、人々は里の近くにスギ、アカマツ、カラマツなどを植え育て、家屋の建築に役立て続けている。町役場農林課の渡部絵美さんはいう。

「年配の方々にお聞きすると、昔は林業が盛んだったので、町内には今とは比べものにならないほど製材所、工務店、木工所があったそうです。いつの間にか国産の木を使うことが日本全体で少なくなって、南会津町でも森や木と人の関係が昔より薄くなってしまいました。でも、やはり森と木が南会津町の最大で最高の財産。古くからの関係を少しずつでも取り戻そうと、町内各地で『木育』(もくいく)を合言葉にさまざまな事業を始めています。森や木と親しむ機会を作り、子どもたちだけでなく大人も実際に木に触れてみようという試みです」

そんな渡部さんが始めたのは、製材のときに出る鉋屑(かんなくず)を丁寧に成形して、さまざまな花に仕上げるというワークショップだ。きっかけは、『きとね』(南会津町内の公共建築物)がウッドデザイン賞を受賞した際、町長が胸に付けて帰ってきた木のコサージュを見たことだという。そのコサージュは南会津町と同じように森の中にある地、長野県北相木村の女性たちが作ったものだった。渡部さんは、約92%の森林率を誇る南会津町でも、鉋屑を使ったワークショップができるのでは、と独学で勉強を始め、やがてキノハナマイスターやmokkaウッドアート認定講師の資格を取得した。そして、南会津町木育インストラクターに技術を伝承し、ワークショップを始めたのである。

「長い鉋屑を蛇腹に折りたたんで、一方から鋏で切れ目を入れていき、最後にくるくると丸めるとかわいいカーネーションができます。製材所では鉋のかけ方に段階を設ける技術があるんですね。超仕上げとなれば、鉋屑は極薄です。長い木材加工の歴史で培われた高い製材技術も、鉋屑から知っていただきたいと思います」

鉋屑を使った花の作り方を説明する渡部絵美さん。農林課の職員として林業の現場を訪ねることも多いという。
渡部さんのレクチャーに沿って作っていくと完成までは30分ほど。染料で色を付けたり、いくつもの花を輪にしてリースにすることもできる。

コサージュ作りに使われるのは針葉樹スギ、ヒノキだ。樹木には香りの成分を多く持つ種類があり、ヒノキはその代表的な樹木である。鉋屑でも香る。

香りの強さでは広葉樹のクロモジが勝る。とても清涼感のある香りを持ち、日本人は古くから生薬に使い、また江戸時代以降は楊枝の素材として尊ばれた。色の濃い樹皮を削ぎ残したクロモジの楊枝は、今でも和菓子には欠かせない。植物の葉や枝、幹には香りのもととなる成分が含まれており、これを水蒸気蒸留することで精油として取り出すことができる。南会津町でクロモジをはじめとした樹木の精油を採取する事業が開始されたのは10年ほど前だ。

東京に本社を持つ一十八日という国産精油の専門会社が、南会津町に拠点を設けて始まった。同社は事業を香りから樹木や森を知ってもらう「木育」と考え、精油を製造販売するだけではなく森へと導くさまざまな取り組みを行なっている。南会津の里山やアロマ蒸留所を舞台に行なわれる「アロマ蒸留体験スタディツアー」や、その中のコンテンツであるクロモジの苗の植樹ワークショップは好例である。

「鉋屑の花に精油を数滴落とし、一輪挿しにしておけばディフューザー(空間に芳香を拡散する器具)になります」(渡部さん)

今年9月27日には第11回「南会津アロマまつり」が開催され、香りから町の自然を知るさまざまな催しが行なわれる予定である。

クロモジは枝と葉をチップにしてから蒸留される。抽出した精油は濾過して精製され、瓶詰めにされていく。
クロモジはクスノキ科の落葉低木。南会津産のクロモジの精油は3mℓで4070円。町内にて販売しているほか、オンラインショップでも購入可能。

木地師の伝統を受け継いで暮らしの道具を作る

南会津町には樹木から食器を作ってきた伝統もある。中世から明治中期頃まで山間の地には、木地師と呼ばれる広葉樹から食器を作る職能集団がいた。彼らは山中に暮らし、樹木を伐って木地を作り、それを漆塗りの職人などに卸して生計を立てた。そして、数十年定住すると良材を産する森を求めて移動していった。南会津町の各地のブナやミズナラが生い茂る森には、木地師の集落跡がある。戦国時代の末期、蒲生氏が会津に移封になった際、現在の長野県である木曽地方から木地師を呼び寄せたといわれている。

やがて、江戸時代に入ると城下町の会津若松に漆芸が発達していった。今でいう会津塗で、南会津町の木地師たちは会津塗の塗師に木地を提供する。明治になると次第に分業化が進んで南会津町は木材を送り出すようになり、木地師たちは山から里に下り、製材業や農業をして里人として暮らすようになっていった。こうして漆を塗る一歩手前まで器を仕上げる技術を絶やすまいと、木地師の伝統技術の継承と伝承を行なう町民有志が活動を始めたのは近年のことだ。伊藤康弘さんは、そのひとりである。

「私は長く木工業とは縁のない団体職員だったのですが、若い頃から木で何かを作ることが好きで、在職中から電動ろくろを購入して趣味で作っていました。定年後は自宅とは別に工房を設けて、木工に専念しています」

木地師の伊藤康弘さん。ろくろによる木地作りは平安時代に現在の滋賀県東近江市の山中で始まったとされ、そこで技術を身に付けた木地師が各地に移住していったという。
ろくろに固定された木材が高速で回り、鑿(のみ)を当てると細かく削れ、みるみるうちに形状が変化していく。仕上げには、やすりを使って表面を滑らかにする。

陶磁器のろくろは、素材の土を上に乗せて回る。一方、木地作りのろくろは、木材を横に固定して回る。かつては縄を真棒にかけて回す人が付いた。人力から電力に代わったものの、削り上げていく方式は昔から変わらない。伊藤さんの工房には、たくさんの鑿(のみ)があった。それらで木材を削るのだが、大工道具の鑿とは形状が大きく違う。まず、持ち手である柄が長い。これはろくろの回転に弾かれないよう、鑿を両手で支えなければいけないからだ。刃先も幅や反り具合の違うものが何種類もある。器の大小や底と側面をどういう角度で成形するかによって鑿を選んでいくわけである。こうした多種類の鑿を使い分けて椀、蕎麦猪口、深皿、平皿、盆などを作っていく。かつてのように会津塗の塗師に卸すことはない。自身で拭き漆仕上げかオイル仕上げにして作品を完成させる。

「仲間たちと『南山郷人の会』というのを立ち上げましてね。これは、南会津町でもとくに西北部の南郷地区の木地師の足跡を調べ、ろくろ技術を継承していこうという有志の集まりです。子どもたちに集まってもらってワークショップも行ないます。ろくろを回して木に鑿を当ててもらうこともしますが、彫刻刀を使って模様や水留めの溝を彫ってもらうこともします。そうやって広葉樹の硬さを知ってもらうことだけでも木との距離が近くなりますからね」

そんな控えめな伊藤さんを慕い、作品の常設展示、販売を行なってもらおうと、地元の若者たちが今、積極的に働きかけている。

伊藤さんの作品。左はそば猪口、中央はカッティングボードを兼ねた平皿。彫刻刀で彫った溝は水留めになり、そばや素麺などを盛り付けるための工夫だ。クリ材を使っている。
木地に使う樹種は水に強いクリが多い。製材所で丸太買いし、木目や節を見極めながら器の大きさの木塊にして乾燥させる。作った後に割れたり歪んだりしないよう、約30年間乾燥させた木塊もある。

暮らしと祭りを支えた藍染めを守り続ける

南会津町では古い民具の収集、保存も盛んである。田島地区の郊外、山間の豊かな森の中に町営の奥会津博物館を持ち、広い展示室に飾られた樹木伐採、製材、木地作りの刃物を中心にした道具、町内各地を流れる清流での漁労道具など、じつに見応えがある。また、展示館の外には4軒の茅葺き屋根の古民家が移築され、この地の往時の暮らしぶりを身近に感じることができる。古民家のひとつは染屋、藍染めを生業にしてきた家で、今も家内で藍染めを行なえるように維持されている。学芸員の渡邊貴恵さんはいう。

「藍染めは日本各地で行なわれてきました。南会津町でも昔は家々で麻を作り、麻糸を紡いで機を織り、これを染屋が染めて野良着を仕上げてきました。そうした藍染めの仕事着を作って着る文化は時代とともになくなっていきましたが、田島地域にはつい最近まで藍染めを専業にする染屋さんがいました。それは、祇園祭があるからなんです。田島の祇園祭は、京都、博多とともに日本三大祇園祭に数えられる盛大で由緒ある祭りです。そこで麻布を藍染めによって鮫小紋で染めた裃(かみしも)を着るのが習わしです。藍染めの野良着の文化は廃れても、祇園祭によって藍染めが残り続けてきたのです」

「田島藍染保存会」の方々とともに南会津町の藍染めを支える渡邊貴恵さん。民具にも精通し、町内で蔵を壊すなどと聞けば調査に出向く。
奥会津博物館の屋外施設のひとつ「染屋」は、田島地区で200年以上にわたって藍染めを営んできた杉原家の建物を移築。藍甕や染め道具の一切を町が譲り受けた。

奥会津博物館の染屋では、藍染め体験ができる。自身で藍甕に布を何度も浸し、それを古民家の間に流れる水路で洗い、干すのである。布は体験者が持ち込むのではなく、博物館が用意している。ハンカチや手拭いの大きさが手頃だろう。夏でも冷ややかな藍の発酵した香りをほのかに放つ甕に白布を浸し、上げてみると初めは緑色だった布が瞬時に藍色へと変わる。藍は空気に触れて酸化することで藍色になるのだ。渡邊さんはいう。

「南会津町では上等な反物には型染めをしてきました。古い型紙はたくさん残っていまして、それを使って体験していただくこともできます。ただ、型紙に刻まれた細かな紋様を綺麗に染め分けるため、布の地色に藍が滲み込まないように糊を使うんですね。この糊を乾かし、そして洗うという作業が加わりますので、どうしても2日間博物館に来ていただく必要が出てきています。そこで、短い旅行期間でも体験していただけるように絞り染めも行なっています。こちらは愛知県の有松、鳴海で江戸時代から行なわれてきた手法ですが、布の地色を残したい部分は糸で縛ってから藍で染めます。博物館の体験では糸ではなく輪ゴムを使いますが、それでも布の折り方や輪ゴムの巻き方を工夫すると、直線や円形でさまざまな布の地色の紋様ができます。デザイン感覚の見せどころですね(笑)。こうした藍染め体験には、私も加わりますが、主に『田島藍染保存会』の方々が講師をしてくださいます。藍染め(の体験)を実際にやってみるとともに、古くからの文化がどのように守られているかも感じていただけると幸いです」

南会津の藍甕は、全国でも珍しい石造りである。藍が発酵するには適切な温度が必要で、冬場の稼働は難しい。
染屋のすぐ前を流れる水で、染めた布をゆすいで絞る。染め終えて洗った後は、染屋の前庭で干す。

渡邊さんたちは地元の小学校などでも藍染めのワークショップを開く。そこで心配になるのは子どもたちの人数だという。町内にはひとつの学年が5人の小学校もあるそうだ。

「過疎化は痛々しいほどで、本当に町の将来が心配になってしまいます。そこで、移住とはいわないまでも繰り返し訪ねてくださる方々が増えてほしいです」

過疎を打開するため関係人口を増やそうという施策を打つ自治体は以前から多い。しかし、これまではどこも一度だけ訪問する旅人を招く施策が多くはなかっただろうか。繰り返して訪ねてこそ関係人口となるはずだ。旅人にとっては、その地域と関係を深めていくには地元の人に知り合うのが一番。行くたびに関係を深めていく関係人口に寄与するべく、地域の伝統文化とそれを支える人々に会う旅を勧めたい。

秋の南会津を巡るツアーを3か月連続で実施

上記のような伝統文化を体験できる南会津を巡るツアーが、9月から11月まで3回に分けて実施されます。自然豊かな森の町がもっとも美しく映える季節に、ぜひ足をお運びください。

【ツアー概要】
・五感で感じる森林と香りのマリアージュ(9月27日~28日)
・歴史に学び、藍に染まる南会津の酒紀行(10月18日~19日)
・木地師に学び、蕎⻨を嗜む伝統と里山旅(11月1日~2日)

●問い合わせ先/東武トップツアーズ 福島支店

 

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