帝国ホテル初代本館。「西洋画のような華麗な外観」と表された。

明治維新後の日本の発展を目指す志と誇りを表現した、“帝国”。その名を冠する歴史あるホテルが、130年の時を超えて今もなお存在する。その名称の響きからは、威厳と格式が感じられる。そこには、日本経済の礎を築いた先人“渋沢栄一”の国家を想い、国の威信を賭けた崇高な理念が込められていた。

先ずは、その男が情熱を込めて経営の舵取りを行なった、「帝国ホテル」の歴史を遡ってみることにしよう。

■日本資本主義の父 渋沢栄一と帝国ホテルの繋がり

「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう」

これは、日本国家の創世記を描いた『坂の上の雲』の冒頭文である。1890年、帝国ホテルが誕生したのは、そうした時代の最中だった。前年には大日本帝国憲法が発布され、日本は初めて近代的な国家を創ろうと目指していた時期だ。

欧米列強との不平等条約改正を目指す明治政府にとって、帝都・東京を訪れる世界の賓客をもてなすにふさわしい宿泊施設の整備は急務であった。当時の外務卿(外務大臣)の井上馨は、その実現のために、財界における功績著しく、公益を重んじ、各方面に影響力のある渋沢栄一に白羽の矢を立てたのだ。

また、パリ万博への視察時には、西洋式の近代的なホテルに宿泊した他、欧州各国を巡歴し、当時の最先端の西洋文化を経験したことも、渋沢栄一に声がかかった理由であろう。

帝国ホテルの創業には、渋沢栄一(写真左)と大倉喜八郎(写真右)の存在が大きかった。

「帝国ホテル」は、計画段階から日本にとって特別な存在だった。政府の欧化政策の代表ともいえる、鹿鳴館の隣接地という最高の場所が用意され、会社設立時の筆頭株主が宮内省、敷地は外務省や宮内省その他官有地の貸下げと、政財界の逸材たちが国の威信をかけて日本の「迎賓館」を創ることを目的としていたからだ。

“名は体を表す”という言葉の通り、「帝国ホテル」は「ザ・ホテル・オブ・日本」とも呼べる存在となり、国民の誰しもが、西洋列強に対して誇れる、日本を代表する本格的な西洋式グランドホテルとして成長していく。

帝国ホテル「会社創立御願」。渋沢栄一の自筆が残る。

■渋沢栄一の言葉に見る、高邁な志と矜持

1890年、帝国ホテル開業式の時の、東京府知事の祝辞に対する答辞として、渋沢栄一の言葉が残されているのでご紹介しよう。

「その構造は美を尽さずと雖ども能く数百名の大賓を款待するに足るべく其器皿は金を鏤し玉を刻せずと雖ども五州水陸の珍什は一呼立どころに辨ず是れ本館の自から勉め自から任じて譲らざる所なり 知事閣下の其国の民意を察し其文明の點度を徴するに足ると言はるる如き者は本館励精を以て之を他日に期せんと欲す仰願くは朝野内外の貴賓此徵志を諒納せられ幸に眷愛を賜はらんことを謹を以て奉答し並に茲に鳴謝す」

(建物や設備・什器は美を尽くしたものではないが、数百名の賓客をおもてなしするに不足はなく、皿や器も贅をきわめてはいないが、用命があれば世界のどんなものでも調達して便宜を図る。これこそ帝国ホテルが自身の果たすべき役割と心得、絶対に譲らないところだ。知事閣下が、ホテルはその国の民意や文明度を示すものとおっしゃられたことについては、現在は力不足でも、近い将来必ず恥ずかしくないレベルを約束する。どうか、ご愛顧をお願いする)

開業当時の帝国ホテル館内。

渋沢栄一が経営の舵を取り、手探りの状況で船出した帝国ホテルであったが、開業当初は経営に苦しむ場面も多く、帝国ホテルの歩む道は決して順風満帆と言えるものではなかった。しかし、その後徐々に好転し始め、1905年の日露戦争終息以後には、訪日外国客も増加し、新館の建設構想が持ち上がる。この時も精力的に動いたのは、渋沢栄一だった。敷地の確保が課題だったが、渋沢栄一は10年以上にわたって用地交渉をし、当時内務省の官舎が建っていた隣接地を確保した。日比谷公園に面したこの地は、現在の本館の敷地に当たる。彼は、1909年に帝国ホテルの会長を退いてもなお、同ホテルの窮状を心配し、経営改善を目指して尽力したのだ。

新館の建設には、世界的に著名な建築家フランク・ロイド・ライトが設計に携わった。後に、通称「ライト館」と呼ばれる新館の建設によって、帝国ホテルは、まさに日本を代表するグランドホテルとして、名声を国際的に広めたのである。

■帝国ホテルの魂として生きるものは、渋沢栄一のこころ

会長職を辞した後に、渋沢栄一が従業員にかけた言葉を振り返ってみよう。

「色々の風俗習慣の、色々の国のお客を送迎することは、大変にご苦労なことである。 骨の折れる仕事である。然乍ら君達が丁寧に能く尽して呉れゝば、世界中から集り世界の隅々に帰つて行く人達に日本を忘れずに帰らせ、一生日本をなつかしく思出させることの出来る、国家の為にも非常に大切な仕事である。精進してやつて下さいよ」

この言葉は、当時の帝国ホテルに関わるすべての従業員の心に行き渡り、昂揚させたに違いない。その教えは先述した開業式の言葉と共に、帝国ホテルが現在掲げる企業理念と深く響き合っており、今も脈々と従業員の心にDNAとして受け継がれている。

帝国ホテルを利用する人たちもまた、権威ある特別なホテルとして位置付けているのは、こうした歴史的背景を感じるからであろう。

「帝国ホテルは、創業の精神を継ぐ日本の代表ホテルであり国際的ベストホテルを目指す企業として、最も優れたサービスと商品を提供することにより、国際社会の発展と人々の豊かでゆとりある生活と文化の向上に貢献する。
(「帝国ホテル」企業理念より)

■帝国ホテルで、渋沢栄一を感じる

帝国ホテルには、渋沢栄一の雰囲気を体感できる空間がある。大河ドラマファンなら、一見の価値があるだろう。

帝国ホテル東京の敷地内には、1925年に造られた渋沢栄一の胸像がある。その他にも、本館1階にある常設の展示スペースでは、企画展示「日本資本主義の父 渋沢栄一と帝国ホテル」が2022年1月31日(月)まで行われている(鑑賞無料)。

また、より渋沢栄一を肌で感じたいという方には、「初代会長 渋沢栄一を帝国ホテルで発見! 歴史探訪宿泊プラン」も用意されている。(詳しくはこちら

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皆さんは、ホテルを利用するときにどのような基準でお選びになるでしょう? その時その時の目的によって異なるでしょうが、“名は体を表す”と同じように、選ぶホテルにおいても、その人の価値観、品格、良識などが映し出されるのではないでしょうか? そうした意味において、帝国ホテルはサライ読者が利用するにふさわしい、あなたの人となりを投影してくれるホテルと言えるでしょう。

「開業130周年記念『日本資本主義の父 渋沢栄一と帝国ホテル』」詳細はこちら
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写真提供及び取材協力:帝国ホテル(https://www.imperialhotel.co.jp
取材・文/末原美裕・貝阿彌俊彦(京都メディアライン) 

 

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