いまから約600年前、曹洞宗の名刹・大寧寺(たいねいじ)を訪れた長門国一宮の住吉明神から授かったとの伝説が残る長門湯本温泉。ここは、近くには萩と下関を結ぶ赤間関街道北道筋が通り、江戸時代には参勤交代のための藩主御成の御茶屋屋敷が設けられるなど、古くから癒やしの地として栄えてきた。

赤間硯で墨をすり、筆でことばを書く

「王道なのに、あたらしい。」をモットーに温泉旅館の快適さ、伝統的な湯治文化などを現代的に編集し、新しいあたりまえを提案する星野リゾートの温泉旅館ブランド「界」。ここでは、「ご当地楽」と呼ぶ、各地域の伝統文化の体験企画を設け、温泉旅館の滞在を、より豊かにしてくれる。

『界 長門』の「ご当地楽」は、「おとなの墨あそび」。山口県の伝統工芸「赤間硯(あかますずり)」で墨をすり、扇形の型紙に墨書するというもの。赤間硯に水を垂らし、その上で固形墨を動かすと、なめらかな感触が手に伝わり、だんだんと墨汁ができていく。ときどき、墨の香りがただよい、心を落ち着かせてくれる。そうしてできた墨汁で、思いついたことばを筆で書いてみる。

文字を書く習慣が減りつつあるなかで、書をたしなむ楽しさを再認識でき、おとなの墨あそびといえる。

硬貨大ほどの少量の水を赤間硯に入れ、固形墨を静かに動かすと、墨がすれる。赤間硯と墨がすべる感触、ほのかな芳香が気持ちを整えてくれる。
心に浮かんだことばを書いてみる“おとなの墨あそび”。筆でことばを書くことを通じて、忘れていた大切な感覚がよみがえってくる。

のびがあり発色のよい墨がすれる赤間硯

その名の由来は、赤間関(あかまがせき。現在の下関市の古称)で作られていたためというのが有力説とされている赤間硯。戦国時代の大内氏は対外貿易として赤間硯を輸出し、江戸時代には長州藩の御用硯師が藩主依頼の硯を制作していた。発掘調査では全国で出土することから生産・流通量が多く、また西日本の硯産地を指導していたことからも日本を代表する硯として知られる。

萩で松下村塾を主宰した吉田松陰は、死を覚悟して父らに綴った手紙で、愛用の赤間硯を「功臣」にたとえた。その硯は、萩の松陰神社のご神体として祀られている。

明治以後は国民皆学を目指した教育制度などにより、習字が盛んになり、赤間硯の生産も活発になる。しかし、戦後は職人が激減。その後、近年では「用の美」を追求する伝統工芸として再評価されていく。

赤間硯の石材である赤間石は、墨を削る歯の役割をする鋒鋩(ほうぼう。硯表面にできる凸凹)がみっしりと立っているため、墨が早くすれるほか、のびがあって、発色がよい墨汁ができるなど、硯石として優れていることで知られる。また、粘りがあるため、細かい細工がしやすく、造形しやすいことも特徴のひとつだ。

赤間硯の石材の赤閒石(左)。赤みを帯びているのは鉄分を多く含むため。右の硯は「手業のひととき」で制作した「小硯」。

「赤間石はすべて硯になるのではありません。赤間石は厚さ10m以上の石層がありますが、赤間硯に使用できるのはそのうちわずか1.5m程度の石層に含まれる石だけとなります」と話すのは、日枝陽一氏。

作硯家・日枝陽一氏と硯づくり

現在も採石が行なわれている宇部市で作品作りをする三代・日枝玉峯氏と、そのご子息の日枝陽一氏は、日本伝統工芸展で繰り返し受賞・入選するなど、精力的な活動をする作硯家。『界 長門』では、日枝陽一氏から直接指導を受けながら自分の赤間硯を作る「赤間硯職人と行う硯づくり体験」を提供している。このプログラムは、ご当地体験の「手業のひととき」として設けられている。

「手業のひととき」で硯づくりを指導する日枝陽一氏(49歳)。硯を彫る鑿(のみ)は、柄の部分を腕のつけねに当て、体で押し込んで使うと説明する。

この「手業のひととき」では、石材を硯の形にされたものを仕上げる工程を習う。手を加えるのは、墨をする「陸(おか)」、墨汁がたまる「海」の部分。硯は「陸」と「海」を備え、ひとつの完結した小宇宙を成している。この陸と海を、鑿(のみ)で意図したように削り、砥石、サンドペーパー、目たて石で仕上げていく。

目立て石とは、つぶれてしまった鋒鋩を再び凹凸状態に戻す砥石の一種。この仕上げが肝心で、完成品になった後も、定期的に目立て石で手入れをすることで、すり心地の良い状態を維持できる。

とはいえ、初めて鑿や砥石を手にするような素人が、いきなり上手にできるわけがない。ときどき、陽一氏が模範を示してくれたり、代わりに作業をしてくれたりと、手を差し伸べてくれる。その合間に、赤間石の性質、赤間硯の歴史やエピソード、道具の使い方など、さまざまなことを教示される。そうしたやり取りを通じて、硯で墨をすり、紙に筆でことばを書いてみたい、という感覚がわいてくる。上手に書けるか否かは問題ではない。この体験が、自身のことばへの考え、心持ちを少し豊かにするきっかけになるかもしれない。

鑿で硯の陸を削っているところ。「陸」から「海」への傾斜、「海」の深さなどは、作り手の好みに応じて削っていく。
「海」を砥石で磨いているところ。光を当てたり、手で触ってみることで、仕上がり具合を確かめる。最終的には後日、漆を塗って仕上げてくれる。

ご当地部屋「長門五彩の間」

参勤交代の途中で宿泊する本陣として使われた「御茶屋屋敷」。これをテーマに武家文化を体現しているのも『界 長門』の魅力のひとつ。藩主の御茶屋屋敷らしく、地域の代表的な伝統工芸品である萩焼(深川窯)、大内塗、萩ガラス、徳地和紙で客室を演出する。これらに加えて、窓から見える四季折々の景色という5つの要素を備えるご当地部屋「長門五彩の間」では、伝統文化に包まれた時間を過ごせる。

「長門五彩の間」。写真中央に見えるベッドボードは徳地和紙製。江戸時代には藩の輸出品として保護されていた。現在は山口市の無形文化財に指定されている。

滑らかで心地よいアルカリ性単純温泉

『界 長門』の温泉は、前述した住吉神社の「神授かりの湯」の源泉から湯を引いている。泉質は「アルカリ性単純温泉」。お湯につかると、肌がトロッとすべるような滑らかさが感じられる。強アルカリ性に近いpH値なので、入浴するだけで肌の汚れを自然に落とすクレンジング効果もあるとか。湯温が高めの「あつ湯」、源泉かけ流しの「ぬる湯」、露天風呂、それぞれを気分に合わせて楽しみたい。

大浴場の「あつ湯」。その左側が「ぬる湯」、奥に見えるのが「露天風呂」。とくに「ぬる湯」では、トロッとした滑らかさを実感することができる。

ちなみに、『界 長門』から徒歩数分のところに、長門湯本温泉の源泉「恩湯」がある。ここは岩盤湧出の泉源と、足元湧出の泉源の2つがあり、ほんのりとした硫黄の香りがやすらぎを与えてくれる。その名のとおり、湧き出る湯のめぐみを満喫できるだろう。

長門湯本温泉の源泉にある「恩湯」。開鑿以来、大寧寺が所有する。昔は、温泉旅館からここの源泉に通っていたこともあり、ここを中心に人々が回遊するよう町が発展してきた経緯がある。

たそがれどきのそぞろ歩きは別世界

温泉を楽しんだ後は、音信(おとずれ)川のせせらぎを耳にしながら、そぞろ歩きをしてみたい。『界 長門』は、長門市が手がける「長門湯本温泉観光まちづくり計画」の一環として開業した施設でもあり、星野リゾートは、この取り組みにマスタープラン策定から深く関わってきた。『界』として初めて、宿泊者以外も利用できる「あけぼのカフェ」が設けられているのも、町ぐるみの発展を目指すゆえだ。また、音信川に蛍が舞う季節になると、宿泊施設はもちろん近隣の民家などの灯りが消され、ほとんど真っ暗になる。そこで蛍が飛び交う幻想的な景色は、地域の方々からの贈り物。こうした心配りがほかにもたくさんあり、町ぐるみで宿泊客を迎える。

山間に日が沈み、夜の静寂につつまれるまでのたそがれどきは、ほかでは味わえない別世界。薄暗い川べりを、ぼんやり歩きながら過ごすひとときは、この長門湯本温泉ならではのもの。どこか懐かしい、でも新しい――『界 長門』の滞在は、そんな発見があるはずだ。

音信川につくられた『界 長門』宿泊者向けの川床テラス。「あけぼのカフェ」や地域の店で買ったものを持ち込んで、時間を過ごすことができる。

●『界 長門』

所在地:山口県長門市深川湯本2229-1
電話:0570-073-011(界予約センター)
客室数:40室、チェックイン15時、チェックアウト12時
アクセス:【電車】JR新山口駅より車で約60分【車】中国自動車道・美祢ICより約30分
料金:1名3万2000円~(2名1室利用時1名あたり。サービス料・税込み。夕朝食付き)

●手業のひととき「赤間硯職人と行う硯づくり」
※1名1万円(税込、宿泊費別)、1日1組(1~3名まで。1名より実施)、前日20時までに要予約。詳細は、ウェブサイトを参照。

ウェブサイト:https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/kainagato

新たな発見を提供するご当地体験が出来る
「手業のひととき」

 

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