文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター)

アラスカ州内陸部の都市フェアバンクスは北極圏までわずか約160kmという高緯度の位置にある。1900年代初頭のゴールドラッシュによって発展した街だ。現在ではアンカレッジに次ぐ州第2の都市であり、観光分野ではオーロラ観賞ができることで知られている。さらにはアラスカ大学フェアバンクス校を擁する学園都市の側面もある。

その大学構内の丘の上に建つ極北博物館(Museum of the North)を紹介したい。施設名にある“the North”とは、一般的には米国のアラスカ州とカナダのユーコン準州を合わせた地方のことを指す。ホッキョクグマやジャコウウシの標本、先住民族の文化資料、オーロラや永久凍土に関する展示などを通じて、この広大な大地の自然と歴史を学ぶことができる。

博物館正面。

ただ、筆者がこの博物館を訪れたのはそうした学術的な興味からではない。写真家の星野道夫氏(1952-1996年)の作品が展示されていることをどこかで読んだ記憶があったからだ。アラスカの大自然と野生動物の写真と文章で知られる星野氏は、このアラスカ大学の出身者でもある。

千葉県市川市で育った星野氏は風変わりな少年だった。まだ慶應義塾高校在学中だった16歳のとき、ヒッチハイクでアメリカ・カナダ・メキシコを約2か月間かけて放浪するという大冒険をすでに行っている。

慶應義塾大学経済学部に進学すると、探検部で活動をするとともに、アラスカへの興味を深めた。きっかけは一冊の写真集だった。それだけなら珍しいことではないが、星野氏の行動力は飛び抜けていた。地図で知っただけのシシュマレフ村の村長宛てに手紙を書き、「何でもするのでホームステイをさせてくれないか」と頼み込み、それを実現させている。約3か月間、先住民族たちと暮らし、クジラ漁の手伝いをして過ごした。

大学卒業後は写真家の助手を2年間務めた後、26歳でアラスカ大学フェアバンクス校の野生動物学部に入学した。本来なら入学に必要とされる英語テストの点数が足りなかったが、学部長に直訴して入学を許されたというエピソードが、星野氏の著書『旅をする木』で述べられている。

博物館駐車場からの眺め。

どうやら星野氏はアラスカ大学を卒業はしていないようであるが、キャンパスを離れた後もアラスカを拠点に活動し、カリブーやヒグマ、クジラなどの野生動物、そして厳しい自然の中で暮らす人々を撮り続けた。

極北博物館の正面入り口を入ってすぐのロビーには、星野氏のいくつかの作品とその生涯を記したパネルが飾られ、前述『旅をする木』内の一節が英訳されている。アラスカに移り住み16年を過ぎた心境と、「頬を撫でる極北の風の感触」で始まる自然への賛歌が綴られた美しい文章だ。

星野氏は1996年8月8日、ロシア極東のカムチャツカ半島でヒグマに襲われ、43歳で亡くなった。今年は没後30年の節目にあたる。

星野氏の作品を見るというだけの目的なら、なにもアラスカまで来る必要はない。数多くの著書や写真集が残されているし、大阪の東大阪市民美術センターでは8月30日まで回顧展「写真展 星野道夫 悠久の時を旅する」(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000076625.html)が開催されている。

筆者には写真や芸術関連の鑑賞眼はない。ただ、アラスカに憧れ、その土地に大きな足跡を残した星野氏の生き方に強い感銘を受けた。

大学キャンパス内。

現在、極北博物館では、もう一つの展示プロジェクトが進められている。ジョン・クラカワー著ノンフィクション『荒野へ』(原題”Into the Wild”)で重要な舞台となった「バス142号(通称:ザ・マジックバス)」の保存・公開計画である。

このバスはフェアバンクスの南西約200km、スタンピード・トレイル沿いの原野に人知れず放置されていた。その名が知られるようになったわけは、1992年にある青年(“アレックス・スーパートランプ”ことクリス・マッキャンドレス氏)がこのバスの中で遺体となって発見されたからである。

裕福な家庭に育ち、名門エモリー大学を優秀な成績で卒業した彼は、卒業直後に学資預金の残り全額を寄付し、身分証明書や現金を手放して放浪の旅に出る。アメリカ・メキシコ・カナダを巡る旅は約2年間に及んだ。文明社会や物質主義から距離を置き、自分自身の力だけで生きることを理想とする文章を残している。

彼はアラスカを「究極の荒野」と考え、そこで狩猟や採集をしながら自給自足の生活を送り、自らの生き方を完成させようとしていた。しかし、アラスカの原野にわずかな食糧と装備で入り込んだ彼は、厳しい自然の中で致命的な失敗を重ねることになる。

思ったように狩猟は上手くいかず、ようやく仕留めたムースの肉を腐らせてしまい、彼は徐々に追い詰められていく。さらに増水した川に行く手を阻まれて荒野に閉じ込められる。衰弱した末、「ザ・マジックバス」と彼が呼んだバスの中で命を落とした。アラスカでのサバイバル生活はわずか約4か月で終わった。

スタンピード・トレイル近くに展示されているバス142号のレプリカ。

1996年に出版された『荒野へ』、さらに2007年公開の同名映画によって、マッキャンドレス氏の生涯とバスの存在が世界中の人々に知られることになった。多くの人が荒野を歩いてバスを目指したが、その途中には橋のない急流があり、遭難や救助要請が相次いだ。自然環境破壊も問題になった。

2020年、アラスカ州兵が大型ヘリコプターでバスを空輸し、現地から撤去した。陸路では重機を搬入できず、周辺環境への影響も大きいため、空輸が唯一現実的な方法だったのである。

撤去されたバスは極北博物館へ移され、保存修復が行われた。長年、風雪や落書き、銃撃による損傷を受けていたため、まずは文化財として保存できる状態にする必要があったのである。

現在、修復作業そのものは完了しているが、博物館では屋外展示施設や解説展示の整備を進めており、一般公開にはなお資金調達と施設整備が必要な段階にある。館内では同プロジェクト資金のための寄付が募られ、Tシャツなどのグッズ販売も行われている。

スタンピード・トレイル。

『荒野へ』の中には印象的な一文がある。

「アラスカは、ある種の青年たちを磁石のように引き寄せる。」(筆者訳)

マッキャンドレス氏と同じように、著者のクラカワー氏自身も大学卒業後にアラスカの原野で単身のサバイバルを試み、3週間のちに生還した経験を持つ。「ある種の青年たち」への強いシンパシーを感じさせる文章である。登山家、冒険家、ブッシュ・パイロット、環境保護活動家、写真家、そしてただ原野で自分ひとりの力で生きることに挑むマウンテン・マン。星野氏が残した多くの著書のなかにはそんな人たちが数多く登場する。星野氏自身も含めて、彼らはみなアラスカという土地へ「磁石のように」引き寄せられたのだろうか。

約60年前にアラスカ州政府は自らを「最後のフロンティア」と呼ぶことを正式に決め、現在もそのニックネームは州内のあちこちで見かける。フェアバンクスの丘の上に建つ極北博物館は、そんなアラスカの自然を紹介する施設であると同時に、人間の憧れや冒険について考えさせる場所でもある。

University of Alaska Museum of the North公式ウェブサイト:https://www.uaf.edu/museum/

文・写真 角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 

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