【親孝行物語】「ずっと若いと思っていたけれど、気がつけば老人になっていた…」資産を失った78歳男性が家族に昔の記憶を伝える理由～その２〜

葉山・一色海岸で出会い、逗子マリーナでデートした

妻が祈祷師や宗教団体に支払った総額は、5千万円以上だったという。父親が残した財産を目減りさせたショックもあったが、冷静で客観的だと思っていた妻が、祈祷師にそそのかされてしまったことに失望する。

「自分の伴侶が愚かなことをしたことで、自分の価値も貶められたことが嫌だったんでしょうね。妻は、祈祷師の勧めに従って、父が残してくれたマンションも売却しようとしたんです。“持っていると、娘が失明する”と取り憑かれたように叫んでいた。それが獣じみていて、恐ろしかった。それ以来、約20年間家庭内別居状態になったまま、妻は死んでしまった」

妻の葬式が終わり、気落ちしている茂さんに、息子は「お父さんとお母さんは、どこで知り合ったの？」と質問してきた。

「どこだっけ、と思い出していると、あれは1971年の葉山の一色海岸だと思い出した。妻は骨太な女子大の3年生で、僕は社会人2年目でした。生まれて初めてナンパしたのが妻で、告白し、電話番号を教えてもらったことを思い出したんです」

その話を聞くと、息子は「ドライブにでも行こうよ」と言い、その日のうちに一色海岸に車を走らせた。そして、海岸に着くと、「ここが俺の生命が生まれた地だね」と言ったという。

「それから、当時、父が持っていて、妻ともデートの果てに泊まった逗子マリーナのマンションに行ったり、鎌倉のそば屋に行ったりして、色々思い出しているうちに、思い合っていた懐かしい記憶が蘇ってきました。息子が連れてきてくれなかったら、複雑な思いを抱えたまま毎日を過ごしていた。子供とはいいものだなと思いました」

その後も、息子は茂さんの思い出の場所に時々連れ出してくれているという。そこに高校1年生の孫も同行するようになる。孫は昭和時代に興味があるようで、次々と質問をしてくる。

「大河ドラマや人気マンガ作品の影響もあるのか、やたら遊郭のことを聞いてくるのだけれど、売春防止法が施行されたのは、僕が9歳（1958〈昭和33〉年）のことだから、さっぱりわからない。でも、トロリーバスとかかき氷屋とか、街頭テレビ、紙芝居屋、駄菓子屋などの記憶は鮮明にある。それは親から厳しく禁止されていて、羨ましくて遠目に見ていたからなんですよね」

その時代ごとに何を感じたか、血がつながった肉親に話すことで満たされていったという。

「孫に防空壕のことを話すと、目の色が変わった。久しぶりに連れていくと、壁は割れ、崩落の危険もあるほど老朽化していました。孫は“こういうことが今、世界中で起こっているんだ”と何かを感じた様子でした」

その家は1年以内に、更地にして売却する。それは、茂さんの老後資金と子供達に迷惑をかけないためだという。

「僕の年金はそれなりの金額だけれど、老人施設のランニングコストは賄えない。月の支払いを減らすために莫大な頭金（入居費用）が必要で、それは土地を売却して支払います。あと、23区のはずれとはいえ、120坪以上の土地は、それなりの資産価値がある。相続税は現金支払いで、死後10か月以内に支払うことが決められています。子供達が仕事をしながら土地の売却先を探すのは大変。それに、祖父と父が築いた財産だから、納得できる人に引き継いでもらいたいと思って、信頼できる人に売ることにしたんです」

茂さんは「ずっと若いと思っていたけれど、気がつけば老人になっている」としみじみと言った。今、息子と孫が時々遊びに来ることが、何よりの活力になっているという。人は、思いを受け継いで生きていく。バトンをつなぐ相手がいるからこそ、今が輝くことを実感するのかもしれない。

取材・文／沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』（ともに小学館新書）、『沼にはまる人々』（ポプラ社）がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』（小学館）、Webサイト『現代ビジネス』（講談社）、『Domani.jp』（小学館）などがある。『女性セブン』（小学館）などにも寄稿している。