

落語や講談にはない魅力とは。
業界を牽引する玉川奈々福さんは、「落語は江戸や大坂の都会で育った芸だ」という。
「だから落語は洒脱といいますか洗練されているのですが、浪曲は地べたから這い上がってきた芸。泥臭い。遠慮なく、臆面なく、直接的に訴えかける芸です」
うなる節(歌)に、調子のいい啖呵(語り)。泥臭いがゆえに、聴いている人の五臓六腑に染み渡る。感情が身体ごとぐらぐら揺さぶられるので、気づくと、大いに笑い、大いに涙してしまうのだ。
「浪曲師も体力を使います。寄席に出るときは座って演じることも多いですが、本来立って、足を踏ん張り腹の底から声を張ります」
舞台中央に演台を置き、そこに「テーブル掛け」。力士の化粧まわしと同じく浪曲師により異なる。奈々福さんのテーブル掛けは、絵師・深堀隆介の描いた金魚が艶やかだ。もうひとつの特徴が三味線弾きの曲師の存在。浪曲師の上手側に座る。
「浪曲師と曲師のふたりで呼吸を合わせて、即興でひとつの世界を作り出します。浪曲の最大の魅力だと思っています」
曲師 広沢美舟

新作に挑む若手が増加

杉江松恋さんによれば、「浪曲というジャンルが固まったのは明治期」だという。説経節や阿呆陀羅経などの節付きの語り芸の人たちが集まって、明治政府から「浪花節」の鑑札を得て、それが今の浪曲になっていった。
「テレビの普及と共に、浪曲はいったん下火になりましたが、今は若手も増え、古典だけでなく新作にも果敢に挑んでいます」
昨年末、浪曲界では大きなイベントがあった。「国本武春没後十年追善公演」である。55歳で亡くなったスター浪曲師・国本武春を偲んで、ゆかりの深かった玉川奈々福、玉川太福、国本はる乃らが、国本武春から譲られた演目を披露したのだ。
午後1時開演だが、奈々福さんが浅草・木馬亭(浪曲の定席)に入ったのは午前10時過ぎ。着くなり、スタッフと一緒に、観客に配るチラシのセットを作り始める。
場内には、往年の国本武春の写真を配したが、奈々福さんは率先して飾る。そして、演台に立って細かくマイクチェック。合間に楽屋でおにぎりを頬ばり、他の演者に声をかける。開演時間を過ぎると、小屋の外に出て、自ら並んでいるお客さんに謝意を伝える。止まっている、ということがない。
奈々福さんは、公演全体を見渡すプロデューサーであり、裏方であり、若手にとっての姉御であり、何よりトリを務める演者なのだ。何役もこなしながら、出番に向けてエンジンがかかっていく。
客が詰めかけ、空席のない木馬亭は、いつも以上の熱気だった。公演は進み、仲入り後、いよいよ奈々福さんの登場だ。
出番直前、舞台下手側には、集中する奈々福さんの姿があった。背筋を伸ばし、下腹に力を入れる。それまでの笑顔は消え、凜々しさが増していく。
出囃子を合図に、演台に進む奈々福さん。この日は鮮やかな黄色の着物(右写真)を纏った。いわく「武春師匠の奥様から形見分けしてもらった」着物を仕立て直したもの。故人の思いも背負って、客席に向かって、大いにうなる、うなる。
「よっ、名調子!」
観客の掛け声により奈々福さんの力がさらにこもる……。


巻き込み、巻き込まれ
奈々福さんは浪曲の世界に足を踏み入れて、30余年になる。「浪曲の顔」として八面六臂の活躍だが、実は浪曲を知らずにこの世界に入ったのだという。
「もともと出版社で編集者をしていました。入社してすぐに、日本文学全集を手がけたのですが、編集委員は、哲学者の鶴見俊輔、作家の井上ひさし、数学者の森毅、ドイツ文学者の池内紀、画家の安野光雅。先生方と打ち合わせするたびに、己の力のなさを痛感しました。何か自分も磨かなくては、と思ったとき、なぜか“身体感覚を磨こう”となった。それから日本舞踊を習おうか、茶道にしようか、と悩んでいたときに、たまたま新聞で三味線教室の記事を見つけたんです。三味線も無料で貸し出してくれるとあり、“これだ!”と飛びつきました」
この三味線教室は、日本浪曲協会の主催だった。曲師を養成するための教室でもある。
「あれよあれよと巻き込まれ、気づくと玉川福太郎の弟子となり、師匠の脇で三味線を弾いていました。土日は曲師か稽古、平日は会社という二足の草鞋生活でした」
ところが三味線が上達しなかった、と奈々福さんは苦笑する。
「曲師は、特等席で浪曲を味わえる。師匠の美しい節回しが聴けて満足だから向上心がない」
これに師匠が業を煮やした。
「入門して5年ほど経った頃、師匠に呼ばれまして、突然、“浪曲を一席覚えてうなってみろ”と言われたんです」
師匠の言い分はこうだ。
お前の三味線は声を生かすんじゃなく、ぶつかって声を殺す。自分でうなってみれば、どういう三味線がいいかわかるはずだ──。
「一席覚えたら、“せっかくだから客前でやってみろ”という話になった。それから他の師匠方にも稽古をつけてもらえるようになり、浪曲の虜になっていきました」
浪曲の世界に巻き込まれていく一方で、そのあり方には疑問を感じていたという。素晴らしい芸なのに、それが周知できていない。プロデュースの仕方や告知の方法を変えれば、もっとたくさんの人を集められるはずだ。
その思いから2004年に手がけたのが「玉川福太郎の徹底天保水滸伝」(5回連続公演)だ。江戸の侠客の抗争を描いた『天保水滸伝』は、玉川の「家の芸」。「師匠の素晴らしい芸を聴きたい、聴いてほしい」との一心で、企画もポスターも、何から何まで奈々福さんが仕切った。結果、大入り。大きな手応えを感じた瞬間だった。
その後の奈々福さんは、曲師より浪曲師の仕事が増え始め、2006年末、芸名を玉川美穂子から奈々福と改め、2014年には会社員との二足の草鞋も脱いだ。
今年1月からは、自身の『天保水滸伝』をプロデュースしている。しかも、継承している古典演目のみならず、資料や小説から新しい演目も制作し、物語に新しい息吹を吹き込んだ。
奈々福さんの活動が、業界の大きなうねりとなっている。


この演目を聴きたい
平手の駆けつけ(『天保水滸伝』より)
『天保水滸伝』は江戸時代に実在したふたりの侠客の抗争を描いた長編で、玉川の家の芸として受け継がれる。奈々福さんは既存の演目に、新作を制作して加えている。
「さては今宵、飯岡より笹川より喧嘩の仕返し!」
「先生、そのお体ではご無理でございます!」
「妙斎殿、大事出来をいたした、
離してくれ、ええ、離せ!」
「令和の名人」推薦者(特集内の評論を担当)
杉江松恋さん(作家・文芸評論家・演芸プロデューサー)
推理小説の書評や小説執筆のかたわら、落語会や浪曲会を主宰。夢枕獏『陰陽師』を天中軒すみれさんのために脚本化。著書多数。
取材・文/角山祥道 撮影/塚田史香、山﨑真由子
※この記事は『サライ』本誌2026年4月号より転載しました。












