忘れかけている藍色の文化を再発見
明治期に日本を訪れた外国人は、日本人の暮らしにある藍色の美しさに心を動かされたという。たとえば日本研究家のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は「東洋の第1日目」と題した回想で、<着物の多数を占める濃紺色は、のれんにも同じように幅を利かせている*>と、人々の生活にある藍色への印象を綴っている。しかし、近代化が進むなかで、「ジャパンブルー」とも呼ばれた藍色は、日本文化のなかで後景に退いてしまう。
「王道なのに、あたらしい。」というコンセプトで、湯治文化を現代的に編集した星野リゾートの温泉旅館ブランド『界』。鬼怒川温泉郷にある『界 鬼怒川』では、ファサード、回廊、ロビー、湯上がり処などに黒羽藍染がしつらえてあり、藍色の美しさを、滞在するなかで感じ取らせてくれる。それは、明治期に来日した外国人の驚きを追体験するようで、私たちに日本文化の魅力を再発見させるのだ。
*池田昌之訳『新編 日本の面影』角川ソフィア文庫
黒羽藍染を体験する「手業のひととき」
黒羽藍染は、江戸時代から那須・黒羽(くろばね。現在の栃木県大田原市)で続く藍染のひとつ。黒羽を通る那珂川は、那須山麓から那珂湊を結ぶ。中世から水運が開かれ、近世には上り荷は海産物、下り荷は農産物が運ばれたほか、奥州南部から江戸へ米も運ばれ、活況を呈していた。そこで活動する材木商などの印半纏(しるしばんてん。背や襟に屋号などを染め抜いたもの)やのれんなどを藍で染めることで、黒羽藍染は発展する。
黒羽藍染の特徴は、水分を含んだ大豆を挽き、擦りだした豆汁(ごじる)に、松の根を燃やして作る松煙墨(しょうえんずみ)を混ぜて、下染めをすること。これにより、深くて濃い藍色が染められるほか、色褪しにくい染め物を作ることができる。
『界 鬼怒川』では、そうした黒羽藍染の歴史を知り、黒羽藍染作りに参加できるご当地体験「手業のひととき」を用意している。
約200年の歴史を受け継ぐ若手職人・小沼雄大さん
「黒羽藍染紺屋」は、文化・文政年間(1804~1830)から続く紺屋(こうや。藍染商の別称)のひとつ。往事は数軒あった紺屋だが、現在はここのみがのれんを守る。
「手業のひととき」では、この「黒羽藍染紺屋」八代目・小沼雄大さんと、染料である藍作り、そして伝統的な「型染め」などを見学、体験することができる。
まずは、染料である藍作り。原料となる蓼藍(たであい)は、花が咲く前の葉の状態で収穫される。その後、茎を取り除いた葉を乾燥させ、発酵させて、蒅(すくも)という状態にする。この蒅を藍甕(あいがめ)のなかで発酵させる「藍建て」という工程を経て、染液を作る。自然の微生物と酸化作用によって発酵が進み、藍甕に「藍の華」と呼ばれる泡の塊ができてくると、藍染を始めることができるようになる。
続いて、「型染め」で使う型作り。柿渋紙を裏張りした台紙に描いた下絵を、小刀で彫り抜いていく。黙々と時間が過ぎていく作業を通じて、文様に想いが込められていく。このように新しく作るもののほかに、「黒羽藍染紺屋」には、代々受け継がれている型紙がある。また、のれんを下ろした紺屋から引き取った型紙も数多くあり、そうした歴史的遺産を後世に伝えることも、小沼さんは大事にしている。
白生地にのりを塗る前工程
型作りを知った後は、黒羽藍染の前工程であるのり付け。白生地の上に型紙をのせ、型抜きした部分にのりを塗る。のりを塗った部分は、洗い流すと白地になり、のりを塗らなかった部分が藍で染まっていく。この工程の後に、前述した「豆入れ」と呼ぶ下染めを行なう。この下染めを3回以上したうえで、藍甕で染色する工程となる。
立体物などに自由な意匠ができる「創作染め」
小沼さんは、伝統的な型紙染め以外にも、自由な図柄表現ができる「創作染め」というスタイルでも、藍染を行なう。この方法では、刷毛や筆などでのりを塗り、その布を染液に浸ける。立体物に染色ができるなどの特徴があり、こちらは、小沼さんらしい意匠の藍染が仕上がる。
なお「黒羽藍染紺屋」の店舗では、和小物のほかに、藍染のスニーカー、Tシャツ、日傘など、小沼さんが同世代を意識したアイテムが並ぶ。こちらでは、日常生活のなかでも使ってみたくなる黒羽藍染のものと出合えるかもしれない。
温泉郷とは隔離された別世界
元禄年間(1688-1704)に発見されたと伝わる鬼怒川温泉。この地は日光神領だったため、入湯は僧侶などに限られていた。一般の利用が始まるのは明治以降。昭和初期に鬼怒川温泉と改名され、“関東の奥座敷”の温泉郷として発展していく。
『界 鬼怒川』は、日光から会津若松を結ぶ会津西街道から間道に入り、さらに小径を抜けた丘に位置する。そこは木立に囲まれた別世界。黒羽藍染が飾られたファサードからスロープカーに乗り、中庭を臨むポーチへ降り立つと、やわらかい風、葉ずれの音が、来訪者を迎えてくれる。
大浴場や「とちぎ民藝の間」で心身の美を養う
木々が視界に広がる大浴場。泉質はアルカリ性単純温泉(低張性 高温泉 pH9.0)で、疲労回復などの効果、美肌などの効能がある。湯上がり処では、黒羽藍染のうちわが柄見本のように飾られ、温泉情緒を盛り上げてくれる。
地元の伝統文化をしつらえたご当地部屋があるのが『界』の特徴のひとつだが、『界 鬼怒川』では、全室が栃木の民藝に触れられる「とちぎ民藝の間」になっている。
あたたかみある造形と釉薬が特徴の益子焼のカップ&ソーサー。ベッドライナーやクッションなどに使われている黒羽藍染。米国人設計技師ライトが帝国ホテルでも用いた大谷石が敷き詰められたテラス。枕元にある「鹿沼組子(かぬまくみこ)」は、日光東照宮の職人にルーツがあり、いい夢が見られるよう魔除けの願いが込められた麻の葉模様があしらわれている。
いずれも、下野国(栃木県)にゆかりのある伝統工芸品。使ったり、ともに時間を過ごすなかで、“用の美”の魅力を感じる出合いがあるだろう。
益子焼をテーマにした「ご当地楽」
『界』では、地域の伝統や文化を体験できる「ご当地楽(ごとうちがく)」というプログラムを毎日実施している。『界 鬼怒川』のそれは「益子焼ナイト」。益子焼の特徴を、他の焼き物と比較しながら、歴史や器の楽しみ方などを、「益子焼マイスター」が案内する。クライマックスは、益子焼の縦笛と大壺による楽曲の演奏。益子焼の楽器による調べで、『界 鬼怒川』の夜は更けていく。
ロビーには、大正末期に柳宗悦(やなぎ・むねよし)らと民芸運動に深く関わり、“用の美”を探った濱田庄司の作品が、いくつも展示されている。寝食をする空間で、ゆっくりとアートに触れることで、心も養生することができるだろう。
●『界 鬼怒川』
所在地:栃木県日光市鬼怒川温泉滝308
電話:0570-073-011(界予約センター)
客室数:48室、チェックイン15時、チェックアウト12時
アクセス:【電車】東武特急で東武浅草駅~鬼怒川温泉駅(約120分)、JR・東武直通特急で新宿駅~鬼怒川温泉駅(約130分)【車】日光宇都宮道路今市ICから国道121号線経由で約25分。
料金:1名3万1000円~(2名1室利用時1名あたり。サービス料・税込み。夕朝食付き)
●手業のひととき「200年の歴史を継ぐ黒羽藍染の若手職人による工房ツアー」
※1名9000円(税込、宿泊費別)、1~6名まで、1名より実施、現地集合現地解散。公式サイトにて4日前までに要予約。詳細は、ウェブサイトを参照。
ウェブサイト:https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/kaikinugawa