11月上旬、山梨で「シャトー・メルシャン 勝沼ワイナリーフェスティバル2022」が開催されました。その会場で、映画『シグナチャー ~日本を世界の銘醸地に~』の監督である柿崎ゆうじさんと、主人公のモデルとなったシャトー・メルシャンのゼネラル・マネージャー安蔵光弘(あんぞう・みつひろ)さんの対談が実現しました。「現代日本ワインの父」と称されたシャトー・メルシャン元工場長・浅井昭吾(筆名:麻井宇介)さんの意思を受け継ぎ、日本を世界の銘醸地にしようと奮闘する醸造家・安蔵光弘さんの半生を描いた物語です。
前作『ウスケボーイズ』での出会いが映画化のきっかけに
柿崎ゆうじさん(以下、柿崎) 安蔵さんと初めてお会いしたのは、私の前作『ウスケボーイズ』を撮る際に、安蔵さんにお話を聞きたいと思って連絡したのがきっかけでした。その後、食事をご一緒した時に、浅井さんと安蔵さんの関係性を聞いて、大変に興味を持ったのです。それが今回の映画化へと繋がりました。
安蔵光弘さん(以下、安蔵) 私がメルシャンに入社した当時、浅井さんは非常勤顧問でした。『ウスケボーイズ』は浅井さんを慕う若手醸造家3人の物語で、私は入っていませんが、私は会社で身近に浅井さんと接し様々な話を聞くことができたと思います。
柿崎 私がもっとも魅かれたのは、今回の映画のラストにもなった逸話です。
安蔵 私と妻の正子が、病魔に侵された病床の浅井さんのお見舞いに行った時のことですね。
柿崎 病院のエレベーターの前まで安蔵さんご夫妻を見送りに来た浅井さんが、始めは「僕は治るつもりだからサヨナラとは言わないよ」と話すんですね。でも実際にエレベーターが来て安蔵さんが乗り込もうとした時に、「これが最後かもしれないから言っておく」と切り出して、「あなたが日本のワイン造りを背負っていってくれよ」と語りかける。この言葉には、本当に心が震えました。こういうやりとりをするおふたりには、一体どのような繋がりがあったのか。それを描きたいと思ったんです。
安蔵 浅井さんは病状をご自分でよく知っていたので、これが最後になるかもしれないとの感情がこみあげてきて、「日本のワイン造りを背負ってくれ」と仰ったのだと思います。でも、その時、私はメルシャンに入社してまだ7年目だったので「そんな重いものを背負えるかどうか」と答えたら、「君が背負わなくて、誰が背負うんだ!」と、激励されたんです。
柿崎 その話を聞いてから、私のなかでこれを映画化したいという気持ちがどんどん膨らんでいきました。それで安蔵さんと一緒に行った香港の映画祭で「『ウスケボーイズ』の第二弾はありますか」と聞かれた時に、「次はここにいる方が主人公になります」と宣言したのです。
安蔵 私を主人公にしていただけると初めて聞いた時は、もちろん光栄ではありますが、「自分でいいのかな」と正直、思いました。でも、私は浅井さんと実際にお会いすることのできた最後の世代ですし、それを次の世代に伝えていくのが役目でもあるので、この映画をとおしてそれが実現できるのは素晴らしいことだと感じました。
柿崎 脚本を書く時はなるべく事実に基づくように、あまり脚色をしないようにと努めました。もちろん2時間という枠に収めるために、時系列は多少変えたところはありましたが、できる限り忠実にしよう、と。
安蔵 浅井さんとの思い出を忘れないように私は当時のことを少しずつ文章を書き留めていて、それを柿崎さんにお渡ししたのです。(その後「5本のワインの物語 ~ Five Wine’s Story」<イカロス出版>として出版)
柿崎 今回、安蔵さんの役を演じた俳優の平山浩行さんには、自分が知りうる限りの安蔵さんの情報をすべて伝えたし、撮影の時にも実際に安蔵さんに会っていただきました。それからメルシャン時代に浅井さんが造ったワイン、安蔵さんが携わったワインも全部試飲してもらいました。理知と情熱をあわせ持っている安蔵光弘という人物像を、とてもリアルに演じてくれたと思います。
安蔵 照れますね(笑)。映画で浅井さん役を演じた榎木孝明さんが、ものすごく浅井さんに似ていました。白髪頭の感じとか、後ろから眼鏡をかけた顔を見る時とか、もう雰囲気がそっくりです。
柿崎 榎木さんは亡くなる直前のシーンの撮影にあわせて、たった10日ほどのあいだに5kgも減量されてきたんですよ。俳優として本当にすごい方だと思いました。
安蔵 できあがった作品を観て、浅井さんを最後に見舞った時の感情が、本当にありありと思い出されました。帰り際に、正子とふたりで本当にしんみりした気持ちで駅まで歩いたんですよ。
柿崎 いつも思うのですが、安蔵さんと奥様の正子さんは本当に仲がいいですね。こんなに仲のいいご夫婦って、なかなかいないですよ。
安蔵 私たちは同じ時期に、同じ勝沼という地でワイン造りに携わった。だから夫婦ではありますが、同士という意識もすごく強いと思います。
柿崎 この映画では、安蔵さんに主題歌の作詞をお願いしています。歌詞をどうしようかと考えた時に、安蔵さんに書いてもらうのが一番いいと、ストレートにそう思えたからです。
安蔵 依頼された時は、自分になんかできないと思いましたけれど、柿崎さんは「大丈夫です」と。
柿崎 あれは実際にぶどう栽培やワイン造りをやっている方にしか浮かばない言葉で、本当に書いていただいて良かったと思っています。
安蔵 インターネットで「作詞」を検索したら、「あまり難しく考えずに、思ったことを素直にそのまま書けばいい」とあったんです。「先人からのバトンを受け取り 次の世代へ襷をつなぐ」は今の私が心から願っていることです。私も若い、若いと思っていましたが、あと3年で責任ある立場から離れることになります。浅井さんからもらったバトンを次の世代に渡すというのが今の私の大事なミッションなんです。
柿崎 映画のなかでも、浅井さんから安蔵さん、そして正子さんから姪の琴葉さんに襷(たすき)を渡していく姿を描いています。私は、常々ワイン造りと映画作りは似ているなと感じています。ぶどう栽培には土地や天候が重要ですよね。まさに映画も同じで、撮影する場所や天気でまったく映像は変わってきます。醸造家がいろんなぶどう品種をブレンドするのは、私にとってさまざまな俳優を演出する作業に近い。ワインは1年に一度の産物ですが、自分もだいたい1年に1本ぐらいしか映画を撮れないので、そこにも共通点があります。
今年のニース国際映画祭で最優秀作品賞を受賞
安蔵 この作品は今年、フランスのニース国際映画祭で最優秀作品賞を受賞しました。本当にすばらしかったです。
柿崎 率直にうれしかったですね。フランスという芸術やワインが盛んな国で、日本ワインと日本の造り手の物語が評価されて、賞をいただくことができたので。
安蔵 作品賞で「シグナチャー」と呼ばれた時に、映画チームのみなさんが舞台に上がったんです。でもその時、私たちは遠慮してそのままテーブルに座っていた。そうしたら柿崎さんが「映画のモデルとなった方がここにきています」と紹介してくださって。会場にいた人たちがみな立ち上がって、私たちのほうを見て拍手をしてくれたのには本当に感激しました。
柿崎 今、日本ワインは多くの造り手の方がそれぞれに頑張っていらして、本当に多様性があります。だから、ひとりでも多くの方に日本ワインを飲んでいただいて、知っていただくことが大事だと思うんですね。私は、映画を通じてそれをやっていきたいと考えています。
目標は、日本を世界の銘醸地にすること
安蔵 今日のイベント「勝沼ワイナリーフェスティバル」はメルシャン主催ですが、それ以外にもシャトー・メルシャンだけでイベントを開催するのではなく、他のワイナリーとも協働し、産地全体を盛り上げる、ひいては、日本のワイン市場を盛り上げ、ワイン文化を広めることで、「日本を世界の銘醸地に」一歩でも近づける。そういったビジョンに共感してくださるワイナリーも増えてきて、勝沼の他のワイナリーと協働で開催する「勝沼ワイナリーフェスティバル」も3年目になりますが、手応えを感じています。私たちの目標は、今回の映画のサブタイトルにもあるように、日本を世界の銘醸地にすることなんです。だから山梨ワインの振興に限らず、東北など他の地域で新しくワイナリーを起こした方たちへの技術指導なども積極的に行なっています。これは、以前、甲州ブドウに柑橘の香りを発見し、ボルドー第二大学の富永敬俊博士のもと開発に成功した「甲州きいろ香」の製法を惜しみなく他のワイナリーに公開した浅井さんの決断に通じるところもあり、シャトー・メルシャン一社だけが良くてもダメで、日本全体で良いワインを造り、もっとワイン文化を広めないと「日本を世界の銘醸地に」することはできない、という考えが脈々と息づいているからなんです。
柿崎 日本をワインの銘醸地にするというのは、浅井さんが目指したことでもあったんですよね。
安蔵 はい。とにかく「言い訳から入ったら駄目だよ」と浅井さんは常に話していました。昔はみなよく日本は収穫期に雨が降りやすいし、台風が来るから、いいぶどうが採れないと言っていたんです。でも、たとえばフランスのボルドーも、秋の収穫時にはかなり雨が降る。そういう状況下でも、いかに良いワインを造るかという努力をしている。日本ワインの質が上がってきたのは、「日本は雨が多いから……」というような言い訳をしなくなったことも大きいと感じます。海外の人に飲んでもらっても恥ずかしくないものを、とみんなが前向きにワインを造るようになりました。
柿崎 今回の作品では、ニュージーランドの最高級のワインと言われる『プロヴィダンス』についても触れています。ニュージーランドはワイン新興国ですが、これだけすばらしいワインができるんだから、日本もやれるはずだ、と浅井さんは仰っていた。
安蔵 私がお会いしたばかりの頃の浅井さんはボルドーの濃いワインがお好きでしたが、亡くなる3年ほど前から、『プロヴィダンス』やブルゴーニュのようなエレガントでやわらかなワインが好きになっていった。「しみじみと美味しいワインがいい」「もう1杯、と自然にグラスが出るワインがいいよね」と。
柿崎 その『プロヴィダンス』に関して、浅井さんは「(酸化を防ぐ)亜硫酸を添加していないすばらしいワイン」とまず評価されましたが、晩年は亜硫酸無添加に注目が集まってしまったことを後悔していたと聞きました。それについては、今回の映画でも触れています。
安蔵 著作だけで浅井さんを知っている方は、きっと浅井さんという人はまっしぐらに自分の道を進んだ、完璧な方だと思っているかもしれません。でも、じつは考え方もその時々で変わっているんです。浅井さんのすごいところは、「こちらが確かに正しい」と気づくと、それ以前の自分の考えを惜しげもなく捨てられることです。
柿崎 もとの自分に固執しないんですね。
安蔵 『プロヴィダンス』の味わいのすばらしさはぶどうの栽培法とか、醸造所を徹底的に清潔にするとか、そういう細かい仕事の集積によって可能になったものなんですね。その当主の祖先はクロアチア出身で、中世のヨーロッパでは、亜硫酸を使わずにワインがずっと造られていた。それと同じようなワインを造る手段として、亜硫酸を使わないということを選択したんです。でも、今のいわゆるナチュラルワインといわれるもののなかには、亜硫酸を入れないことが目的化してしまっているものもある。浅井さんがあと10年長生きされていたら、そのあたりのこともきちんと話されていたと思うので、私が代わりに伝えていきたいとも考えています。
柿崎 亜硫酸にはワインの品質を保つ役割があって、それもとても大事なことですよね。
安蔵 浅井さんは「教科書を捨てろ」ともよく言っていましたが、それを今は「教科書に書いてあることは無視する」という意味だと誤解している人がたくさんいます。そうではなくて、いわゆる「正しい」と言われるものに捉われてワインを造るのではなく、自分で考えなさい、ということなんです。とにかく物の見方の切り口がすごく鋭い方で、一緒に話しているとなるほどなと納得することが多々ありました。
柿崎 これからの日本ワインがより発展するために、必要なものは何だと思いますか。
安蔵 そうですね。今の日本ワインで話題になっているものの多くは、1銘柄の生産量が1000本ぐらいです。でもそれだと雑誌などで紹介されたあと、あっという間に市場から消えて、多くの人は手に取ることができない。それより1銘柄5万本とか10万本造られていて、しかも品質が高くて、価格も手頃というワインがきちんと評価されて、誰もがいつでも食卓で楽しめるという環境が整わないと、本当の意味での文化にはならないのではないでしょうか。そこが今後の日本ワインが突破しなければいけないステップだと思いますし、私たちは浅井さんの意志を受け継ぎ、それを実現することで、日本が産地として認められ、「日本を世界の銘醸地に」近づけていくことができると考えています。